サンチョパンサの憂鬱

加害者演りながら被害者のまんまの心情で生きる……その不幸

今……80 50という問題に閉じ込められた人達がいる。
80代の親の介護をせざるを得ない50台の単身者という構図である。

子育てを終えようとしている女性達の話を聞いていて……やはりソコに『自己責任』というニュアンスを色濃く感じるのである。

若さがある時……『パラサイト』して独り身の自由を満喫しておいて❗今更……泣きを入れてんじゃないわよ❗ってなニュアンス。

遊びたい❗を我慢して何れだけ私達が苦しい子育て時代を過ごしたか?……解ったでしょ!……というある意味『復讐心理』がソコにある。

人間には二通りある。

自分が苦しんだ経験を『他者の誰にもに味合わせたくない❗』とする者。
片や……『解った?私の苦しみの経験❗』と演ってしまう者。

復讐心理にとらわれた人は境遇とかカネとかの条件は改善しても『心情は今なお被害者のまま』生きている自分に気付けないのである。

どういう状況であれ、その中で自分はどうするか?という自分基準で生きてはいないのである。

かつて『他者との対比』によって嘆き、今また『他者との対比』によって尊大に変わる……どちらにしても心は自分以外の他者に依存している構造に変わりはないのである。

『加害者的空気感』を発しながら……世の中の動向に組み敷かれた『心具合』は被害者状態なのである……。詰まり……ちっとも『自由を得ていない』という点に於いてである……。

クドクドと何が言いたいのか?

人生の経験は『何の為にしている?』ということが言いたかった。

『今の自分の心具合』ってあなた自身を喜んでいますか?……と。
恵まれない人達の不幸との対比を必要とする『幸福』なんてありませんよ……と。
40や50ソコらで人間が安普請に『出来上がっていませんか?』……と。

結局人間ってのは……『人の役に立つ事』によってしか自分を喜べないモノらしい……。

カネと利権に心を占領されてる人達の『際限の無い欲望』によって、何かに取り憑かれた様に……他者の犠牲に心痛むこともなく人の死さえ平然と踏み越えて進む姿……自分自身じゃなく、『数量を我が価値』とした者の悲劇である……。

恵まれなかったかつての自分の被害者意識がそのまんま温存され……自分の納得を信じられず『数量の虜』となった人達の『餓鬼道』である。

餓鬼は幾ら食べても満腹感を味わえなくなった人の姿を言うんだそうな……。

悔しかったかつての時代の経験は……今現在、現状の苦しみに喘ぐ人達の役に立てる為のモノなのだろう……。

我が子を失って……『こんな経験は私達を最後にして欲しい❗』……とこれからの人達の未来の無事を願い語れる人を見るに付け……『人と対比してしまう自分』の浅ましさを思い知る……。

狭小な被害者意識を乗り越えた人達に共通するのは……『それが犠牲になった子供達が報われる唯一の手立てとなる』……というモノである。

『与えられた苦しみ』もまた……『苦しみ抜かなきゃ自分のモノにはならない』という峻厳なルールを思う。
人の役に立つ❗……それはなんて難しい事んだろう?……。
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