これは「独裁者」の有名な最後の場面、スピーチの感動部分です。チャップリン扮する「ヒトラー」を模した「独裁者」が驚くべき演説をする。ここにチャップリンの思想の真髄があったのかと、今さらながらおどろいている。やっと回線がつながった。
「独裁者」は現在進行形なのだ。
great dictator speech charlie chaplin (日本語字幕付き)
そして『自伝』には、ロンドンでの貧しかった少年時代が描かれている。が、もうそこにはチャップリンらしさが見出される。母親は、若いうちに神経衰弱になったり、声がでなくなったり、扶養義務を果たさない夫とか、重なる不幸にみまわれた人であったようだが、
「バラ色の頬とすみれ色の眼............シドニーとわたしは心から母を愛していた。」(『チャップリン自伝』新潮文庫 p11)
そう、そんなチャップリンのふりまく「笑い」「風刺」は、言葉にすればたぶん:人々よ、希望を捨てるなだろう。
このメッセージは、あまりにも厳しかった生活実感から湧いてきているということが「自伝」をよんでいくうちにわかってきた。だからこそ迫力があるのだと。自伝を読み進めるのを楽しみにする。舞台上で声がでなくなり舞台袖に逃げ戻った母親とバトンタッチし、急きょ5歳にして初舞台をふみ、声がでなくなった母親のかすれ声のものまねをし、嵐のような拍手と笑いをとったチャップリン。あの天才的な演技力や感覚はそうした人生と、たとえ貧しくとも創意工夫あふれる血のにじむような努力の秘密があるのですね。(作品ヒットしていくうちに裕福になっていく)
が、「殺人狂時代」(これも現在進行形)など戦争批判をしたため、晩年はアメリカから国外追放同然になり、ロンドンに帰ったきりのチャップリンだったけれど、
チャップリンは、おそらく今後もずーっと愛され続けていくだろう、世界中の人々から。だれからも。
あとは、どれだけわたしたちが彼の精神(ふしぎと、だれにでもわかる心)を実行できるかにかかっているのだろう。考えているよりも深く難しい課題だと思う:憎しみあうよりも貪欲になるよりも、わたしは人間らしいこころをもち愛することができるか?あなたは人間らしいこころをもち愛することができるか?だろう。