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舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

新潟演劇人トーーク!とは何か、を、語り尽くしたちひろともみぢの圧倒的雑談をまさかの自ら文字起こし!

2015-10-27 01:36:07 | 新潟演劇人トーーク!
10月7日(水)、8日(木)、9日(金)と、三夜連続で、USTREAM「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」の放送を行いました。
7日、8日は演劇の感想を語り、9日はこれからある公演イベント情報の告知を行ったのが、主な内容でした。


それぞれの放送については、ブログにまとめてあります。

10月7日(水)
放送前「【新潟演劇人トーーク!】感想タイム!赤毛のアン、夢ひかり、潟端の月、わらぼっち(10/7)
放送後「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!にて、わらぼっち、潟端の月、オズの魔法使い、赤毛のアン、の感想!

10月8日(木)
放送前「【新潟演劇人トーーク!】感想タイム!第二黎明期「TEN POINT」、御の字「キセキ」(10/8)
放送後「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!にて、第二黎明期「TEN POINT」、御の字「キセキ」、の感想!

10月9日(金)
放送前「【新潟演劇人トーーク!】宣伝タイム!近日~11月半ばくらいまでの公演イベント情報大募集!(10/9)
ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!にて、11月半ばまでの公演イベントの告知と、雑談を行いました。



で、10月9日(金)の放送の後半で30分くらい雑談したのですが、これがものすごく白熱しまして…
この前、ふと聞き返してみたんですが、自分で聞いてて、これが結構面白かったんですよね。





取り敢えず、雑談中のワンシーン。
ちひろが白熱しているのに、死んだ目をしているもみぢの図。





逆に、もみぢが白熱してるのに、死んだ目をしているちひろの図。
こいつら、本当に仲いいのか・・・?



…という冗談はさておき、この日の雑談、ものすごく素晴らしい雑談が出来たんじゃないかって、個人的に思ってるんです。
と言うのも、雑談の内容は、主にこの「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」という番組についてだったんですけど、自分達がどうしてこの番組をやっているのか、を、初めて二人でちゃんと言葉に出来た気がするんです。

僕ともみぢの二人が「ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!」を行う理由、一年半に渡って40回以上も放送をしている理由は、一言で言ってしまえば、この放送が好きだからです。本当にそれだけです。
もっと言うと、我々はこの放送を続ける価値のある放送だと思っているし、だからこそ、今まで続けて来られて良かったし、これからも続けて行きたいし、まあ間違いなく続けていくでしょう。

でも、もしも「それなら、あなたたちがそこまでして続けたい放送はどんな放送なの?」と聞かれたとしても、一言では上手く説明できない気がします。
それって「あなたたちにとって演劇って何なの?」って聞かれるのと同じで、一言で説明するのはとても難しいことです。

だからそんな時は「取り敢えず、一回放送見てみて」としか言えないんですけど、その人が絶対放送を見てくれるとも限らないので、なかなか伝わりにくいものなんだと思います。
でも、だからと言って、「絶対見てくれよな!」っていう気持ちともちょっと違うっていう、微妙な感じなんですね。

一番、理想的なのは、なんかもうこの番組が結構な話題になって、わりといい感じに雑誌とかで取り上げられて、そこでちひろともみぢがドヤ顔でインタビュー受けたり対談してたりが文章として載って読んでもらうこと、とかなんですかね。
でも、そのためには放送の人気と言うか知名度がなければいけないから…という訳で、この議論はふりだしに戻ります。



ちょっと待て!!
そもそも俺達はそんなことを悩む人間達だったか・・・!?

いや、違う!!
知名度とか人気とか評価とか話題性とか、そんなことは本来どうでも良くて、自分達が好きなように放送する番組だったはずだ!!

そもそも、誰かからの評価を待ったりするような俺達ではなかったはずだ!!
それなら!!誰からも求められなくても、やりたいなら自分達で勝手にやりゃーいいじゃんよ!!



