サンチョパンサの憂鬱

夕刻のサンチョパンサ……人によって時間軸は様々

楳図かずおさんの記事を読んだ。

自分はずっと世間とイマイチ噛み合わずに生きて来た……。社会の自分の扱いは少々軽め。あの人には何をやっても良い?そんな感覚だった。

その原因は自分が何時も世の中より少し前を考えて進んでいたからだ……と。今になって考えると後になれば必ず自分の考えたことは本当になって来た……と彼は言う。

何時だったか?
人の生き方の時間軸には大きく分けて三通りあると書いたことがあった。

まだ来ぬ未来のことを理屈抜きに『未来形で分かる人』、今現在起こってる傾向を『現在形で考え理解する人』、そんな傾向はとっくの昔に過ぎ去ってしまい、終わってから『過去形で思い知る人』の三タイプだと……。

どの時間軸で頭を回して生きても人生は悩ましさと喜びに満ちている。
過去形人間と未来形人間とが同じ船に乗り合わせるとお互いに苦痛で悲劇となる。
お互いの正義が交わる事なんて絶対にないからである。

大政奉還の日も、江戸城開城の日も戊辰戦争勃発した日も……クワを担いで野良に出掛けた百姓も居たのである。今年の年貢は少ないかなぁ?なぁ~んて過去の習わしをベースに『思考しながら』である。

『あなたと知り合い?と仰る方が来られてます……』確かに昔の知り合い。お腹一杯!もう何も食べられない?なぁ~んて安酒のニオイプンプンさせながら罪のない笑い顔で罪深い態度……。
御免なさい。食事の店なんで……とお引取り願った。

折角来たのにぃ〜、時間潰せなくなったぁ!
もう……サヨナラ永遠に。
なぁ~んて言うから、そうして下さいな?と言って引っ込んだ。過去のお付き合いを適当にしてとっくにハズシてしまって長い不義理の時間が過ぎ去った事なんて全く頭にはない。

自分が相手に対して『どんな現在形』を積み重ねてきたか?
それが皆無。スッカリ欠落している。昔ながらの無礼を今日の今もなお、繰り返すのである。

真剣な思考より、古いマニュアルと安易なお愛想一つ頼りに上手く生きれると誤解してる過去形を生きる人達……。

暗黒を漂う様に泳ぐ深海魚さながらの、その『見えてなさ』って当人は幸せだよな?
死ぬまで『自分の罪』を感じないまま生きれるのだから……。

江戸城の暗愚な家老たちがそうだった様に……過去形を生きる人は『今と未来が見えないこと』を強みとして生きる。

この国の公共体に蔓延(はびこ)る『前例主義』も、変えずに放置したら今と未来を大きく損なう事、それが見えないことを唯一の頼りにした彼らの正義なのである。

彼等に取っての今はずっと『未来永劫過去なのである』……。

それを変えようとする奴がいる?……となると彼等は頑迷さで押し返そうとする。それが通用しないとなると温厚な表情の下から冷酷・残虐性、憎悪が表面に顔を出すという運びである。

未来形で生きる人には、過去形人間達の『NOの意味する所』に皆目見当が付かない。
それを表明する度に、過去形人間達の冷笑で遇される。

楳図かずお氏の言うところの『少し軽く扱われた?』という印象はそういう構図ゆえに感じた違和感だったのだと思う。

この三通りのタイプそれぞれに『無知の知』を必要とするんだと思う。

過去形人間は『自分は何かするより人に反対する時間ばかりが多いのは何故?』と考えること。 
今の事は分かるけど?……コレからはどうなの?と、そこ分かってない現在形人間は自覚すること。

一番正解を主張しながら多くの人間から疎まれ軽く扱われる未来形人間は、主張そのものの優劣ではなく、過去形人間達の反対の理由は何なんだ?と思考すること。

その動機は『自分は変えられてしまうかも?』という過去形人間の恐怖心なのだと『分かっていない自分を分かる』努力が必要なんだと思う。

相手に分かって貰う?それはある意味甘えた依存の一種。
結局人は『何故?』と自分に興味を抱いて自己疑問を突き詰めていくしか出来ないのである。

昔むかし過去形人間と論争になった時、『バカにしてるのか?』と激昂する相手に僕は魔法使いじゃないから人をバカにすることなんて出来ない。『あなたは自分で馬鹿になっているのだ』と辛辣な言葉を吐いたことを思い出した。

なんて不毛な論争だったんだろう……。楳図かずおさんの記事を読んでそんなことを思い出したのでした。
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