人口減少は私たちの雇用環境をどう変化させるのだろうか。「これまでの大人たちの経験則は使い物にならなくなる」時代を前に、内田樹さんは、「仕事はやりたいことをやりなさい」とアドバイスする。世の中に広がる無数の仕事の可能性について目を見開かされる、「人口減少社会」を考えるインタビュー最終回。

前回「内田樹が語る貧困問題」より続く

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AI導入ですべての企業が人件費カットに成功したら

――今後、人口減少により既存のビジネスは再編や転換を余儀なくされる分野も多数出てくるでしょうし、なかでもAIがもたらす雇用へのインパクトは大きく、2030年には日本の雇用者数は240万人減るとの予測(三菱総合研究所)もあります。

内田 AI導入は、少子化以上に社会に直接的な打撃をもたらす可能性があります。アメリカではすでにいろいろなシミュレーションが行われていますが、いつ、どの分野で、どれほどの規模の雇用の変動が起きるかについては、まだ正確な予測は出ていません。製造業が大きく雇用を減らすことは確かですが、高度専門職でも、弁護士の業務の25%はAIが代行するようになるし、医師に代わってAIが診断を下すようになると予測する医療関係者もいます。

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 企業経営者たちは人件費コストをカットしてくれるならAIの導入を歓迎するでしょう。けれども、すべての企業が人件費カットに成功したら、短期的には利益が出ても、長期的には巷間に貧困者・失業者があふれかえって、購買力そのものが失われる。国内マーケットが縮小して、商品が売れなくなれば、国民経済は立ち行きません。でも、AIを導入する経営者たちはそんなことはどうでもいいと思っている。「こんなこと」を続けていたらいずれ国内市場が消失すると分かっていても、四半期、単年度の利益が上がるならどんどん従業員の首を切ってゆく。彼らには「長い目で見たら」という発想そのものがないからです。現に、少数の超富裕層に世界中の富が集まり、個人口座の残高が天文学的な数字になっている。世界の富豪ランキングのトップ8人の資産が世界の下位36億7500万人の資産合計とほぼ同じです。こんなことを続けていたら、資本主義というシステムそのものが滅亡してしまうということがわかっていて、それでも格差拡大を止めることができない。それは市場には「長い目で見たら」とか「人類全体の福祉を配慮したら」というような抽象的な枠組みでものごとの適否を判断する力がないからです。四半期の収益が増えるなら、何年か何十年か後に世界が破滅的なことになるリスクが高い事業でもためらわずにやる。それが市場の生理です。

グローバル資本主義はどうにもならないところまで来ている

 『人口減少社会の未来学』(内田 樹 編)

――非常に危ういシステムですね。

内田 ですから、このまま経済を市場に丸投げしていれば、雇用崩壊、失業者の増大、階層の二極化、そして近代市民社会の崩壊と「中世化」という道筋を人類はたどることになる可能性が高い。明快な歴史的視野に立った、強い政治的な介入がなされなければ、もうグローバル資本主義はどうにもならないところまで来ている。

「21世紀のニューディール政策」が必要だと僕は思っています。財界は「生産性を上げろ」と盛んに言いますけれど、「生産性が上がる」というのは、要するにそれまで10人でやっていた仕事を5人でやるようにする、ということです。たしかに人件費コストは半分になりますけれど、それによって雇用を失った5人のことは何も考えていない。

 先ほども言いましたけれど、グローバル企業は、合理化を貫徹したせいで国内で雇用崩壊が起きることを気にかけていません。国内に購買力がなくなったら、その時は海外市場に打って出ればいい、そう考えている。

 本書に収録された論考の中で、ブレイディみかこさんが、「Anywheres(世界のどこでも暮らせる人)」と「Somewheres(どこかに定住して暮らす人)」という二分法を採用していましたけれど、これは「機動性の高い人」「機動性の低い人」と言い換えることもできます。機動性の高い人たちは、いくつもの外国語を操り、世界各地にビジネスのネットワークを張り巡らし、あちこちに生活拠点を持っている。だから、日本がダメになっても、別に明日からの生活に支障はない。日本経済が破綻しても、原発事故やパンデミックで日本列島が居住不能になっても、その時は「かねて用意の」シンガポールのマンションとかハワイのコンドミニアムとかに住居を移すだけで、相変わらず効率的にビジネスを続けることができる。国民国家と一蓮托生する義理がない、というのが「Anywheres=機動性の高い人」たちです。

「日本がだめなら海外で」暮らせばいい?