という訳で、この日、ちひろともみぢの新潟演劇人トーーク!三夜連続放送の三日目、10月9日(金)の放送の雑談のほぼ全文を、自ら文字起こししてみました!
いやー、予想以上に時間かかりましたよ!

放送のアーカイブは一ヶ月で消えてしまいますが、文字はずっと残りますからね。
という訳で、かなり長くなりますが、張り切ってどうぞ!(都合により、微妙に加筆修正している箇所があります)




ちひろ 「ちょっとだけ雑談でもしましょうか。」

もみぢ 「はい。誰も聞いてないけど。」

ちひろ 「何かありますか? 完全にここから雑談ですけど。本当に雑談ですよ。」

もみぢ 「何喋ろう。」

ちひろ 「どうなんですかね、この放送。何かありますか?」

もみぢ 「やっぱりね、初日とか昨日に分散させるべきだったね…」

ちひろ 「あー、あるほどね。がっと集中したような感じだったもんね。」

もみぢ 「うんそうだね。だってかなりの人が見てくれてたじゃん。」

ちひろ 「確かにね…」

もみぢ 「でも、やっぱり告知には興味ない…(笑)」

ちひろ 「そう、それに気付いて。
 最初よく分からず始めた番組じゃないですかこの番組って。まあなんとなく僕はインターネットの動画で面白いを番組を作りたいって結構ずっと思ってて。それで偶然僕は演劇をやってたじゃないですか。それであなたも演劇をやってて、たまたま演劇って場所にいたから、じゃあ演劇を紹介する番組はいいんじゃないかなって思って、ゲストを呼んでみたいな感じでやってたじゃないですか。で一年以上経って、もう40回以上放送してる? 特別放送とかそういうの合わせて50~60回くらい?」

もみぢ 「いや、特別放送合わせて四十何回じゃない?」

ちひろ 「特別放送なしで?」

もみぢ 「39回目です今日で。」

ちひろ 「今日で39回か、特別放送入れないで。」

もみぢ 「そうです。でもそんなにやってないでしょ特別放送。10回もやった?」

ちひろ 「ちひろdeアートとか。」

もみぢ 「まあそれを一日一日を一回に数えたらそうなるけど。」

ちひろ 「誕生日の放送とか、そういうの合わせると40~50ぐらいじゃないですか。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「で、なんか、最初は結構ゲストを呼んで演劇を宣伝する番組みたいな感じだったじゃん。でもなんか今年になってから感想を言うことの方が多くなってきて。これは多分、俺が、あなたもそうなのか分からないけど、演劇に対する興味がそっちになったんだなって思って。演劇との関わりがそっちになったっていうか。」

もみぢ 「私はだけど、単純に、きっかけとしてはまずうちらが忙しくって、とてもゲストなんて呼べる放送は出来ない。日程的にも余裕もないから。」

ちひろ 「そうだね。時間も遅い時間じゃないと無理とか。」

もみぢ 「しかも決まるのが明日とかだったりするじゃん。明日放送しようって。」

ちひろ 「そうだね。前日に決定みたいな。」

もみぢ 「だったりしたし、去年はわりかしみんな出たいですって行ってくれる人が多かったっていうのがあったけど、結果としてゲストが来なくなった。って言うのと、うちらがゲスト呼ぶよりうちらが言いたいことが増えちゃったっていうことだと思う、単純に。」

ちひろ 「そうだね。言いたいことが増えたってのはでかい。
 えっと、二つあって。一つは、前提としてこの放送は二人とも有意義だと思ってるんですよ。まあやりたいんだよね。だけど、何でもやっていいわけじゃない。ここで暴言を吐いたりはしないですし、ある程度そういう最低限マナーは守るけど、それ以外では出来るだけ負担があると続かないじゃないですか。仕事みたいになっていくじゃん段々。それでつらくなったら何のためにやってんだって話なんで、負担のない感じで放送を続けていたら、今のような形になったっていうのが一つ。さっき言った忙しくなったのもあるし。ゲストは普通にありがたいんですけどね、来てくれるのは。前回の松崎さんと倉島さん出てくれたりとか、ありがたかったんだけど。けど、ゲストが来るとそれなりに我々も身構えたりするっていうのもあるし、あんまりゲストの人を振り回したくもないので、我々の都合で。っていうのが多分でかい。っていうのが一個ね。だから別にゲストが出て欲しくない訳では全然ないんだけど。そこにあまり重点を置きすぎなくなったってのが。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「で、もう一個が、その、さっき言ったみたいな、演劇の感想を話したいっていうのがやっぱりあって。前提として、演劇人トーーク!放送してない時でも我々ずっと話してるんですよね、こういうことを。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「本当にずっと話してるよね。」

