サンチョパンサの憂鬱

岩窟王を演って見た……

怨念と復讐心、これに於いて僕は大家である。


酷い裏切りに遇っても何とか希望を捻り出し……前を向いてそうだ!これで良かったのだ!と思うのである。
そして頑張った分は必ず報われる。

しかし、人生は、紆余曲折当たり前、直ぐに次の障害がやって来る……。


すると……殊勝な心掛けは何処かに消える。

思い返しても仕方無いのにアンチクショー達の顔がまたぞろ目の前にちらつき始めるのである。三○代、四〇代前半までその繰り返しだった。

ある時ふと、思った。もう居なくなって随分と経つ人間が自分の心の中を占有している状態に気付き愕然となった。

未だに、腹黒く裏切っていった人間と一緒に自分は生きている?……その時だけで苦さは十分過ぎるのに……未だ自分は怒り狂うのか?……と。

裏切るより裏切られた方が良い!何度もそう思ったじゃないか?……と自問自答を繰り返した。
んで、実際その通りだったのだが……何故か?
飲み込み切れてなかったのかも知れない。

その反対の立場だったらと考えた時に、謎は解けた。
自分はその様な態度で人に煮え湯を飲ませたまままともに生きる度胸を失ったに違いないと納得出来た。その手の騙しは自分には通用しないだろうなぁと。


誰彼に説明して歩く訳じゃないから他人にバレるバレないじゃない。
しかし自分は自分の振る舞いの邪悪さを知り尽くしている……。
請け切れないよな?それは辛過ぎると思い至ったのだった。

そして、辛くなればそんな人間がまた心の中に住み着くのは、自分の人生に未だ依頼心、依存心が残っているからだと分かった。

請け負い切るしかないやね!……そう思ったときやっと……その怨念や復讐心は思い出に変わっていった……。

そして僕はとても楽になった。

でも……人を恨んではいけない!なんて僕は言えない。恨みなさい!しかしトコトンですよ。
そうすれば必ず『恨み疲れますから』と言うのが精一杯である。

無理して綺麗な人間ぶりっ子しなくて良かった……僕はそう思う。

恨み疲れた時に、その虚しさは理解出来るんだと思う。希望とか目標とか綺麗な事ばかりじゃなく、恨みだって自分の気持ちである。それにもトコトン付き合ってやるべきだと思う。

それも含めて自分を大切にするという事なんだと思う……。人に尊敬なんてされる必要はない。
しかし、自分が自分を肯定的に感じて生きてく事は……とても大切だ。

怨念も復讐心も自分の気持ちである。最後まで面倒を見て上げなさい!……それが若い人達への僕のアドバイスである……。
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