何があろうともそれは100%である。それについて絶対感をグラつかせてはならない。
一方、世の中と対峙している自分となれば正しく自分の大きさというモノを相対感を以て把握しなければならない。
『自分はナンボのものか?』という出来る限り正確な把握をする様に、努めなきゃね?
自分の存在自体と世の中に…向けて発する自分の考え・意見というモノの扱い方の違い……難しいよね?
テレビドラマ……『ミステリーというなかれ』について、原作アニメの熱狂的ファンが、『原作と違う!!』と悲憤慷慨した意見を発しているのだという。
『俺達だけが知っている?ホンモノ』……そんな強い選民思想に振り回されている愚挙なんだけど……そんなに下らないなら……黙って『観なきゃいいだけ』の話なのにね。
何故?黙ってスルー出来ないのか?
幼稚な?というか美学の無い稚拙な『自己顕示欲』の仕業である。
この作品の原作はアニメ1300万部を売り上げている素晴らしい作品である……。
しかし他方……ソレは…世の中の一アニメの話である。
ソレを『俺は知っている!!』という事がナンボのモノか?……自分は劇作家として脚本家として何やら目ぼしい成果を上げた実績でもあるのか……?
自分は単なるイチ観客に過ぎないという相対感を致命的に喪失しているが故のカッコ悪い舞い上がり方となる。
『批判にはそれに耐えうる対案』を持たなければならない。
人を苦笑・失笑させる批判の為の批判……それは餓鬼の仕業である。
名作とされる大作映画『風と共に去りぬ』でさえ両手を上げて賛意を示す人は50%にも満たないと思う。
『自分の理解』は自分が展開しようとする批判の論理の揺らぎなき下支えとなるのか……?
大人の立場なれば……批判は肯定の立場ほど楽じゃないのである。
SNSであれ何であれ一応、世の中に向けて発するのなら自分の意見の検証は出来ているか?
何度も自分の考えを疑ってみたか?
『自分ならこうだ!!』を論理立ててプレゼン出来るのか?
大抵の場合……世の中との相対感を失している『批判の為の批判』にはオリジナリティーがない。ステレオタイプの観念的論理に流れるのが常である。それは一重に発言主の努力不足の為である。
ゼロの状態から、オリジナリティある『私はこう思う!!』と発するモノを編み出す人もいれば……ソレを横から文字通り横ヤリ入れるだけで成立する楽な方法で自己満する人もいる。
自己顕示欲溢れんばかりに批判を叫ぶ人は総じて自己肯定感が低いという不思議である。
だからこそその代償行為として無軌道な批判の為の批判に走るのかも知れないね?