もみぢ 「本当にずっと話してる。」

ちひろ 「会わない時期も結構あるんだけど。」

もみぢ 「でも会ってなくてもメールですごい長文とか打つからね。」

ちひろ 「メールで、例えば前回のあの演劇の中心はこういうことだったのではなかろうかとか、それを過去の作品と比べるとこういう点がうかがえるとか、そういう評論文みたいなことをお互い送り合うみたいな。ちょっと気持ち悪いんですよ我々ね。」

もみぢ 「ハハハ(笑)」

ちひろ 「そんなことをしているじゃないですか。」

もみぢ 「はい(笑)」

ちひろ 「そうしてるとなんか、ここ二人だけで完結してるのが勿体ないなって思い始めて。っていうのはその、なんか最初は単純にあの演劇面白いねとかその程度の話だったのが、段々それがなんか深くなっていって二人とも。僕としては、ちひろdeアートっての去年やったじゃないですか。
 
もみぢ 「うん。」

ちひろ 「あれをやったことで、自分が何かを表現するってことはこういうことなのかとか、人が表現するっていうのはこういうことなんじゃないかみたいなのが、僕の中で生じたのが、結構転機なんですよ。あれ以降、一個演劇を見ただけでも、この人の演技が上手いとか面白いとか、それだけじゃなくって、こうやって表現を人がしているのって、すごく意味があることなんじゃないかって。上手い下手とかだけじゃなくて、それ以前に何か素晴らしさがあるんじゃないかとか、そういうことを思うようになって。で、そういうことをあなたと話すじゃん、よく。それが、この二人の仲だけで完結してもいいんですよ、別に。何でかって言うと、俺の中で大事な何かが育つし、あなたの中でも育つし、で、お互い見えてないものを見せ合うことで、ああ、なるほど、っていう世界が広がっていく感じがあるじゃないですか。っていうのを、一年以上続けてきたら、なんか、すごい領域まで俺ら来てる気がするのね。変な言い方をすると。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「結局、俺らただの素人なんだけど、普通の素人が演劇とか見てたら辿り着けないような何かを、見つけようとしてる感があって今。」

もみぢ 「解明しようとしてる。」

ちひろ 「解明しようと。解明は出来てないんですけど、解明しようとしてる感が今すごいあって。で、もしかしたら、これって他の人が見たら面白いんじゃないかとか。っていうのは他の人が見たら、あ、なるほどそういう考えもあるんだとか思ってくれたりとか、逆にその人がなんかこう言ってきて、で、僕らが何か思う、ようなことがあるんじゃなかろうか、みたいなことを、ふと、思って。多分それの最初のきっかけが、二人で去年観た、劇団カタコンベさんの『嘘は鏡に映っても嘘』の感想を、二人で去年あんな演劇あったねって話してるうちに、なんか段々すごいことに二人とも気付き始めて、これってもしかして演劇そのもののさ、演劇ってそもそもそういうことなんじゃないのみたいな領域まで行って、これちょっと二人だけで完結するのは勿体ないから放送しようよってなって、放送した時に、結構あれ反響が良かったんですね。カタコンベさんが見てくれたし。」

