くもり空の下で……

アルコールとギャンブル。依存症からの回復と成長を目指しながらの日々の雑感を発信。趣味の渓流釣りなども公開しています。

悪友

2017-12-12 20:53:30 | 日記
昔から悪さ(イタズラ)は散々してきた。


小学生だった頃。。。
"おこづかい"を幾ら貰っていたのか今となっては定かではないけれど、確かに貧乏な家庭だったけれど、どうしても欲しいものを買ってもらえないようなことはなかったと思う。
なのに、よく母の財布から小銭や、時には1000円札を盗んでいた。

近所の商店で、それほど欲しくもない文房具を盗んだ記憶もある。

5000円というものが、どれ程の価値なのかもよく分からなかったのだろう。
母の財布から盗んだ5000円を持って近所の雑貨屋で買い物を。
何を買おうと思ったのか覚えてはいないけれど、店のおばさんが不審に思ったのだろう。家に居た母へ確認の電話をしやがったことがあった。
もしかしたらそれが当時の"近所の絆"なのかもしれないが………




バレた。




家に帰ると鬼の形相の母が待ち構えていた。



「そこへ座りなさい。」



仕方なく正座すると、私の目の前で母が線香に火をつける。



「この手が悪さするから、これから二度と悪さしないようにこの手にお灸をするから。」




恐怖の時間のはじまり。
本当に"ヤキ"を入れられたことは無かったのかもしれない。
でも、恐怖のあまり泣き叫びながら母に詫びを入れた記憶は確かにある。
多分一回や二回じゃないような気もする。


「嫌じゃ~!!
もうしませんから許じてください~😭💦」

…………と。





中学生になると盗みも巧妙になっていた。悪友数人で、またしても近所の雑貨屋へ。
当時、1個500円ぐらいだったキーホルダー型のミニ時計⏰
陳列棚に並べられているものではなく、その上に置いてあった箱ごとパクった。数にして100個は超えていた。

盗んだ時計を悪友たちと分けあったけれど、そんなに一人でいくつも持っていてもしょうがないことに気づく。
よせばいいのに大量にあったその時計を1個50円ぐらいで同級生に売りまくった。

しかも、その悪友たち全員が売りまくっていた。




当然バレる。。。
(バカだから誰も気づかない)




今度は学校に保護者たちが呼び出された。







高校になるとまた悪友たちと、今度は自販機からビールを盗むようになった。取りだし口へ腕を巧みに突っ込み「ガコッ」とひっぱりだしていた。

酒の味など判りもしないのに、ただ悪友たちと騒ぐことが楽しくて仕方がなかった。

学校サボってパチンコとゲーセン。

「パッパカパー、パパパパーー♪」

………ビッグシューター。
(懐かしい)

ゲーセンで夢中でパックランドと魔界村をやっていると、そこへ生活指導の先生が登場。



「お前らそこへ列べー💢」



整列させられ、3人ぐらいの生活指導にバシバシとひっぱたかれた。
(現代なら暴力教師と騒がれるかもしれん)







そんな時代を共に過ごした悪友たちも、それぞれに成長し家庭を持つようになった。


どこでズレてしまったのか分からないけれど、まともに家庭を築いているヤツもいる。


酒とギャンブルに溺れ、人生の再建を目指しているヤツもいる。



未だにアル中で、一升瓶を抱えたままのヤツもいる。



公務員になったけれど、ストレスを溜め込みすぎて屋上から飛び降りたヤツもいる………






もう今となっては会うこともなくなったけれど、オレにとっては今でも大切な悪友。













































ボランティア?

2017-12-11 20:57:56 | 日記
先日の日曜日、叔父のお見舞に母と二人で病院に行って来ました。
(今回は精神科ではありません。)


叔父は私の母の兄であり、現在81歳。



母と同じく腰を悪くしていて、普段からとても痛がっていた。
やはり遺伝とかあるのかもしれません。
なので、すこしでも痛みを軽減させる為、それと骨を補強するための金具を入れる手術を行った。





そのお見舞からの帰り道、病院を後にし母とファミレスで夕食をを摂ることに。




ハンバーグセットを食べながら会話していると母が、





母:
「オマエ、クリスマスにはここでご飯食べようよ。」




………と突然言い出した。







私:
「はい?」





あまりにもサラッと言われたので、私は少し戸惑いながら答えた。




私:「あのさぁ、…………
なにが楽しくてクリスマスに母親と二人で、ファミレスでメシ食わなきゃならんのよー。」








すると母は、








母:
『いいじゃん。ボランティアだよ😁』







母上、やはりアナタにゃ敵いませんわ(-_-)💨
とくに予定があるわけでもないし、ま、断る理由もありませんけどね。






それで"埋め合わせ"が終わるのならば御安い御用なんですけどね(笑)







忘年会

2017-12-08 22:52:55 | 日記
会社の忘年会に行って来ました。



総勢10人足らずの小さな会社。
忘年会出席率は100%
その中で酒を飲まないのは私一人だけ。

すでに先輩社員、また社長を始め役員も、私が酒の飲み過ぎにより体を壊し、現在断酒していることを承知してくれてはいるので、無理に勧められるようなことはありませんでした。

まだ入社したばかりの会社なので、断ろうと思えば断れたのかもしれませんが、せっかく普段はあまり会話もない方々との交流もあるだろうと思い、ある程度のリスクも承知の上で出席してきました。

ぶっちゃけ言えば私はまだ社内では"猫を被っている"状態ではありますが、社長や先輩社員に対して特に気を遣いすぎることもなく、美味しい焼肉をご馳走になってきました。




少し心配していたのは、普段はおとなしい人でも酔った勢いで、

「○○さん、なんだい、俺の酒が飲めねーっちゅうのかい💢」

……みたいな、いかにもドラマで出てきそうなパターンがもしかしたらあるのでは?………と思っておりましたけどね、そんなこともなくホッとして自宅に帰ってまいりました。
昨今は飲酒運転の問題、セクハラやパワハラ等、世の中の飲酒に対する問題意識も以前(10年~20年前)とはだいぶ変わってきているようにも感じます。



みんなが程よく酔っぱらい始めた頃に、役員である社長の奥さんから、

でも、よく止められてますよね。なかなかお酒をキッパリとは止められませんよ。
どうやって止めたんですか?


