読売新聞 によるストーリー • 1 時間
田中角栄元首相の権力の象徴で、「目白御殿」の異名を持つ東京都文京区の旧田中邸が火災で焼失した。田中氏が健在だった時代には大物政治家や陳情客の訪問が絶えず、昭和政治の舞台となった。往時を知る関係者は突然の出来事に言葉を失った。
自民党の石破茂・元幹事長は8日、読売新聞の取材に、旧田中邸について、「全国から集まる陳情者が1組5分で面会し、その場で答えが出た。閣僚や党幹部、国会議員、地方の首長は皆、目白に集まった」と振り返った。
石破氏は1986年の衆院選で初当選する前、田中派の事務局に勤務し、旧田中邸に出入りした。敷地内は「庭や応接間が広く、豪華な地方の公民館のようだった」と話した。待合室には30~40人が入れたという。
田中氏はロッキード事件で刑事被告人となってからも、「闇将軍」と呼ばれ政界に影響力を保持し、邸宅には派閥議員らの「目白詣で」が続いた。新内閣発足のたびに新任閣僚が来訪した。
正月には、大勢の政治家や官僚らが年始のあいさつに訪れた。87年の元日も田中派幹部からの年始のあいさつを受けたが、当時、自民党幹事長だった竹下登元首相は玄関先で門前払いされた。田中氏は、85年に竹下氏が「創政会」を旗揚げしたことに激怒し、脳梗塞(こうそく)で倒れ、療養中だった。
92年4月に中国共産党の江沢民(ジアンズォーミン)総書記が訪れるなど日中外交の舞台にもなった。
石破氏は、「田中氏の権勢の絶頂を表していた。二度とああいう場所は生まれないだろう。時代の象徴がなくなってしまった」と語った。