もみぢ 「戸中井さんが観てくれたていう。」

ちひろ 「主宰の戸中井さんが見てくれた! っていうのがあって、それで、多分これは続けた方がいいなって思って、今があるわけですよ。」

もみぢ 「二瓶さんとか、昨日御の字さんが観てくださってて、おっしゃってたけど、こんなにも自分達の公演についてじっくりといいところも悪いところも感想を言ってくれて、それを聞く機会ってまあないですよね、って。だから、新鮮だったみたいなことを結構皆さん口を揃えてたと思うんですけど。こっちも新鮮じゃないですか。」

ちひろ 「新鮮ですね。」

もみぢ 「こんなにも本人たちが聞いてるっていう。」

ちひろ 「ねえ、基本的に誰も聞いてないっていうか、誰も聴いてないとそれなりに凹むんだけど、誰も聞いてないくらいの前提でやってるとこあるじゃん俺ら。」

もみぢ 「なんか、どうしてもさ、あの、何ていうの…近いじゃない、観る人もやる人も。普通に遊べる仲だったりとか、演劇人同士が。そうすると、やっぱり、面と向かって言えない感想があったり。あの、何だろうね、本当に目の前にいたら言えないこともあるし。でも、ツイートだったらちょっと言えることもある気がするじゃないですか。それに近いんじゃないかなって思ってて。放送っていう、ちょっと形式ばった形をとることで、言う方も聞く方も、体勢が取れるし覚悟が出来る、みたいな、のがあるんじゃないかな、っていうことがね、この番組の利点だよねきっと。」

ちひろ 「そうだね。」

もみぢ 「あと、どうしてもなんか、一人で見に行く人にとっては、感想を共有できなかったりとか。あの、映画見に行って、「あの映画どうだったー?」って言い合うのが出来ない。だから、共有する楽しみって、すごく実は大事って言うか、そもそも娯楽ってそういうとこが楽しいんじゃないって思うんですよ。」

ちひろ 「あの、この放送を始めて、起きた、こんなことがあるかっていう現象として、あの、感想を共有するのってすごく楽しいなってことに気付いて。例えば、僕が観てない演劇をもんちゃんが語って、「ああ面白そう見たかったなー」って思えるのって、これはこれでいい体験なんだよね。とか、「そんな面白い演劇あるんだー!へー!」っていうのって、演劇を実際見ると見ないとではもう全然違うんだけど、ただ情報として公演があったって思ってるだけよりは、その演劇を見る感動に少しだけ近付けるっていうか。この感じ。」

もみぢ 「そうですね。」

ちひろ 「例えば、演劇が全部その「学ぶ!」とか「勉強!」ではないけど、別にそういうために演劇があるとは俺は思ってないけど、例えば演劇を見ることで何か発見があったり学んだりする、大切なことに気付く、みたいなことってあるじゃん。で、「こんなことに気付いたんだよねー」、みたいな話を、例えばもんちゃんがすると、俺は演劇を見てないけど、「なるほど!」みたいなところに行けるじゃん。これって面白いなって思って。で、これは多分、我々だから成立する現象なんだけど、我々見たい演劇全部は観れないわけですよ。時間的にもお金的にも。なんだけど、例えば、僕が見てる作品だけどもんちゃんが観てないとか、もんちゃんが観てるけど僕が観てないって作品を、それぞれが観てこの放送とか、放送じゃないところでも、感想を言い合うと、なんか見た気持になるっていう。」

もみぢ 「そうそうそう(笑)」

ちひろ 「これ、なんかね、こんなことあるんだ人間って思って。」

もみぢ 「すごいよね、ここね、それ。」

ちひろ 「あの、昨日の、もんちゃんが魚沼産☆夢ひかりの『オズの魔法使い』を見て、俺がAPRICOTと劇団ひまわりの『赤毛のアン』を見て、感想をそれぞれが言い合ったのが、なんかそれなんですよ、まさに。もんちゃんが、すごく演出家の先生がいい人で、舞台上に出て来た、って話したら、なんか想像上のその光景が俺の頭の中に浮かぶんですよね。で、「ああいいもの見たなー!」って気持ちに何故かなるっていう。見てないのに。この感じすごいなーって思って。」

