スマートニュースに心療内科医の方の記事があった。高度経済成長期には闘うべき敵の姿がはっきり見えた時代だったと。
バブル期にはひたすら『豊かさの追求』に徹した時代。これまた生きる目標・目的として捉え易かった……。
にべもない新自由主義へ向かう二千年代迄の十年間が人間のコミュニケーションの有り様がカラリと変わった端境期だった。
出来る限り人間関係を希薄にして『安全を確保しよう』とする『人間関係の回避型』が今、主流派となりつつある?……。
これはコロナが変えたんじゃなく、コロナはその回避型のスタンスを増幅させたのだと筆者は解説していた。
人間関係を減らせば?人間関係から来るトラブルは必然的に減るのは自明の理である。
アメリカではこの回避型コミュニケーションをとる人が25%超……。
日本ではそれよりも圧倒的多数の比率で回避型の人が存在していることは確かだという。
不思議なことに……鬱病、抑鬱的症状で心療内科を訪れる人の大半をこの回避型コミュニケーションスタイルの人が占めるという事実……を聞いて……オヤ???となった。
人間関係のトラブルを避ける為に……『回避型』の生活を採用したのに?何で心は疲れるの?と思ったのである。
一方で昭和を引こずるオッサン、オバハン世代は知り合いが多いことは良い事だ!なぁ~んて調子で上っ滑りの『演技性コミュニケーション』の人達が多い様に思う……。
これまた退職などで老人性鬱病の入り口に立つ人がかなり増えている。
よくよく考えて見れは?……大人になって回避型コミュニケーションに逃げ込む人達を育てた親世代である。差し障りのない演技性でコミュニケーションをこなして来たのが今の壮年、老人世代……。
情景的には陰陽両極のコミュニケーション術だけど……何方のタイプも根底には『人間関係恐怖症』が存在しているのだと思う。
親子でさえ子供が先回りして『イイコ症候群』で親に対峙しているのである。
何れにしても、両者共に作為的に人為的にして自分の本音、本性は心のずっと奥深くに隠している。
そこまで人を警戒し、避けれるものは出来うる限りとことん避けて生きている。
確かに人は人を酷い目に合わせたりもするから………。
くどくど分析していても埒が明かない。
んじゃ?どうすれば?って事が重要である。
様々を考えて出てきたキーワードは?
『不自然』というものだった。
一人で生きて行くんだけど?その自分一人を支えるのに様々な人との関わりを必要とする。
コレが『人間の自然な性質』なんだと思った。
『自分一人で傷付かない様に?』なぁ~んて端から無理。余りにも不自然なんじゃね?って。
傷付くのってとても嫌だけど……自分のホントの欲求や必要を求めれば避けて通れない関所なんである。その関所が嫌だから?旅をしない?ってのは本末転倒そのものだよね?って思ったのでした。
傷付いてもその後の旅を続けられる様にDNAに仕込まれてるのが人間の当たり前、自然な運びなんだろうと思ったのでした。
自分だけは上手く演ってやる?
なぁ~んてのは余りにも小賢しく……何より不自然なのである。
コンビニがありネットがあり、オンラインで仕事も出来る。稼いで食べて寝るだけなら何の不自由もない。
しかし生身の人間の『心の要求』はそれじゃ満たされないって事だと思う。
『面倒臭いから演らない!』ってのが何やら恋愛しない、交流しないって事の『錦の御旗的に語られる』昨今だけど……。
演り甲斐、生き甲斐ってね?
どんなに小さな事でも全〜部面倒臭いものなのです。
何もしなきゃ傷付くことも無いのに、たったこれだけの事を望んだだけでエライ酷い目にあうんだなぁ?……と何度呻いたことか?
ましてやホントの恋愛となれば、まぁコチトラの努力を軽〜く鼻で笑われ『趣味じゃありませんことよ!』なぁ~んて軽く一蹴されちまうのである。恐ろしく理不尽なものである。
それでもまた懲りずに深くて暗い川に舟を漕ぎ出すのは?
本物のドキドキは生きてる実感そのものをくれるからなのです。
面倒臭いなんて斜に構えないで……様々な物事に『自然に向き合う』のも面白んじゃね?
僕は何回も何回も傷付いたけれど……それでもチャレンジを未だに止めないのは?
結局、過ぎ去ってしまえば『面白いから』なんである。