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焼失の目白御殿、石破氏「権勢の絶頂を表していた」…ロッキード事件の舞台にも 読売新聞  2024/1/8 

2024年01月08日 22時38分43秒 | 時事問題(日本)
読売新聞 によるストーリー  • 1 時間

田中角栄元首相の権力の象徴で、「目白御殿」の異名を持つ東京都文京区の旧田中邸が火災で焼失した。田中氏が健在だった時代には大物政治家や陳情客の訪問が絶えず、昭和政治の舞台となった。往時を知る関係者は突然の出来事に言葉を失った。

 自民党の石破茂・元幹事長は8日、読売新聞の取材に、旧田中邸について、「全国から集まる陳情者が1組5分で面会し、その場で答えが出た。閣僚や党幹部、国会議員、地方の首長は皆、目白に集まった」と振り返った。

 石破氏は1986年の衆院選で初当選する前、田中派の事務局に勤務し、旧田中邸に出入りした。敷地内は「庭や応接間が広く、豪華な地方の公民館のようだった」と話した。待合室には30~40人が入れたという。

 旧田中邸は数々の歴史の節目を見届けた。田中氏は76年、「戦後最大の疑獄」と言われたロッキード事件で東京地検特捜部に逮捕された際、旧田中邸から出頭した。航空機の機種選定を巡る商社元幹部との面会も旧田中邸で行われたとされ、特捜部の捜索も受けた。

 田中氏はロッキード事件で刑事被告人となってからも、「闇将軍」と呼ばれ政界に影響力を保持し、邸宅には派閥議員らの「目白詣で」が続いた。新内閣発足のたびに新任閣僚が来訪した。

 正月には、大勢の政治家や官僚らが年始のあいさつに訪れた。87年の元日も田中派幹部からの年始のあいさつを受けたが、当時、自民党幹事長だった竹下登元首相は玄関先で門前払いされた。田中氏は、85年に竹下氏が「創政会」を旗揚げしたことに激怒し、脳梗塞(こうそく)で倒れ、療養中だった。

 92年4月に中国共産党の江沢民(ジアンズォーミン)総書記が訪れるなど日中外交の舞台にもなった。

 石破氏は、「田中氏の権勢の絶頂を表していた。二度とああいう場所は生まれないだろう。時代の象徴がなくなってしまった」と語った。

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