もみぢ 「分かる。」 

ちひろ 「でも、これはね、あの、何ていうか、多分伝わりにくい感覚なのかな。」

もみぢ 「ここは特殊だよね。あの、共通言語がね、あるんですよ。私これ演劇に出会って共通言語って言葉知ったんですけど。あの、いわゆる、言葉を交わさなくても通じ合う仲みたいなものって、前ちひろさんがつぶやいてたかブログに書いたかしてたけど、あれは綺麗事であって、もう数えきれない言葉を交わし合った結果、言わなくても分かるようになっただけなんだっていう。」

ちひろ 「そうそう、そうなんですよ。だから、人は言葉を通じ合わなくても分かり合う仲にもしなりたかったら、めちゃくちゃ言葉を交わさなきゃいけないっていう。」

もみぢ 「そう、それを自然としてた。」

ちひろ 「我々はそれをこの放送があることでしてたみたいな。」

もみぢ 「あ、まあそうですね。だから、あの、ちひろさんが言う面白かったっていうのは、こういうことである、みたいなのが伝わるんだよね私には。」

ちひろ 「そうそう、そういうことそういうこと。」

もみぢ 「…っていう、現象がここで起こるから、私たちは分担制が出来るんですよ。観劇が分担できる。」

ちひろ 「だからもしかしたらだけど、これが例えば僕らが観てるけどお客さん(視聴者)が全然見てないものをお客さんが「あー面白い演劇があるんだなー」みたいに思って、それが、もしかしたらちょっと分担が出来てたらいいなって。」

もみぢ 「そうそう。やっぱり土地的に見に行けない人とかが、でも、電波では見れるわけだから、私達の言葉によって、ちょっとでも見た気になれたら、得って言うか。」

ちひろ 「そうそう、得ですよ。」

もみぢ 「そりゃ生には勝てないけど。」

ちひろ 「絶対に勝てないんだけどね。」

もみぢ 「でも、なんかちょっとでも喜びを分かち合えたりとかしたらいいじゃないですか。」

ちひろ 「なんて言うか、素敵なことですよね。なんか結構これ友達とかと話してても起きて。なつきとかさ、牧田夏姫ね、東京とかに俺がよく知らない演劇とか見に行ってて、「あの演劇にこういうことがあってすげー感動した!」とか言って、俺が「やべーじゃん!それ!」とか思うと、演劇は観てないけどその感動だけは伝わるみたいな。何らかの何かは伝わるじゃん。この感じなんですよね。」

もみぢ 「それがこの番組で出来ると。」

ちひろ 「うん、楽しい。」

もみぢ 「まあ感想だけじゃないけど、例えば、出演した人がクリエイションの場でのことを語る時にも、同じことが起こったら、きっとプラスなんじゃないかなと思うんですよね。」

ちひろ 「そうだよね。だって、言ってみればトーク番組とかさ、テレビのインタビューとか雑誌のインタビューとか、まさにそれなんだよ。情報だけなんだけど、その人のクリエイトしてるところは我々には見えないけど、楽屋裏みたいなのは見えないけど、読むことで「なるほど」って想像するわけじゃん。それと一緒だよね。演劇の面白かった感想を話してる人をみて、「へー、そんな面白いものがあるんだ!いーなー!」って思うのって、別に一緒なわけじゃん。インタビューとかはもう文化として成立してるわけじゃん。だったらこういうことも全然成立するなーって思って。っていう意味で、だから告知って言うのは別に取って付けたようなもので… そう、今日告知しながら、昨日とかの放送ってさ、なんかすごい乗ってた感じがあるのね二人とも。だけど今日はなんか、途中まであんまり乗ってなかったじゃん。これ何が違うのかなて思ったら、我々が感動を伝えるっていうのじゃなくて、ただ情報を伝えるだけだったじゃん最初は。段々乗ってきて上手いこと行ったんだけど。」

