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サンチョパンサの憂鬱

昼下りのサンチョパンサ(2)……思考も整理整頓の必要…混乱・混同による曲解、誤解

数量の世界の形而下の話と質的問題の形而上の話は往々にして混同され(時に意図的に)議論の成果が上がらない事は多い。

よくよく考えて見れば……数字論理のみで動いている?かの様に感じる『市場経済方式』だが?
その弱肉強食セオリーの弊害の話になれば……新自由主義者は『自己責任論』オンリーで応える。

条件的に格差問題など公平性が担保されてない
コトを一気に解決?とばかりに運ぶ新自由主義者達の『自己責任論』だけど……。

少々の差こそあれ、『努力の成果』が及ぶ範囲ならば一応フェアなのだが……シングルマザーなど条件的に努力の範囲を超える窮状に喘ぐ人達に対しても……自己責任!!って演るのは『フェア』じゃない。

何処探しても論理性を欠いている体育会系の粗暴な『根性論そのもの』だという今の社会の現実がある。

税金とか?利益とか?売上などの経済数字の世界は『社会の中』で行われているコトを人は忘れがちである。

当たり前の話だけど……社会は元来、数字の世界だけで運営は出来ないものだけど、僕達はソレを忘れてしまったかの様な日々を送って来た。

置いてきぼり、置き去り、放置傍観され途方に暮れる人々に……何時の間にか悪魔の呪文『自己責任!!』を一言投げ付けてハイ終了と演る方式に慣れ親しんでしまった。

社会は『形而下』と『形而上』両面でアプローチしないと……何の為の社会組織なの?という『存立理由そのもの』を失っていく。

『自助努力』なんてのは政府に言って頂く様な話ではない。

倫理にそぐわない悲惨を放置して民衆に自助努力を要求する政府ならばそれはもう政治ではない。政府を構成してる人達の資質自体が劣悪過ぎるのである。

一方で…狡く演らない奴がおバカ、下手、悪い?……そんな倫理を放置しての論外のレベルで跳梁跋扈する輩が民間にも数多く棲息してる。

『個の生きる苦しみ』は経済では救われない。
コレは個人だけの形而上の問題である。数量では感じられない純粋な『自分の存在の意味』を感じようとする話だからである。

その、自分の形而上の苦しみ、哀しみ、…喜怒哀楽の原因・理由は自分に求めるしかない。
『元より自分だけの問題』だからである。

ここが社会的な貧困の哀しみ、苦しみと混同される所である。ソレはそれで社会的に理解され解決して行かねばならない問題である。

如何に裕福な人であれ……個人の形而上の悩みの問題はキリがない。
自分特有の自分だけの問題。自分自身の心身ににのみ起因する悩みだからである。

良い事悪い事すべて『自分に原因を求める』思考をしないとね……?

その話を書いたら……あなたの商品は他人が買ってくれている。ソレを忘れていませんか?なるご指摘を頂いた。社会的な経済・暮らし・システムの話であるなら正にその通り!です。お互い様であり持ちつ持たれつです。

逆にソコに根性論を持ち出して困窮者放置という社会的倫理までを蹴っ飛ばして『効率オンリー』の暴論のみで先を急ぐ新自由主義者達もいる……。

『個のメンタルに起因する話(形而上)』と『個と社会との関係の話』は混同することなく、整理整頓して議論しないと笑えない混乱を招くことになる。

様々の社会的、経済的な人との関わりを通して生きてるけれど……。
心の問題は自分の善し悪し全部僕自身に起因するとする引き受けによってしか自分の形而上の問題を理解する事は出来ない……。

やがて……いつの日にか『己事究明』に辿り着きたい。僕はそう願って今日を生きている。
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