私の名は狐。
かつてはしがない看板屋に勤めていた平凡な一市民であり、退屈な日常と戦い続ける懸垂幕書きの生活者であった。
だがある夜、ファジアーノ岡山がJ2入りを目指してJFLを戦っているという新聞記事を読んだことが私の運命を大きく変えてしまった。
その記事を読んだ翌日から世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。
いつもと同じ町、いつもと同じ角店、いつもと同じ公園。
だが何かが違う。
路上を行き交う人々は輝いて見え、建売住宅の庭先に聞こえるピアノの音は歓喜に満ち、牛丼屋のカウンターで慌ただしく食事をする人達さえ愛おしく思える。
この町は、否、この世界は光り輝く世界となった。
一年を経ずしてファジアーノ岡山はJFLを駆け抜けてJ2に昇格した。
ファジアーノが一年でJFLを抜けてJ2に昇格するなど誰が予想し得たであろう。
『FROM OKAYAMA TO J LEAGUE』のチームスローガンは一年で終わった。
しかし、ファジアーノとファジサポにとってJ2昇格は新たなる始まりに過ぎない。
アマチュアリーグを卒業したその日からファジアーノとファジサポの生き延びる為の新たなる戦いの日々が始まったのである。
奇妙な事にプロスポーツ不毛の地と呼ばれた岡山でファジアーノ岡山はJ2の猛者チームにコテンパにされながらも多くの観客動員数を誇っていた。
そしてさらに奇妙な事に岡山県民であることを自虐的に語ることが多い岡山人達が「岡山大好き」とすら言い出し始めたのである。
当然、ファジサポ達は岡山県の誇りという大義名分のもとにファジアーノの応援に熱を込めた。
初年度はJ2最下位に沈む。
2年目は17位に終わった。
ある者はなかなか勝てないファジアーノに業を煮やし、おそらく欲求不満の解消であろう、時折カンスタで的を外した野次を放った。
何が不満なのか知らんが実に可愛くない。
しかし今のファジアーノはJ1昇格を狙えるチームにまで成長した。
あの運命の夜からどれ程の歳月が流れたのか。
今、我々の築きつつあるこの世界に殺伐とした雰囲気は無用だ。
我々はJ2の過酷なサバイバルを生き抜き、J1、さらにその先の世界の舞台での栄光をいつか実現するだろう。
あぁ、選ばれし者の恍惚と不安、共にファジアーノにあり。
岡山県民の未来がひとえにファジアーノの双肩にかかっていることを認識するとき、眩暈にも似た感動を禁じ得ない。
狐著 ファジアーノ岡山前史第1巻 JFLを越えて 序説第3章より抜粋
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