[6] Sayın Serkan, JAXA'da eğitmen değildir ve Tokyo Universitesinde doçentlik yapmamaktadır. Ayrıca Sayın Serkan, kayak dalında 1988 yılı Calgary Kış Olimpiyatlarına katıldığını beyan etmştir, ancak olimpiyat resmi raporlarının takım ve katılımcı sonuçlarında Sayın Serkan'ın adı geçmemektedir
上の写真は、独立行政法人科学技術振興機構(JST)運営の「かがくナビ」のセルカン氏に関する記事(左上)や、セルカン氏著「ポケットの中の宇宙」中公新書ラクレ(右上)に掲載されている写真である。この写真は、セルカン氏著「宇宙エレベーター」p19にも、アルペンスキー選手だったころのものとして掲載されている。
上記「かがくナビ」の記事には、「中高生の頃、ぼくはスキーのトルコ代表選手として選ばれた経験があります。その時に国家の代表になる誇りを知ったのです。」 とのセルカン氏のコメントが掲載されている。
このセルカン氏が示したスキー写真は、全くの別人の写真を盗用したものである可能性が高いことが以下の事実から推測される。
スキー写真に関するいくつかの矛盾点について (コメント欄:TTN様からのご情報)
(ウェアの腕の部分には、Bessonの文字が確認でき、Anzi Bessonというメーカーのことだそうです。)
また以下は、アニリール・セルカン氏著『ポケットの中の宇宙』 の内容からの再編集
スキー選手としての経歴は、メディア等でも取り上げられている。
・上記のようにセルカン氏は、スキーの選手で1988年のカルガリー冬季オリンピックに出場したことになっているが、同オリンピックの公式レポートの選手団および競技結果にセルカン氏の名前は見当たらない。また、全ての競技記録にも該当がない。(レポートは http://www.aafla.org/5va/reports_frmst.htm より入手可能。)
・国際スキー連盟(Federation Internationale de Ski, FIS)の世界大会にSerkan Anilir氏が出場した記録はない。( http://www.ski-db.com/ http://www.fis-ski.com/uk/competitorbiographies.html のデータベースに見つからない。)
・セストリエールでワールドカップが開かれたのは1997年。1987年はスイスのCrans-Montana
http://www.fis-ski.com/uk/majorevents/fisworldskichampionships/alpinewsc.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Alberto_Tombaによると、On November 27, 1987, Tomba scored his first World Cup victory, in a slalom at Sestriere, Italy.とある。上記の国際スキー連盟のデータベースには、"FIS Junior World Ski Championships"や"European Cup"に関する情報はあるが、"ヨーロッパジュニア"に関する記述が見当たらない。(しかし、20歳以下の大会での記録が上記データベースに登録されているかどうかは不明)
JAXAや東大における肩書きについて
↓ セルカン氏の韓国出張講演での自己紹介スライド (セルカン氏のブログの該当記事)
Image credit: Dr. Serkan ANILIR
・セルカン氏は、Associate Professor, Tokyo University(東京大学の准教授)ではない。Assistant Professor(助教、助手)である。(注:東京大学の正しい英訳は、The University of Tokyo)
・セルカン氏は、Team Leader, Japanese Aerospace Exploration Agency(JAXA:宇宙航空研究開発機構のチームリーダー)ではない。(注:宇宙航空研究開発機構の正しい英訳は、Japan Aerospace Exploration Agency)
セルカン氏の当時の肩書は、JAXAの研究員である。 →(JAXA研究活動履歴)。
・また、セルカン氏は、東京大学の研究室ホームページや、セルカン氏blogにおいて、「2003年4月 日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)講師」という経歴を公表しているが、これも同様な理由から根拠の薄いものである。
・また、セルカン氏のATAエレベーターや11次元宇宙理論などの研究については、他人の研究の剽窃(盗用)が疑われている。
・セルカン氏は、Astronaut/ Mission Specialist (宇宙飛行士/ミッションスペシャリスト:搭乗運用技術者)ではない(宇宙飛行士候補という肩書きにでさえ疑惑が向けられている)。
・セルカン氏は、この韓国の講演だけではなく、2006年12月にトルコのイスタンブールで開かれた「第1回 国際インフラフリーシンポジウム」(会長:セルカン氏、スポンサー:KALE GROUP) (セルカン氏のブログでの該当記事1, 2)や、
2005年4月に同イスタンブールで開かれた 「A Gateway to Heaven’ASANSOR’2005 Conference」や、
トルコ企業のElginkanグループの出版物においても、「東京大学の准教授(Associate Professor)である」。と誤った経歴を公表している。セルカン氏は、准教授ではなく、助教(Assistant professor)(昔の役職区分の助手に相当)である。
プリンストン大学数学部講師という経歴について
東京大学のセルカン氏所属の研究室ホームページや、セルカン氏blogのプロフィール記事において、「1997年9月 プリンストン大学講師(セルカン氏blogの記載では数学部講師)」というセルカン氏の経歴が公表されている。
・しかしながら、プリンストン大学数学科の1996年11月からのサイトアーカイブには、1997年にセルカン氏が講師を勤めたとの記述は無い。
・一方、Space Architecture Technical Committeeのメンバープロフィール欄では、セルカン氏の紹介として以下の記述がある。
"1997 Intern at European Space Agency, 1999 Associative Architect at Kajima Corporation, 2000 Research Associate at Shimizu Corporation, 2001-2003 Muses-C Mission Design Group Member, 12 international awards in international competitions including Mediapark Cologne and Auerbach Airport Design in Germany. Research Interest in High-tech architecture, technology transfer between terrestrial and space architecture, hyperspace."
