おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

墨田区鐘ヶ淵散策。その5。向島百花園。くずの棚。葛粉・葛餅。カルガモ。ヤマユリ。・・・

2023-07-19 18:33:14 | 隅田川

くずの棚。足元には、花びら。

               

※秋の七草の一つ。 開花時期は、 8/15 ~ 9/末頃。まわりの木々を  つるでおおってしまう程の生命力。ひと夏で10mぐらい生長する。花は下の方から咲いていく。大和の国(奈良県)の  国栖(くず)というところが葛粉の産地であったところ からの命名。漢字の「葛」は漢名から。

葛餅」は、葛粉から作られる透明でプルプルとした舌触りのいい

しかし、同じ「くず餅」という名前の和菓子でも、関東と関西とではまったく別物。おもに関西地方で作られている「葛餅」は、葛粉に砂糖と水を加え、加熱してできた透明な餅にきな粉と黒蜜をかけた物ですが、関東で作られているくず餅は、小麦粉のでんぷん質を発酵させてできた白っぽい餅にきな粉と黒蜜をかけていただく物をいいます。

「関東のくず餅の起源には諸説あります。弊社は、1805年創業。度々、亀戸天神に通っていた船橋屋の創業者(勘助)が、ここで甘味を出したら売れると見込み、地元の千葉で食べられていたおやつを『くず餅』として売り出しました。

当時、千葉では小麦の生産が盛んだったため、小麦農家では、小麦粉を水で練って蒸した物をおやつとして食べていたようです。小麦の生産地が、以前は「下総国葛飾郡(しもうさこく・かつしかぐん)」という地名だったため、葛飾郡の『葛(くず)』を取って、『葛餅』と呼ばれるようになったのではないかといわれています」(株式会社 船橋屋 広報担当の篠原優奈さん)

(この項、「」HPより)

東京・亀戸にあるくず餅の老舗「船橋屋」は2022年9月27日、SNS上で渡辺雅司社長(創業者の一族)が赤信号を進んで交通事故を起こし、事故の相手方に怒鳴った様子を撮影した動画が拡散されていることについて、公式サイト上で「事故並びに現場での対応は概ね事実であり、弊社としても到底容認できるものではない」と公表しました。渡辺社長は29日の取締役会で辞任しました。新社長に神山恭子氏が就任しました。

ところで、漢字の「葛」。

は古代のかつしかと呼ばれた地域のごく一部にしか過ぎません。古代の「かつしか」という領域は広大なものでした。古代の「かつしか」は、旧南葛飾郡かつしか・江戸川・墨田・江東区)と、千葉県市川・柏・流山・松戸・船橋市や埼玉県栗橋および茨城県古河・総和市までおよぶ広い地域がその範囲でした。
「かつしか」の地名は、当時のかつしかぐん全体の地形的特徴を捉えることで説明ができます。つまり、「かつしか」の「かつ」は丘陵や崖などを指し、「しか」は砂州などの低地の意味をもっています。「かつしか」とは、利根川流域の右岸に低地、左岸に下総台地が広がる旧かつしかぐんの地理的な景観から名付けられたと考えられます。

 「かつ」と「かつ

 ところで、「かつしか」という漢字を書くときに困ったことはありませんか。「かつ」の字が、「かつ」や「かつ」などまちまちだからです。
かつしかくでは「かつ」と書くのが正しいと説明していますが、「かつ」と書く人もたくさんいます。

歴史的にみた「かつしか」の表記

「葛飾」721年 下総国葛飾郡大嶋郷戸籍(正倉院文書 宮内庁正倉院事務所所蔵)

「かつしか」が文字として表記されている最も古い史料は現在のところ、下総国府が都に提出した「養老五年下総国かつ飾郡大嶋郷戸籍」にみえる「かつ飾」です。大嶋郷戸籍と同じ8世紀に編纂された万葉集の中にも「かつしか」が表記されていますが、基本的に音に漢字をあてているだけです。また、下総国府付近から出土した奈良時代の土器には、「かつ」の字が墨書されていました。
中世になると、千葉県の香取神宮に所蔵されている寛元元年(1243)の古文書には「下かつ西」とあり、応永33年(1426)の奥津家定寄進状に「かつ西庄」、永禄5年(1562)に小田原の北条氏が本田氏に宛てた書状には「かつ西」と記されています。このほかにも、「かつ西」と記した史料が多くあり、中世においては圧倒的に「かつ」の字が用いられています。
こうしてみると、古代から中世にかけて「かつしか」の「かつ」あるいは「かさい」の「か」という漢字の表記は「かつ」とする事例が多いように思えます。
江戸時代になると、「かさ井」「笠井」なども使われ、実に様々な表記がなされます。中世や近世においては、当て字なども頻繁に使われており、字よりも音のほうが重要だったようです。

 「かつ」と「かつ」をめぐる混乱

 その後も「かつしか」を表記するときの混乱は続き、現代まで尾を引くこととなります。「かつ」と「かつ」は、新聞の紙面や官公署関係の表示でも、人や機関によって異なった表記がなされていました。
このような混乱を避けるため、昭和61年、かつしか区ではCIサイン(区のマークやロゴ)を選定する際に、区の関連の表示については、略字ではない正字の「かつ」の字を使うことにしました。

国語的に見た「かつ」と「かつ」について

  「かつ」の異体字が「かつ」です。どちらも漢字として存在する正しい字です。異体字ですから、その差は字体のみであり、文字としては同一の意味をもっています。「かつ」の字が、誤字や俗字であるということではありません。なお、第21期国語審議会の「表外字印刷標準字体表試案」では、「かつ」は中国起源の正字「かつ」の略字として扱われています。

法的に見た「区名」の根拠

警視庁・東京府公報(昭和7年5月24日付)

 区名を法的な観点から見るとどうでしょうか。
かつしか区の区制施行を告示した、「警視庁・東京府公報」(昭和7年5月24日付)には、「かつ」と明記されています。また、戦後定められた地方自治法第3条第1項には、「地方公共団体の名称は、従来の名称による」と定められています。したがって、従来からの名称である告示時の名称「かつ」が正式な区名である、というのが本区の見解です。

(この項、「より)より)

さて、カルガモたちはどうしているか? 池の奥の方にいました。

                

水中にけっこう長く潜っています。

そのうち石橋のところに、

             

前見たときは橋の下をくぐっていましたが、橋の上に上がり、そして池の中に。体が大きくなった証拠。

そして、隣の池へ。

ハスの花が一輪。

ヤマユリ。強い芳香を放っています。

             

せんのう。

           

寺島なす。

さわぎきょう。

         とけいそう。

むかでらん。<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/63/89290940f800b5d32818a2c3c19488a6.jpg">牧野富太郎の命名。

夏の百花園にも、また新たな発見があります。

コメント
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