サンチョパンサの憂鬱

好意と好意、善意と善意……必ずしも

心ならずも……という行き違い。

状況が変化すれば今まで通りとならない事多く……それが善意故に、好意あればこそ縺れる?なんてシーンがある。

一旦縺れると『拒絶ありき』へと暗転し、焦れば焦るほど悪化の一途を辿る。
『ご免なさい』を言えなくなり、何故か?悪意まで誘発するに至る……。

そんな時……一旦『諦める勇気』を必要とする。
あれほど楽しかった関係故に、心は何処までも沈み込んで行く……。
それを勇気を振り絞り、一旦諦めるのである。一切の未練を断ち、これからに向かう為の『今の最善』に心を砕くこと。

『自分には叶わぬ事がある❗』とトコトン言い聞かせて、今出来る最善にのみ注力するのである。

何時でも何処でも、何があっても守れる❗とした自分の思い上がりを反省するしかないのである。
自分から出来る限りの汚れ役に徹する事で……何かの学びにつなげること。

それを相手に対する『せめてもの誠意』とすること。
相手の無理解も当然あるだろう?
しかしそれは相手の専権事項……相手の問題なのである。

過ぎ去った時間は帰らない。
しかし活かすことは出来るのである。
自分として自分が出来る最善を以てこれからに臨む事……それが『良かった過去』をそれ以上損なわぬ『大切にする仕方』なんだと思う。

相手を以てして、怒りの材料にしないこと。
それが自分の過ごした良き時間に対しての、人間として出来る最上の流儀なのだと思う。

『自分は思うほど立派ではない❗』……生きれば生きるほど自分の無節操、無知、無力、そんな様々の凡庸が身に染みて来る……。
思い上がりの上げ底が削られ自分の正味に近付いていくのだろう……。

でもね?……ありもしない自分の力に過信を積み上げる事を考えれば……そんな経験も『お陰様』と思うのである。

自分に自分を教えてくれる得難い体験を相手から頂いた訳だから……。
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