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「彼女が死んだ。」…芥川賞作家の山下澄人が「死ぬ」事について考えた…古い友人へのメッセージ

2025年03月20日 16時06分25秒 | ことば・こころ・文学・演劇

「彼女が死んだ。」…芥川賞作家の山下澄人が「死ぬ」事について考えた…古い友人へのメッセージ

山下 澄人(小説家・俳優・劇作家)  2025/3/20

坪田譲治文学賞を受賞した『クリオネのしっぽ』などで知られる児童文学作家の長崎夏海さんが、2024年12月30日に享年63歳で亡くなりました。

芥川賞作家であり、俳優・劇作家の山下澄人さんに、長崎さんと過ごした思い出と自身の活動の刺激になったという大切なメッセージについてご寄稿いただきました。

「ここを出ようと思う」

今から40年前、わたしは北海道富良野の小さな谷にいた。

富良野塾、今はない、脚本家倉本聰氏により設立された俳優と脚本家を養成するための私塾。そこに長崎夏海さんがいた。

彼女とは同期生で、わたしが俳優志望で19で、彼女は脚本家志望で24。わたしは「すみと」と呼ばれていて、わたしは彼女を「ナッキー」と呼んでいた。

痩せて背が高く、誰ともつるもうとしない彼女にわたしは少し憧れていた。何度か話したりしただろうか、そんな記憶もたいしてないのに彼女の印象はとても鮮やかだ。

一緒に暮らしたのはたった3ヵ月ほど。ナッキーは夏に谷を出た。

出る少し前、「ここを出ようと思う」とナッキーはわたしにいった。「まだ来たばかりじゃん」とわたしはいった。ナッキーはそれにはこたえず「わたしは出ていくけどあなたはやめてはいけない。続けて」といった。

 

たった3ヵ月だったのかとあらためて思う。あれから40年、長い間会わずにいるのと死んで会えないのとはいったい何が違うのだろう。ナッキーが長い時間、病と共にいたことは知っていた。

わたしが小説で賞をもらったとき、手紙をくれた。「おめでとう」。メールで何度かやり取りをした。病なのだと書いていた。

彼女が死んだ。

ふむなるほど。それはまぁそれとして、あれからいかがお過ごしですか。ぼくも歳をとったらしいけど、とくに何も変わらないよ。やめるなというからやめずに、今もやっています。

死んだらしいけど、しかしそれはどういうことですか。ぼくが死ぬときぼくはようやくあなたも死んだのだと受け入れて、どのようにまた再会するのかを楽しみにするのでしょうか。でもそれはそのときに考えようめんどくせぇし。きっとここで彼女は笑う。

ナッキー、また会おうね。

【参考;管理人】

長崎 夏海(ながさき なつみ、1961年 - 2024年12月30日)は、日本の児童文学作家

東京都文京区湯島生まれ。10歳から北区赤羽に移る。東京都立城北高等学校卒業。図書館ファッションモデル喫茶店などのアルバイトを経て作家デビュー。『季節風』同人。

1999年『トゥインクル』で第40回日本児童文学者協会賞受賞。2015年『クリオネのしっぽ』で第30回坪田譲治文学賞受賞[1]

2006年に沖永良部島に移住[2]

2024年12月30日、咽頭がんのため鹿児島県の病院で死去。63歳没

著書 多数

山下 澄人(やました すみと、1966年1月25日 - )は、日本小説家、劇作家、演出家、俳優

兵庫県神戸市出身[1]神戸市立神戸商業高等学校(現神戸市立六甲アイランド高等学校)卒。倉本聰富良野塾第二期生。

代表作 『しんせかい』(2016年)
主な受賞歴 野間文芸新人賞(2012年)
芥川龍之介賞(2017年)
デビュー作 『緑のさる』(2012年)

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