ここでは、1997年時点ではセルカン氏はEuropean Space Agency(欧州宇宙機関:ESA)にインターンとして勤務していたとされており、米国のプリンストン大学講師と兼務であったとは考え難い。
・またセルカン氏は数学分野の研究業績が皆無なので、数学部講師に就任できた可能性は極めて低い。
・また、現時点での研究室HPでは、「1997年9月 プリンストン大学講師(レオナルドプログラム)」と記載が変更されている。などセルカン氏自身の経歴公表内容に一貫性が無い。セルカン氏のブログの記事によると、「レオナルド」とはトルコの交換留学生プログラムのことであり、セルカン氏も「レオナルド」の経験者だったとのことである。
その他の職歴・研究歴についての検証は、別記事を参照。「1995年9月 イリノイ工科大建築学専攻卒業」という経歴に疑惑がもたれている。)
スキー選手という経歴について Image credit: Dr. Serkan ANILIR (⇒ 拡大写真はこちら) | Image credit: Dr. Serkan ANILIR & 中公新書ラクレ |
上の写真は、独立行政法人科学技術振興機構(JST)運営の「かがくナビ」のセルカン氏に関する記事(左上)や、セルカン氏著「ポケットの中の宇宙」中公新書ラクレ(右上)に掲載されている写真である。この写真は、セルカン氏著「宇宙エレベーター」p19にも、アルペンスキー選手だったころのものとして掲載されている。
上記「かがくナビ」の記事には、「中高生の頃、ぼくはスキーのトルコ代表選手として選ばれた経験があります。その時に国家の代表になる誇りを知ったのです。」 とのセルカン氏のコメントが掲載されている。
このセルカン氏が示したスキー写真は、全くの別人の写真を盗用したものである可能性が高いことが以下の事実から推測される。
スキー写真に関するいくつかの矛盾点について (コメント欄:TTN様からのご情報)
・ セルカン氏のスキー写真のブーツやウェアは、2004シーズンのオーストリーチームのウェア、同シーズンのサロモンの板と靴に酷似している。 http://www.skinet.co.jp/ski-and-ski/work/Biography/MattStanton04sl.jpg ・ また、明らかに回転競技の写真であり、スキー選手であればこれを大回転と紹介することはありえない。 |
(ウェアの腕の部分には、Bessonの文字が確認でき、Anzi Bessonというメーカーのことだそうです。)
また以下は、アニリール・セルカン氏著『ポケットの中の宇宙』 の内容からの再編集
・1982年(8歳) : ドイツ国内科学コンテストで「1.FCケルン」のホームスタジアムの照明を太陽エネルギー、風力、水力でまかなうという アイディアで2位に(p14,p15)。授賞式に訪れてきた寄宿学校の経営者に見込まれ、スイスのミッションスクールへ (p15,p16)。寄宿学 校近くのスキー場で独学でスキーを始める(p23) ・年不明 (「トルコに帰国後」) : スキーのトルコナショナルチームの選抜テストに飛び入りで参加、ダントツの成績でその場でナショナル チームに選出。 ・1987年: イタリア、セストリエールで開催されたU20ヨーロッパジュニア大会の大回転で金メダル(同じ大会にアルベルト・トンバが参加)。 トルコ人として冬季競技の世界大会で初の金メダル。トルコでスキーをやっている若者は全員セルカン氏の名前を知っている。 (p25,p26)。 ・1988年(15歳): スキーの回転競技でカルガリーオリンピックに出場、14位の成績(p27)。 |
スキー選手としての経歴は、メディア等でも取り上げられている。
・ 元アルペンスキーヤーにしてトルコ人初のFIS金メダリスト」 http://www.semi.org/jp/News/MailMaga/P044109?utm_source=tsushin&utm_medium=email&utm_campaign=tsushin200807 ・ 「セルカンさんはスキーのオリンピック選手にも選ばれている。」 http://minamikisyu.i-kumano.net/news/2007_09/20070902_00.htm |
・上記のようにセルカン氏は、スキーの選手で1988年のカルガリー冬季オリンピックに出場したことになっているが、同オリンピックの公式レポートの選手団および競技結果にセルカン氏の名前は見当たらない。また、全ての競技記録にも該当がない。(レポートは http://www.aafla.org/5va/reports_frmst.htm より入手可能。)
・国際スキー連盟(Federation Internationale de Ski, FIS)の世界大会にSerkan Anilir氏が出場した記録はない。( http://www.ski-db.com/ http://www.fis-ski.com/uk/competitorbiographies.html のデータベースに見つからない。)
・セストリエールでワールドカップが開かれたのは1997年。1987年はスイスのCrans-Montana
