狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

Careful with That Axe, Eugene

2020年04月17日 21時36分05秒 | 曲名がタイトルの日記
 本日4月17日は、天智天皇が近江宮に遷都した日で、対馬の国司が日本で初めて産出された銀を朝廷に献上した日で、豊臣秀吉が吉野の花見を開催した日で、文部省博物局が湯島聖堂の大成殿を文部省博物館として日本初の博覧会を開催した日で、日清戦争の講和条約である下関条約が調印された日で、シベリアのレナ川付近でストライキを行っていた金鉱労働者をロシア帝国軍が射殺した日で、前日にロシアに帰国したばかりのウラジーミル・レーニンが四月テーゼを発表して戦争を続ける臨時政府の全権をソビエトが握るべきと主張した日で、日本政府が憲法改正草案を公表した日で、コミンフォルムが解散した日で、アポロ13号が地球に帰還した日で、カンプチア民族統一戦線がプノンペンを制圧してロン・ノル率いるクメール共和国が崩壊してポル・ポト率いるクメール・ルージュが実権を掌握しやがった日で、阪神甲子園球場で行われたプロ野球・阪神タイガースVS読売ジャイアンツの試合でランディ・バース選手と掛布雅之選手と岡田彰布選手がバックスクリーン3連発を放った日で、オランダとシリー諸島の間の三百三十五年戦争の終結が宣言された日で、長崎駅前で長崎市市長の伊藤一長が山口組系暴力団員に銃撃された(翌18日未明に胸部大動脈損傷等による大量出血により死亡)日で、シアトルマリナーズのイチローがアナハイムエンゼルス戦で日米通算3086安打を達成して張本勲の持つ日本プロ野球最多記録を更新した日です。

 本日の倉敷は曇りでありましたよ。
 最高気温は十八度。最低気温は八度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。



