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とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

禁句

2006年04月28日 08時23分59秒 | ことば・こころ・文学・演劇
シャンソンの『枯葉」にもある。

枯葉が シャベルでかき集められる
思い出も悔恨も

愛し合っていた二人は、徐々に音もなく、ひきさかれていく
ふたりがたどった浜辺の足跡は、波が消していく

この人が引き裂かれていく様は、幾多の詩でうたわれたことだろう。

人と人は、なぜ、このようにひきさかれていくのだろうか?

思いは高揚し、そしてちょっとした心のすれちがいが重なりあい決裂へと向かう。

それが避けがたいものであるならば せめて気をつけたい。

「禁句」だけは発するまいと。

が、しらずしらず、つい発してしまうのが「禁句」であるように思う。

あらゆる決裂の場面にあって、

すべてを決定的に終わらせてしまう「禁句」というものが、

ありは、しないだろうか......

言葉を発するものにとっては、ただの激情にまかせた言葉であっったとしても、

発せられた相手の胸に深くつきささる「禁句」というものがあるように感じる。

コップからこぼれた水を拾いあつめられるか否かは、相手を許す気持ちになれるかどうかだ。

どんな激情の場面になっても、強い抑制力をもって「禁句」を発しない人が好きだ。また、私もそういう人間になりたいと思っているが、果たして事実はどうだろうか?.........

つい発したくなる言葉が「禁句」だ。でも失敗してもいいのだ。失敗に失敗を重ねたからこそ、今頃、「禁句」があることに気づいた。3日ほど前に、また失敗をした。
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