http://www.fis-ski.com/uk/majorevents/fisworldskichampionships/alpinewsc.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Alberto_Tombaによると、On November 27, 1987, Tomba scored his first World Cup victory, in a slalom at Sestriere, Italy.とある。上記の国際スキー連盟のデータベースには、"FIS Junior World Ski Championships"や"European Cup"に関する情報はあるが、"ヨーロッパジュニア"に関する記述が見当たらない。(しかし、20歳以下の大会での記録が上記データベースに登録されているかどうかは不明)
JAXAや東大における肩書きについて
↓ セルカン氏の韓国出張講演での自己紹介スライド (セルカン氏のブログの該当記事)
Image credit: Dr. Serkan ANILIR
・セルカン氏は、Associate Professor, Tokyo University(東京大学の准教授)ではない。Assistant Professor(助教、助手)である。(注:東京大学の正しい英訳は、The University of Tokyo)
・セルカン氏は、Team Leader, Japanese Aerospace Exploration Agency(JAXA:宇宙航空研究開発機構のチームリーダー)ではない。(注:宇宙航空研究開発機構の正しい英訳は、Japan Aerospace Exploration Agency)
セルカン氏の当時の肩書は、JAXAの研究員である。 →(JAXA研究活動履歴)。
・また、セルカン氏は、東京大学の研究室ホームページや、セルカン氏blogにおいて、「2003年4月 日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)講師」という経歴を公表しているが、これも同様な理由から根拠の薄いものである。
・また、セルカン氏のATAエレベーターや11次元宇宙理論などの研究については、他人の研究の剽窃(盗用)が疑われている。
・セルカン氏は、Astronaut/ Mission Specialist (宇宙飛行士/ミッションスペシャリスト:搭乗運用技術者)ではない(宇宙飛行士候補という肩書きにでさえ疑惑が向けられている)。
・セルカン氏は、この韓国の講演だけではなく、2006年12月にトルコのイスタンブールで開かれた「第1回 国際インフラフリーシンポジウム」(会長:セルカン氏、スポンサー:KALE GROUP) (セルカン氏のブログでの該当記事1, 2)や、
2005年4月に同イスタンブールで開かれた 「A Gateway to Heaven’ASANSOR’2005 Conference」や、
トルコ企業のElginkanグループの出版物においても、「東京大学の准教授(Associate Professor)である」。と誤った経歴を公表している。セルカン氏は、准教授ではなく、助教(Assistant professor)(昔の役職区分の助手に相当)である。
プリンストン大学数学部講師という経歴について
東京大学のセルカン氏所属の研究室ホームページや、セルカン氏blogのプロフィール記事において、「1997年9月 プリンストン大学講師(セルカン氏blogの記載では数学部講師)」というセルカン氏の経歴が公表されている。
・しかしながら、プリンストン大学数学科の1996年11月からのサイトアーカイブには、1997年にセルカン氏が講師を勤めたとの記述は無い。
・一方、Space Architecture Technical Committeeのメンバープロフィール欄では、セルカン氏の紹介として以下の記述がある。
"1997 Intern at European Space Agency, 1999 Associative Architect at Kajima Corporation, 2000 Research Associate at Shimizu Corporation, 2001-2003 Muses-C Mission Design Group Member, 12 international awards in international competitions including Mediapark Cologne and Auerbach Airport Design in Germany. Research Interest in High-tech architecture, technology transfer between terrestrial and space architecture, hyperspace."
ここでは、1997年時点ではセルカン氏はEuropean Space Agency(欧州宇宙機関:ESA)にインターンとして勤務していたとされており、米国のプリンストン大学講師と兼務であったとは考え難い。
・またセルカン氏は数学分野の研究業績が皆無なので、数学部講師に就任できた可能性は極めて低い。
・また、現時点での研究室HPでは、「1997年9月 プリンストン大学講師(レオナルドプログラム)」と記載が変更されている。などセルカン氏自身の経歴公表内容に一貫性が無い。セルカン氏のブログの記事によると、「レオナルド」とはトルコの交換留学生プログラムのことであり、セルカン氏も「レオナルド」の経験者だったとのことである。
その他の職歴・研究歴についての検証は、別記事を参照。「1995年9月 イリノイ工科大建築学専攻卒業」という経歴に疑惑がもたれている。)