もみぢ 「単純に私はお客さんがいないから乗らないだけだと思った。」

ちひろ 「あとね、二人とも眠いって言うのが。」

もみぢ 「ハハッ!(笑)」

ちひろ 「あ、あともう一個、結構この放送を私がやる理由なんだけど、演劇をやる人も見る人も、自由であって欲しいっていう気持ちがすごくあって。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「って言うのは、まず、やる人は、何だろうなあ、どうしてもやるってなると、その、結果を出さなきゃいけない。まあ、それは大事なんですよ。団体を運営する団体を継続していく上で結果を出していくって言うのは、すごく大事なことだと思うんだけど。でもそれにとらわれると、どんどん不自由になっていく感じがするのね。例えば「こんな公演やったらお客さん怒るかなあ」とか、「こんな企画だったら集客が見込めないんじゃないか」とか、「そもそもこんな企画通らないから諦めよう」みたいな。それって不自由な感じがするんだけど、そうじゃなくって、「これやりたいんです失敗してもいいけど」くらいの気持ちで、「まあ失敗するかも知れないけど、やりたいことがあるんで、ちょっとやってみてもいいですか」みたいな、そういう自由さがあっていいと思うのね。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「で、演劇ってそういう可能性が、まあ演劇だけじゃないんだけど、あるものだと思ってるんだけど。で、それと同じくらい、演劇を見る人ももっと自由であって欲しいなあって僕は思ってて。それはどういうことかって言うと、要するに、感想はみんな自由に持っていい!っていう。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「やっぱりどうしても思っちゃうのが、例えばすごい有名な評論家とかが「面白くない」って言うと、「え、俺これ好きなのに面白くないの…? え、いいじゃん…」って思ったりとか。逆にみんなが「いいよねー!」って言ってると、あんまり好きじゃないのに「ああ…いいよね…」みたいな感じになっちゃったりとか。あとはなんか、なんですかね、「知り合いだからあんまりこういうことは言いにくいよね…」みたいな。感想とかも「あんまり良くないところもあったけど、そこは目をつぶっておこう…」みたいなこととかって、結構あるじゃないですか(笑) それはまあ別に仕方ないんだけど、なんか不自由な感じがするのね、そういうの見てると。だけど、本来もっと自由に、面白かった時は「面白い」って言っていいし、面白くなかった時は「面白くなかった」って言っていい。で、それは別に一個一個自由で。それは「面白くない」って言うことが、なんですかね、作家に「お前は人としてダメだ!」って言ってるのとは全然違うわけじゃん。だから、普通にみんな自由に言い合った方がいいのなーって思ってて。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「だから、自分達が、せめて自分達だけは自由に言い合える場を作っておきたくて、この放送を続けてるみたいなところがあって。」

もみぢ 「うんうんうんうん。で、結果として、私達がそういう姿勢を取ったことで、別に意図はしてなかったけど、私達は私達に素直になっただけだったんだけど、その姿勢が、あの、結果として、評価…評価っていう言い方は変だな…例えば似たようなことを考えていた人が、「実は私もそう思ってましたー!」って言ってくれたりとか。」

ちひろ 「あー、なるほどね!」

もみぢ 「なんか、だからこそ、私達のことを、応援してくれたりとか、時に気にかけてくれたりとか、って言うことが起こったよね、って思って。この一年ぐらい、特に。」

ちひろ 「確かに。思いもよらない展開というか。」

もみぢ 「そうそう、思いもよらないところから。」

ちひろ 「だって、まさか二瓶さんがこんなにねえ!こんなに!「いやー、なんかいい感想を言っていただいて」とか、「あ、にへーさんから俺がこんなこと言われること、あるんだー!」って思ったりねえ。」

もみぢ 「だって番組やってなかったら多分どこかでお会いしても挨拶をするとか、「どうもー」みたいな感じで終わったと思うんですよ。」

ちひろ 「そうですね。」

もみぢ 「そう、だったり、なんか、まあ多分、リアルタイムじゃないけど実はアーカイブでいつもこっそり見ていてくださっていた方が、全然知らないところで「あの二人の番組は」ってコメントしてたりとか。」