 あれは……白昼の悪夢であつたか……それとも現実の出来事であつたか。
 晩春の生暖い風がおどろおどろと火照つた頬に感ぜられる、蒸し暑い日の午後であつた。
 用事があつて通つたのか、散歩の道すがらであつたのか、其れさえぼんやりとして思い出せぬけれど、私・狐は或る場末の見る限り何処までも何処までも真直ぐに続いている広い埃つぽい通りをてくてくと歩いていた。
 洗い晒した単衣物の様に白茶けた商家が黙つて軒を並べていた。
 三尺のショウウインドウに埃で段だら染めにした小学生の運動服が下つていたり、碁盤の様に仕切つた薄つぺらな木箱の中に赤や黄や白や茶色などの砂の様な種物を入れたのが店一杯に並んでいたり、狭い薄暗い家中が天井から何処から自転車のフレイムやタイヤで充満していたり、そして其れらの殺風景な家々の間に挟まつて細い格子戸の奥に煤けた御神燈の下つた二階家がそんなに両方から押しつけちや厭だわという恰好をしてぼろんぼろんと猥褻な三味線の音を洩していたりした。
 『かつて賢き女ども座せり。此処彼処に。或る者は縛めの鎖を整え、或る者は敵の軍兵を押さえ、或る者は鎖を毟り取れり。「縛めを脱し、敵を逃れよ!」』
 お下げを埃で御化粧した女の子達が道の真中に輪を作つて謡つていた。
 『縛めを脱し、敵を逃れよ!』という涙ぐましい旋律が、霞んだ春の空へのんびりと蒸発して行つた。
 男の子等は繩飛びをして遊んでいた。
 長い繩の弦が粘り強く地を叩いては空に上つた。
 田舎縞の前を肌蹴た一人の子がぴよいぴよいと飛んでいた。
 其の光景は高速度撮影機を使つた活動写真の様に如何にも悠長に見えた。
 時々、重い荷馬車がごろごろと道路や家々を震動させて狐を追い越した。
 ふと狐は、行手に当つて何かが起つているのを知つた。
 十四五人の大人や子供が、道端に不規則な半円を描いて立止つていた。
 其れらの人々の顔には、皆一種の笑いが浮んでいた。
 喜劇を見ている人の笑いが浮んでいた。
 或る者は大口を開いてげらげら笑つていた。
 好奇心が狐を其処へ近付かせた。
 近付くに従つて、大勢の笑顔と際立つた対照を示している一つの真面目くさった顔を発見した。
 其の青醒めた顔は、口を尖らせて何事か熱心に弁じ立てていた。
 香具師の口上にしては余りに熱心過ぎた。
 宗教家の辻説法にしては見物の態度が不謹慎だつた。
 一体、之は何事が始まつているのだ?
 狐は知らず知らず半円の群集に混つて聴聞者の一人となつていた。
 演説者は、蒼白い肌に漆黒の髪が艶やかな若く美しい女であつた。
 鬘の様に綺麗に光らせた頭髪の下に蒼白く冷めた顔。ぱつちりと大きく見開いた瞳。妖艶な真赫な脣。高い鼻。そして着物の裾からは砂埃に塗れた跣足の足が覗いていた。
 「……私はどんなに夫のことを愛していたか」
 演説は何度も繰り返されて今や高潮に達しているらしく見えた。
 女は無量の感慨を罩めてこう云ったまま、暫く見物達の顔から顔を見廻していた。
 「殺す程に愛していたのです。……。でも悲しい哉、あの男は浮気者だつた」
 どつと見物の間に笑い声が起つたので、其の次の「いつ余所の女とくつつくかも知れなかつた」という言葉は危く聞き洩す所だつた。
 「否。もうとつくにくつついていたかも知れないのです」
 そこで又、前にもました高笑いが起つた。
 「私は心配で心配で」
 彼女はそう云つて首を振つて「気が狂いそうでした。私は毎晩寝床の中で夫に頼みました。手を合せて頼みました」笑声。「どうか誓つてお呉れ。私より外の女には心を移さないと誓つてお呉れ……。……。併し、あの男は如何しても私の頼みを聞いては呉れない。手練手管で其の場其の場を誤魔化すばかりです。でも……其れが……其の手練手管が……どんなに私を惹きつけたか……」
 誰かが「ようよう。御馳走様!」と叫んだ。
 そして、笑声。
 「皆様」女はそんな半畳などを無視して続けた。
 「あなた方が、若し私の境遇に遭つたら一体如何しますか? 之が殺さないでいられましやうか? ……。あの男は寝顔が可愛いのです。につこりと笑つて寝る姿はとても可愛いのです」
 女は顔を上げて笑顔を見せた。
 赤い唇が半月状に吊り上がる。
 「……。あの男の寝姿を視ているうちに私は今だと思いました。此の好もしい姿を永久に私のものにして了うのは今だと思いました。……。用意していた千枚通しを、あの男の胸に力任せに叩き込みました。笑顔の消えぬ内にあの男は……死んで了いました」
 賑かな広告の楽隊が通り過ぎた。
 大喇叭が頓狂な音を出した。
 『蛇が這い来たりて人傷つけたり。ウォーデン 九つなる栄光の枝を取り、蛇を打ちつくるに、これ九つに砕け散りぬ。此処において林檎は毒に打ち克ちて、以後蛇人の家に住まうことを欲さざるなり』子供等が節に合せて歌いながら、ぞろぞろと付いて行つた。
 「皆様。あれは私のことを触れ回つているのです。私のことを人殺しだ人殺しだとそう云って触れ回つているのです」
 又、笑い声が起つた。
 楽隊の太鼓の音だけが、女の演説の伴奏ででもある様に、いつまでもいつまでも聞えていた。
 「……。私は夫の死骸を五つに切り離しました。胴が一つ。手が二本。足が二本。之で五つ」
 「……。あなた方はあの水の音を聞かなかったですか?」女は俄かに声を低めて云つた。
 首を前に突き出し目をきよろきよろさせながら然も一大事を打開けるのだと云わぬばかりに、「三七二十一日の間、私の家の水道はざーざーと開けつぱなしにしてあつたのですよ。五つに切った夫の死体をね、四斗樽の中へ入れて冷していたのですよ。之がね皆様」此処で女の声は聞えない位に低められた。
 「秘訣なのよ。秘訣なの。死骸を腐らせない。……屍蝋というものになるの」
 屍蝋……。
 或る医書の「屍蝋」の項が、狐の目の前に其の著者の黴くさい絵姿と共に浮んで来た。
 一体全体この女は何を云わんとしているの?
 何とも知れぬ恐怖が狐の心臓を風船玉の様に軽くした。
 「……。夫の胴体や手足が可愛い蝋細工になつて了つた……」
 「ははははは、お極りを云つてらあ。お前それを昨日から何度おさらいするんだい」誰かが不作法に怒鳴つた。
 「皆様」女の調子がいきなり元に戻つた。
 「私が述べていることを理解してくださらないのですか? 皆様は夫が家出をした。私は捨てられた女だと信じ切つているのでしやう。しかし私はあの男を殺したのです……」
 ……。断切つた様に笑声が止んだかと思うと、女は俯き、又囁き声で始めた。
 「それでもう、あの男は本当に私のものになり切つて了つたのです。ちつとも心配はいらないのです。接吻のしたい時に接吻が出来ます。抱き締めたい時には抱き締めることも出来ます。私はもう此れで本望です」
 「……。でも用心をしないと……。私は人殺しなのだから……。いつ巡査に見つかるかしれない……」
 女は顔をゆつくりと上げた。
 そして狐の顔を見詰めた。
 女の声はか細く小さくなつていた。
 「……。私は、夫の遺骸を隠すことにしました……」
 女は低く笑つて幽かな声で云う。
 その声は誰にも聞こえていないかのようだつた。
 「ほら……あなた……見て御覧。夫の死骸は……私の店先に飾つてあるのよ」
 狐ははつと後ろを振り向いた。
 今の今迄、気の付かなかつたすぐ鼻の先に日覆い……「薬」……「請合薬」……見覚えのある丸ゴシツクの書体……そして其の奥の硝子張りの箱の中の人体模型……。
 其の女は薬屋の女主人であつた……。
 「あすこなら……誰も気が付かないでしやう」
 周囲の人達、大勢の人達はもはや女の声が聞こえていないのだろうか?
 女の囁きは小さくか細く聞き取りにくい。
 何がそうさせたのか。狐はいつの間にか日覆の中へ這入つていた。
 目の前の硝子箱の中に若く美しい男の顔があつた。
 目を瞑りにつこりと笑つている。
 精巧な蝋細工の人形……。のはずだ……。人の首ではないはずだ……。
 すーつと心臓が喉の所へ飛び上つた。
 狐は倒れそうになる身体を危く支えて日覆から逃れ出た。
 女の演説は又、最初に戻つたやうだ……。
 「……私はどんなに夫のことを愛していたか」
 狐は女に見つからない様に注意しながら群集の側を離れた。
 ……。
 振り返つて見ると、群集の後ろに一人の警官が立つていた。
 彼も他の人達と同じ様ににこにこ笑いながら女の演説を聞いていた。
 狐は眩暈を感じながらひよろひよろと歩き出した。
 行手には何処までも何処までも果てしのない白い道が続いていた。
 陽炎が立並ぶ電柱を海草の様に揺つていた。




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