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サンチョパンサの憂鬱

時は『自分色』して流れている

関西落語の天才、桂朱雀……最後は鬱病に悩み自殺してしまったけれど……。

彼が一度目の鬱病を克服して、飄々とした芸風で一世風靡してた頃の彼の言葉を覚えている……。

どうして師匠は何があっても明るく前を向いて生きれるのですか?と聞かれ彼は言った。

時間と言うのはトイレットペーパー見たいなモノなんです。
昨日何があろうとどんなに悲しみがあったとしても、昨日から今日を引っ張り出せばマッサラな綺麗な白が出て来るのです。

みんなに平等な、汚れていないマッサラな時間が来るのですよ。
それを自分から汚してしまうんですな?……。昨日の辛さの色を自分でワザワザ着けてしまっているのです……と。

流石に鬱病で悩んだ人の達観だな……と聞いたのを覚えている。

折角の新しい一日のプロジェクトの新しい時間を自分の昨日の色に染めてスタートさせてる自分を感じたのだった。

それから……何年か後、彼はまた鬱病を患い帰らぬ人となった。

だからこそ彼の言葉は信じられる気がする。長い鬱病との付き合いから導いた『今日の迎え方』の極意の様な気がする。

当時……朝目覚めれば『チクショーメ!』からスタートするといった日々が続いていた。
そうすると……既に挽回の為の行動をする勇気が挫けているのである。

彼の言葉は……憎しみや恨みに取り込まれる事の虚しさ、愚かしさに気付かせてくれたのだった。

顔も見たくない人間を、朝一番から頭の中に『自らお迎えして』、『新しい時間を憎しみに染める』のである。
折角の新たな一日に仇敵を招待して共に過ごす事の愚かしさ……。

憎しみの元になった案件はとっくに終わっている。その被害がない訳じゃないけれど……。
それよりは自分の憎しみの心が新たに生産する非効率と疲労が余程問題だと気付いたのだった。

新たな時間はマッサラ。良くも悪くもない。それに色を着けるのは自分なんだと気付けたのは大きかった。

それからメンタルはもう一皮剥けて、どんな時でも『状況は良くも悪くもない』のだと気付けた。自分のメンタルのベクトル次第でどうにだって変えられるのだ!と。

自分次第で……過去だって新しく染め直せる。自分が変われば……その過去もまた変えられるって事だ……。

人間は折角の真新しい時間を、自分で古くしてから使い込んでいる。勿体ないじゃないですか?……と桂朱雀師匠は言った……。
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