ちひろ 「はいはいはいはい。」

もみぢ 「えっ!いつ見てた!? っていう。

ちひろ 「どれ見た!? みたいな。」

もみぢ 「とか、結構そういうことが起こってて。」

ちひろ 「そうだね。」

もみぢ 「だからなんかすごい。だからこそ、今誰も見てなくても、残るし、残ることって…」

ちひろ 「一ヶ月間誰かが見るかもしれないし。」

もみぢ 「そうそうそう。あの、時差であっても、遅いってことはない。気付きに遅いってことはないから。」

ちひろ 「そうだね。」

もみぢ 「なんかねえ、今この時代だから、今すぐTwitterとかで感想欲しいみたいになっちゃうけど、人と言うのは。」

ちひろ 「人と言うのはね。」

もみぢ 「ってなっちゃうけど、遅れて恩恵がくることって絶対あるなー、みたいな。」

ちひろ 「そうだね。」

もみぢ 「って思っているよ。」

ちひろ 「超真面目な話になった(笑)。あの、普段の我々マジでこういう会話ばっかりしている気持ち悪い人達なので。」

もみぢ 「そうそう。普段のうちらの会話だね。」

ちひろ 「普段の俺らの会話ですよ。」

もみぢ 「ハハハ!」

ちひろ 「あの、今日の放送で一番気を使ってないですね今。ハハハ!」

もみぢ 「うん、そうですね。」

ちひろ 「あの、うん、なんか、基本的にはその、みんな自由に生きていればいいのになっていう風に何で僕が思うかって言うと、自分が自由に生きていたいからで。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「要するに自分が自由に生きていても、みんなが自由じゃなくなっていくと、それが当たり前になっていくと、自由に生きていないことの方が普通みたいな世界になっていくと、自分が結果的に生きていけないわけじゃん。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「だから、自分が自由になりたいがために、この放送があるわけね。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「だからその、言ってしまえば別に、ねえ、演劇人トーーク!みたいなタイトルですけど、その、こういうこと言うとアレだけど、演劇文化に貢献したいって思ってるわけでは決してない!」

もみぢ 「全然ない!」

ちひろ 「全然ないんですよ!本当に全然思ってなくて。あの、ねえ、新潟の演劇を盛り上げようとか…こういう言い方すると怒る人いるかな…微塵も思ってないんですね!僕は!」

もみぢ 「でもだからこそタイトルが演劇“人”トーーク! なんですよ。あの、演劇をピックアップしようと言うよりは、演劇人って言うか。」

ちひろ 「ああ、そうですね!」

もみぢ 「結果として私達に近しい人達っていうか友達とかが。」

ちひろ 「結果的に我々に近しいところに演劇人がいっぱいいたから。」

もみぢ 「で、だから、そういう人達のことを知ると応援したくなったり、紹介したくなったりするから、演劇人を掘り下げよう、っていう。」

ちひろ 「そうですね。そう言えば当初そんな意図でしたね。」

もみぢ 「私が毎回のように言ってるじゃないですか(笑)。」

ちひろ 「そうですね。」

もみぢ 「演劇人の生態について。」

ちひろ 「広く浅く時に深く。」

もみぢ 「勝手に切り込むと!言ってるのがまさにそのことで。だから誰に頼まれたわけでもないし、私達の気まぐれで掘り下げたいものを掘り下げる。」

ちひろ 「ここで話すと長くなるから話さないけど、本当にだいぶ掘り下げてるんですよ(笑)。」

もみぢ 「そうそう。」

ちひろ 「あのさ、昨日の放送でさ、『TEN POINT』の感想の時に内藤くんのことを僕ら一年間ずーっと考えててみたいな、なんかそう言うの気持ち悪いんだけど。」

もみぢ 「ハハハ!」

ちひろ 「内藤くんって、今までこういう演劇やってこういう演技やってこういう内藤陽介くんの色んな歴史があるわけだけど、この人ってきっとこういう人なんじゃいかなとか、こういう人っていうことは、こういう気持ちだからこういうことやるんじゃないかなとか、勝手な想像ですよこれ! あと、演技じゃない例えば普段の会話の中で彼が話したこととか、ツイートの何かから感じたこととかを、「これってさあ内藤くんってやっぱりこういう人なんじゃないかな」みたいなことを勝手に僕ら二人で掘り下げてたんですけど。実はそれ本当に別に内藤陽介くんに限ったことではなくて、本当になんか、大抵の人を掘り下げてますよね、我々(笑)。」