 でも、本来「国民経済」というのは、国から外に出る気のない人、国から出ると暮らせない人たち、Somewheresを食わせるための制度です。日本語しかできない、お米を食べないとものを食べた気がしない、日本の風土や景観を愛している、日本の宗教や伝統文化が身体になじんでいる、身内や地域の人たちから「あなたがいなくなったら困る」と頼られている、そういう「日本から出るに出られない人たち」を基準にして「国民経済」は制度設計されるべきものです。でも、今のグローバル資本主義にはそもそも「国民経済」という概念そのものがない。日本列島から出られない人間、海外に打って出て、そこで生き延びる能力のない人間は「グローバル人材」としては下位に格付けされ、それにふさわしい劣等な扱いを受けて当然だと考えられている。国の税金はもっぱらAnywheresのグローバルなビジネスを支援することに投ずべきであって、Somewheresたちが経済的に苦しんでいても、十分な市民的権利を享受できなくても、それは「グローバル人材」として自己形成する努力を怠ったことの帰結であり、自己責任だと言い放っている。自己責任で貧乏になった人間を税金で支援する謂れはない、と。

 福島であれほどの原発事故が起こったあとも、財界が原発再稼働に躍起になっているさまを見ていると、日本のビジネスマンたちが長期的に日本列島を安全で住みやすい環境として維持することには特段の関心を持っていないということがよくわかります。廃炉プロセスは百年単位の事業ですし、放射性廃棄物の管理になったらこれは万年単位の事業です。どれほど安定的な統治機構でも引き受けることの難しい事業です。この先、大規模災害があるかも知れないし、戦争が起きるかも知れないし、パンデミックや原発へのテロがあるかも知れないし、人為ミスで原子炉が暴走することがあるかも知れない。そんなリスクを抱え込むことのデメリットと、発電コストを抑えて当期利益を増やすことのメリットは比較するのも愚かですけれど、ビジネスマンたちはそんなことを意に介さず、とりあえず当期の利益を最優先する。先々のリスクについてはまったく考える気がない。それはまた原発事故が起きて日本列島が居住不能になっても、その時は日本を出て海外で暮らせばいいと思っているからです。現にそういう切り替えができる人たちが日本では指導層を形成しているのです。

成功事例や経験則には耳を貸さない方がいい

――雇用の大きな変化を前に、これから社会に出ていく若者たちはどう備えたらよいのでしょうか。

内田 これから日本社会は前代未聞の激動期に入ります。何が起きるかまったく予測がつきません。ですから、若い人たちに伝えたいのは、「オレはこうやってビジネスで成功した」とか「こうやって金持ちになった」というような自慢げな成功事例や経験則には耳を貸さない方がいいということです。人口減少社会でどうやったらサクセスできるかについては、過去に成功事例がありません。この状況下で若い人に告げるべき言葉としては、「やりたいことをやりなさい」ということしかありません。「成功者」の教訓に従って、「やりたくないことを我慢してやる」ということだけはしない方がいい。嫌なことを我慢したあげくに、なにもいいことがなかったら、文句の持って行き先がないでしょう(笑)。

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 人はやりたいことをやっている時に最もパフォーマンスが高くなります。難局に遭遇して、そこで適切な選択をするためには、他者の過去の成功事例を模倣することではなく、自分自身の臨機応変の判断力を高めた方がいい。そして、自分の判断力が高まるのは、「好きなことをしている時」なんです。「自分はほんとうは何をしたいのか?」をいつも考えている人は「これはやりたくない」ということに対する感度が上がります。そして、生物が「これはやりたくない」と直感することというのは、たいてい「その個体の生命力を減殺させるもの」なのです。自分の生きる力を高めるものだけを選択し、自分の生きる力を損なうものを回避する、そういうプリミティヴな能力を高めることがこの前代未聞の局面を生き延びるために一番たいせつなことだと僕は思います。自分がしたいことがあったら、それをする。自分が身につけたい知識や技術があったら、それを身につける。自分が習熟したい職能があったら、それを学べばいい。つまらない算盤をはじいてはいけません。「一時我慢して、それさえなんとか身につけておけば、あとは一生左うちわ」などというものにふらふらと迷い込んではいけません。弁護士や医師でさえ雇用の危機だという時代になるんですから。

 あと、若い人には仕事は世の中に無数にあるということを伝えたいですね。無数にあるけれど、一つ一つの求人数は少ない。そういう求人情報は若い人たちのもとには届かない。求人と求職をマッチングするシステムがないからです。僕が聴いた話で面白かったのは「鎧の修復」の仕事です。

就職先がないのは本当か

――鎧の修復!? それまた随分ニッチな(笑)。

内田 日本の鎧兜って、世界中の博物館美術館に展覧してあるでしょ。でも、繊維や皮革は必ず経年劣化する。だから、それを定期的にメンテナンスする専門職が要るんです。受注件数はたいして多くないけど、ニーズは安定している。その修復技術の後継者がいないらしいんです。年収2億ぐらいになるんだけど、誰かやる人いないかなって話を聞きました(笑)。

――そんなに儲かるんですか!

