採用・面接で「とってはいけない人」の見きわめ方、を読んでメモ 3 2018年07月29日 | テレビ メモ 採用・面接で「とってはいけない人」の見きわめ方 人事コンサルタント/社労士 松下直子著 を、読んでメモ (ある会社の書庫にあった本をお借りした) ******************************** ≪文書完成法 ~問題「見出し」の例~≫
単純な脳、複雑な「私」 を読んで(2) 2017年09月06日 | テレビ メモ 平成29年9月6日(水) 単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二(いけがや ゆうじ) 著 を、読んでのメモ **************************** 脳のゆらぎ(ゆらぎ=ノイズ) ○「入力+ゆらぎ=出力」という計算を行うのが脳 ○ゆらぎ(ノイズ)の利用 航空会社が採用したアリのエサ運搬システム ○わずか20ワットの電球と同じ電力で脳は動く 脳は体重の2%に過ぎないけれども、エネルギー消費は全身の20%以上になる。 そのエネルギー源は、食べ物からのエネルギーと脳内で自然発生するゆらぎ(ノイズ)を利用している。 食べ物からの栄養は400キロカロリーにすぎず電力量で言えばたった20ワットにすぎない。
励まし方の極意 2017年05月18日 | テレビ メモ 平成29年5月18日(木) 昨日のTV番組、『あさイチ』より ~励まし方の極意~ ******************************** (事実関係) 夫が、日曜日に幼稚園児の子供と二人で戦隊ヒーローのショーに出かけた。 握手会の列に並んでいたときに、つい、子供の手を強く引っ張りすぎて、 子供が脱臼した。 夫は、急いで休日開いている病院をみつけ、子供の治療は無事に終わったが、 こんな事になってしまって、しょんぼりしていた。 その時の会話 (妻)「脱臼するほどの強い力で引っ張るとは信じられない」 (夫)「お前は、思いやりがない」 ********************************* (どう言えばよかったか) ※夫が反省している事が前提です。 脱臼させた事に関して 「小さな子連れなら、アクシデントは起こりうるよ」 → 「当然だよ」と認める言葉。 的確に治療をした事に関して 「休日なのに病院をみつけられてすごいね」 → コンプリメント(出来ている事をほめる) ********************************* ~励まし方の極意~ ①聞き役に徹する ②(あなたは)劣っていないよ ③捉え直し(別の角度からみてアドバイス) ※一番大事なのは、相談する人される人の間に 信頼関係があるかどうか。
原発事故から5年・福島からの報告(2) 2017年01月21日 | テレビ メモ 平成29年1月21日(土) NHKスペシャル シリーズ東日本 それでも 生きようとした ~原発事故から5年・福島からの報告~ 初日放送 2017.1.9(月) をみた、メモ ******************************* 佐藤善弥さんは、東日本震災で故郷福島から東京に疎開した日から日記を書いていた。 最後のページに、ふるさとの民謡「新相馬節」の一節が書き残された。 会ったこともお話ししたこともない、佐藤さんではあるが、 その生き方にとてもこころ揺さぶられた。 ”可愛そうな佐藤さん”と思う人も多いかもしれないけれども、 佐藤さんは自分を貫いた立派な人だと私には映る。 可愛そうなのは私たちだ。 希望をもって、まじめに生きている人が、人生をおしまいにしたいと思うような社会で、 見ようとせず、感じようとせず、考えようとせず、その日暮らしで生きているから。
原発事故から5年 福島からの報告 (1) 2017年01月21日 | テレビ メモ 平成29年1月21日(土) NHKスペシャル シリーズ東日本 それでも 生きようとした ~原発事故から5年・福島からの報告~ 初日放送 2017.1.9(月) をみた、メモ ******************************* あるデータでは、年齢構成などを均して各県比較すると 福島県の自殺率は東日本震災後4年目から急上昇している。 その原因を追究した番組。 ①佐藤善也さんは80代。代々のコメ農家であったが、原発事故で疎開した。 ②疎開当初は東京のマンションに家族とともにすむが、仕事を求めて家族は引っ越し一人暮らしとなる。 ③2012.8月に南相馬市小高区は、昼だけ立ち入りできるようになった。 そこで、友人と自宅に向かう。 ④1年半ぶりの自宅は、傷みもなくほとんど以前の状況。 佐藤さんは、「がんばろう」とその日の日記に書いている。 ⑤小高区の避難解除の予定が2年半のびることが公表された。 ⑥このころ旧友と自宅をみに行った時の様子を旧友が話した。 除染が終わった地区の廃棄物が、佐藤さんの田んぼの真近までうず高く積まれていた。 佐藤さんはじっとみていた。 次の朝もまたじっとみていた。 ⑦東京に帰って5日後に佐藤さんは自殺した。