もみぢ 「そうだね。」

ちひろ 「あの、そうですね、新潟演劇…演劇に限ったことではないんだけど、演劇に限ってだけ言っても、新潟県とか新潟市とか…」

もみぢ 「近い人は目につくからね。」

ちひろ 「少なくとも新潟市で演劇をやっている大体の人を、ある程度まで勝手に掘り下げたなって思ってるんだけど、この一年間。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「皆さんの知らないところで。」

もみぢ 「そうだね。

ちひろ 「って言うのは、別にそれをやることで、なんですかね、例えば演劇の質を向上させたいとか、何かを残したいとかじゃなくて、単純に俺らがそれが面白いからやってる。」

もみぢ 「うん、何にも還元されない。」

ちひろ 「何にも還元されないんですけど、なんか別にそこで話したことをそのまま放送しても多分誰も得をしないんだけど。」

もみぢ 「つまらないし、意味が分からないと思う。」

ちひろ 「意味が分からないし、「お前ら何なの?」ってなるんだけど! でもそこでなんか俺らが、なんか、「あれ、これって大事なんじゃね?」って思ったことの片鱗とかでも、伝えられたらいいなー、みたいな。」

もみぢ 「うんうん。」

ちひろ 「で、そこでその演劇の感想ってすごく便利で。例えば、「あの人って何とかで何とかで、こういうことを言う人ってこういうとかあるよね」みたいな話ってただの噂話なんで、何の話してるのか伝わりにくいじゃないですか。でもそこに演劇っていう枠があると、「この演劇に出て来るこの人ってこういうことしたからこうなったのかな」とか、あと「この役者さんってこういう気持ちで演劇やったのかな」みたいな感じで、掘り下げるために、便利なツールなんですよね、演劇って。この手の話に。」

もみぢ 「うんうん。」

ちひろ 「だから、便利なんです!演劇は!」

もみぢ 「あの実名とか、リアルの人だと、こう偏見が入ってしまったり語れなかったりすることが、お芝居にすることによって、なんて言うの、お芝居にするこによって、平等な視点だったり、なんだろうね。」

ちひろ 「そう、そうなんですよ!」

もみぢ 「冷静な視点だったりっていうのが。で、シェア出来るよね!」

ちひろ 「そうそう!シェアできる!」

もみぢ 「シェアして交換できる。」

ちひろ 「それが本当に便利だなって思って。演劇便利だなってことに最近気付きました。そうですね、便利です演劇は。例えばさ、人が殺された事件が起きて、それから学ぼうとかしても、本当に目の前の死体を見て語るわけにいかないし、そのためにましてや誰かに誰かを殺させるわけにもいかないし、じゃあ実際の事件を引き合いに出そうとしても、なんかそれも心に重いし、みたいな時に、演劇の中で例えばそういうことが起きると、それを掘り下げることが出来るじゃないですか。そういう意味でも便利だなって思う演劇って。なんて便利っていう。なんて便利! 演劇便利! っていうね。」

もみぢ 「うんうん。」

ちひろ 「そんなことに最近気付きました。」

もみぢ 「うん。」

ちひろ 「…30分くらい雑談してます。」

もみぢ 「そうですね。今日は早めに切り上げていいんじゃないかなって思っているよ。」



と言いつつ、残り3分間くらいさらにどうでもいい雑談するちひろともみぢ。



ちひろ 「これは言っとかないと。我々別に付き合ってないですからね。」

もみぢ 「はい。これ定期的に言っとかないとね。」

ちひろ 「今日も司山さんから言われたからね。」

もみぢ 「司山さん!」

ちひろ 「司山さん!」





司山さん!

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