昨日の夜は、映画『サラエボの花』のDVDを観ていました。
舞台は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボ。
エスマは12歳の娘・サラと暮らしている。
極貧生活で娘の修学旅行の代金を友人や知人に借りようと方々に頼むが友人や知人も生活に困っていて貸すお金が無い。
娘のサラにはサラの父親は紛争で亡くなった殉教者であると教えていたが……。
監督は、ヤスミラ・ジュバニッチ。
出演者は、ミリャナ・カラノヴィッチ、ルナ・ミヨヴィッチ、レオンア・ルチェフ、ケナン・チャティチなど。
ユーゴスラビア紛争はメディアによって起こされた戦争だという人もいます。
凄まじい情報戦が行われて何が本当で何が嘘なのか分からない状態になって戦争に引き摺り込まれる。
双方とも(メディアにとって)都合のよいことは強調され(メディアにとって)都合の悪いことは無視される。
プロパガンダとネガティプキャンペーンの応酬で虚構が現実になっていく。
そして双方ともに加害者となり被害者となる。
屈辱を受けた者は憎しみは残るが屈辱を受けた体験を自ら話そうとはしない。
しかしメディアは双方とも(メディアにとっての)敵となる者達の恥の部分をむりやり取り上げてさらにネガティブキャンペーンを張る。
そして人は自分が信じたい事柄を信じる。
そうなれば虚構がより堅固に現実化して真実を語ることのできる者は少なくなる。儲かるはメディアのみ。
この映画は、虚構の側から現実への反撃の一つなのかもしれません。
物語化しないと世に出せないものもある。
否。そんな見方をするのは失礼か。
優秀なルポは存在するし、勇気を持って語る人もいる。
それに物語は物語として評価しなくては。
母と娘の絆のお話。
語ることができなかったことを語らねばならない時、母と娘はどうなるのか?
戦争の残酷さを炙り出した作品。
良い映画でありました。
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