「初戦の難しさ」であるとか「ふわふわした気持ちで試合に入ってしまった」とか述べたところで意味はないです。
重要なのは『何をしたのか』や『何をしなかった』であったり『何が出来たのか』や『何が出来なかったのか』なのです。
「緊張していた」とか「油断した」とかを真っ先に述べても意味はないのです。出来なかった言い訳なんて幾らでも考えることが出来ます。
『何をすればよいのか』や『何をしてはいけないのか』が議論の対象となるべきなのです。
そしてやるべきことが出来なかったのならば、やるべきことが出来なかったと断ずるべきなのです。
「やれるはずのことが何故に出来なかったのか?」を代表チームで論じても意味はないのです。
だってそうでしょう?
少し前に練習試合で代表チームのパフォーマンスが悪いという理由で代表監督が更迭されたのですから。
現れた事実のみで評価を下すべきです。
「緊張していた」とか「油断していた」とか本当のところは本人しかわからないあやふやな言葉で代表のパフォーマンスを論ずるべきではありません。何の教訓にもなりませんから。
『何をしたのか』や『何をしなかった』であったり『何が出来たのか』や『何が出来なかったのか』に関するレベルを論ずればよいのですよ。
個々の選手にはそれぞれ事情はありますよ。
そしてチームにも事情はあります。
しかし普遍的な教訓を抽出しようとするならば、現れた事実のみで評価を下すべきです。
個々の事情を酌みながらも、事実のみを拾い上げて検証するしかないのです。
冷たい作業のように思えるかもしれませんが、それをやらないと細かい検証は不可能となってしまう。と私は思っているのでございます。
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