サンチョパンサの憂鬱

貧しい青年の野心

ストーリーは有名過ぎて語る必要なんかない……。

友人の富豪の息子との間にある心理的軋轢。
金持ち息子は貧しいドロンを何時も見下し、何かにつけて恥をかかせる。観ているとこちらがドロンになったかの様な錯覚……。

ヨット上で金持ち息子を殺害して、ドロンは彼になりすます計画を実行に移す……。
全てが成功し、彼は欲しいものを全て手に入れたか?という矢先
スクリューに絡んだロープが巻き上げられる。そのロープの先に死体が……。

警察の船の検証の前……気分を聞かれてドロンは言うのである。
『太陽がいっぱいでとても幸せさ……』……と。

ラストに流れる太陽がいっぱいの海の風景は……とても哀しく無情!理不尽!
不条理!夢の終焉……そんな様々の想いが入り雑じり切なくなるのである。

生きる価値もないどうしようもないどら息子と繊細な美しい貧乏人の若者。
入れ代われば良いのに!……と正直ドロンに肩入れしてしまう。

本人の資質とは無関係の『生まれ』による理不尽なコントラスト。光と影の様な対比は観るものを哀しくさせるのである。

魚を手で食べながら……上品な奴は魚は手で食べるんだ?なんて講釈をタレル鼻持ちならぬ態度……いやが上にも貧乏ドロンに肩入れしてしまうのである。

映画の話じゃなく……現在の貧富の階層の固定化は現実にそんな殺人事件を引き起こしそうな予感がする。

理不尽という奴は……行う側がそれに無自覚だという特徴がある。
理不尽な奴は貧乏人だって理不尽なんだけど……金持ちは『痛みを知らない』から理不尽の働き方が致命的な落ち度を犯す場合が多くなる。

只……カネを前面に打ち出して、これ見よがしをやる奴にはホントの金持ちはいない?というのが定説だけど……。

『相手の痛み』に無頓着ってのが、罪のない顔をして人としての大罪を犯すのは間違いない。

カネは確かに大きな要素だけど……品性とデリカシーの無い奴がカネを持つことから殺人に至る様な大間違いを演じてしまう?んだと思う……。

何気無い一言は人によっては何気無い訳じゃないって事だけど……。
時にその罪のなさと無頓着振りは殺人まで呼び起こすのである……。

カネは最後には『その額に見合う人品を要求する』のかな?……人品怪しい奴程その手から零れ落ちていく。

作品中のカネ持ちはカネと人品との間に余りにも大きな落差があり……死によって一度に回収されてしまったのである。
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