内田 でも、そういう仕事って、「やります」っていう人が3、4人もいたら、それでもうあと何十年かは間に合っちゃうわけですよね。だから、求人広告を出すほどでもない。何かのはずみで聞きつけてきた人がいたら「ご縁があった」というような話です。刀鍛冶とか能楽師とか、後継者がなくて困っている業種って、いくらでもあります。

 地方に移住して農業に取り組む若い人も増えていますけれど、それは帰農者に対して自治体によってはたいへんよい条件を提供しているからです。住む家も提供するし、最初の3年間はお給料を払うし、農業技術も教えますというような好条件で農業従事者を探している。高齢化による耕作放棄地がそれだけ増えているということです。地方移住の案内窓口に問い合わせに来た人たちの数はこの数年間で10倍に増えたそうです。でも、そういう求人と求職者を出合わせる仕組みはまだ十分に整備されていない。

 ネットの就活情報だけ見ていると、ごくわずかな就職先に新卒者が殺到しているように見えるでしょうけれど、それは企業と就

世の中には人間にしかできない多様な職がある

――内定をとるまで何十社も落ち続けるとか、新卒一括採用は学生たちに深いダメージを与えていると思います。

内田 茂木健一郎さんも新卒一括採用制度を厳しく批判してますけれど、なかなか世論は盛り上がらないですね。でも、一部の企業による「就職情報独占体制」は崩さないといけないと思う。今の若者たちは、世の中にどれほど多様な職種があるのか、そのこと自体についての情報が遮断されているんです。世渡りの「たずきの道」は若い人たちが想像しているよりはるかに多いというシンプルな事実さえ教えられていない。

 余談ですが、以前うちの奥さんに、なんで能楽師になったの?って聞いたら、「着物を着る仕事がしたかった」からって(笑)。だから、仲居さんでも、呉服店の店員でも、実はよかったらしい。でも、そういうことってあるでしょう。「着物を着てする仕事だった、とりあえず何でもいい」というような仕事の探し方って、僕はあっていいと思う。

――そんなシンプルな動機が出発点だったんですね(笑)

内田 「Tシャツと半ズボンとゴム草履でできる仕事だったらなんでもいい」とか、そういうのって実は結構あると思いますよ。僕は神戸女学院大学に就職して最初の授業の時に、ツイードのジャケットを着て、ダンガリーのシャツを着て、黒いニットタイをして眼鏡をかけて教壇に立ったんですけれど、後から考えたら、あれはインディ・ジョーンズが冒険の旅から戻って大学で考古学の授業をしている時の恰好だったんです。「大学の先生になると、ああいう恰好ができる」と思い込んでいて、それにあこがれていたんだと思う。何を教えるかなんて、とりあえずどうでもよかったんです。ジョーンズ博士みたいな恰好をして、階段教室の黒板の前で、学生がぜんぜん興味のなさそうな学術的な話をしている時、実に気分がよかった。

 それに、僕はとにかく人にものを教える仕事というのが好きだったんですね。だから、大学の教師を辞めた後は今度は道場で合気道の先生をやっている(笑)。教える教科は何だっていいんです。好きだから。教えるのうまいです。大学の先生の仕事も楽しかったけれど、合気道の先生もやっぱり楽しい。合気道の先生が職業として成立するなんて、信じられないでしょうけれど、これがちゃんと成立する。好きなことですから、教え方うまいし。

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――そういう話を聞くと、いまのビジネスモデルのなかで雇用が少なくなったとしても、いくらでもやりようはあると思えてきますね。

内田 AIによって代替不能の仕事ってこの世に山のようにありますよ。合気道の先生なんてロボットには絶対できないでしょ。だから、若い人たちは何も不安に感じることはないと言いたいです。もちろんある種の製造業やある種のサービス業は、機械に取って代わられるかも知れませんけれど、人間の微細な感覚や、黒白のはっきりしないグレーゾーンでの判断力とか、原理的には解けない問題を常識で解くというようなことは人間にしかできない。本書でも、若い人たちへのエールとして、「最後に生き残るシステムとは何か」について書きました。これからの厳しい時代を生き延びなければならない次世代の健闘を心から願っています。

職情報産業が作り上げている幻想です。狭い求人市場に大量の新卒者を送り込めば、求職者の間で競争が激化して、結果的に企業は能力の高い労働力を安価で採用することができるから。「君の替えなんか、いくらでもいるんだから」というのが雇用条件を切り下げる時の殺し文句ですからね。