と問われた。



なので、
「実は私はアル中なんで……
AA、断酒会に通ってます。」
……とは入社したばかりの会社で私には言えなかったので、


「それだけ痛い目に遭ったってことですよ。」



……と、一言だけ答えておきました。









宴も酣(たけなわ)になり、家の人に迎えにきてもらい帰る人。
二次会へ向かう為に代行を呼ぶ人。二手に別れたけれど、この師走の金曜日。
今日は町にも雪が降ったので代行を頼んでみると、なんと一時間待ちだった………

なので、代行替わりに飲んでいない私が運転し、二次会へ向かう人たちを送ってから、私はその場から失礼してきました。



正直、

「普通に酒を飲める人たちというのはこうゆうもんなんだな……」
と、見ていて考えさせられる時間でもあり、普通に飲める方々が少し羨ましくも見えました。



羨ましく見えてしまっているということは、それだけ私の中では、まだ酒に対する未練があるということなのでしょう。



修業(回復)が足りないのかもしれませんね
(^^)💧



































介護

2017-12-06 20:42:06 | 日記
数日前、母からメールがあった。



腰が痛かったので医者へ行ってきたようだ。
診断結果はMRI検査をしてみないとまだ断定はできないが、"骨粗しょう症"とやらで圧迫骨折している可能性が高い……
という内容だった。

本人は時々痛がってはいるものの、至って元気。

しかし、現在の医師の見立てでは、母の骨年齢は100歳近くらしい。



母は現在73歳……




脳裏にイヤな予感が浮かんだ。







もし、寝たきりとかになったら…………






幸い私には兄弟、弟が二人いるので私一人で悩まなくても済むとは思うけれど、現実的にもし母が一人で日常生活もままならなくなってしまった場合どうするのか。

三兄弟。
私と三男はバツイチの単身者ではあるけれど、共にギャンブル依存症者。
次男は既婚者。私たち兄弟の中では唯一まともな生活を送ってきていて、母の暮らす実家から五キロほど離れた場所に一軒家を建てて暮らしている。

『万が一にオフクロが働けなくなった場合、経済的援助は俺たち兄弟3人でしてあげて、もし介護が必要な場合はある程度はプロに任せよう。
アニキだけに負担がくるようなことにはならないから安心しろ。』

…………昨年の2月、私が精神科に入院するまえに、確かそんな話を兄弟だけでしたような気がする。。。

だが、現実的にそういった事態が起こったとしたら、一番妥当な結論としては、長兄である私が実家に戻り母と暮らすことだろう。



当たり前のことだ。



私の生活もようやく安定してきたこのタイミングで、また環境の変化を余儀なくされる恐れが出てくることになるとは……


神も意地悪だな。
(苦笑)


まだ決定的なことではないけれど、これから先のことを弟たちと、そして母も交えて話をする必要があるような気がする。






今から約13年前………

私のばあちゃん。
私の祖母は約13年前に亡くなった。
母は寝たきりになった祖母を3年間、自宅で介護してきた経験をしてきていて、その様子を私は間近で見てきた。
時々デイサービスなども利用してはいたけれど、祖母が亡くなるまでほとんどの面倒を母が看ていた。

春には、車イスに祖母を乗せ、実家の前にある満開の桜を見せていた🌸。
夏には、祖母のベッドの横でアイスクリームをスプーンに取り、祖母の口に運んでいた🍨。


認知症を患っていた祖母の下の世話をしながら、

『これが本当のクソババァってもんだわ!』

……と、笑いながらオムツを替えていた母の姿を思い出した。
当然ストレスが溜まるときもたくさんあったのでしょう。
祖母が眠っている時には、母はよく一人カラオケにも行っていたようだった。




私の中の記憶は時間が止まったままだけど、現実は確実に時間が流れている。





次世代へ……か。







………なんて浸ってる場合じゃないか。






オレの生活、メンタルが落ち着いたら面倒をみれると思うよ。
……なんて言っていたら、いつまで経ってもできないだろうな、きっと。




私にとって、最大の"埋め合わせ"をしていかなくてはならない相手はきっと、


アナタなのでしょう。




今気付いたよ。
























ありふれた幸せ

2017-12-03 23:56:45 | 日記
半日仕事をして、




Kさんのお見舞に病院へ。




面会制限で会えず……だったけれど、彼の好物のかりんとうを看護師に手渡した。






その後、友達と二人で遅めのランチ。






夕方までその友達とイロイロ話をしてから帰宅🏠





帰宅後、シャワーを浴びてから本日の夕食と、明日の弁当を作る。






夕食後、タバコが切れてしまっていたのでコンビニまで自転車で。





夜になると冷え込むけれど、その分月がキレイに見える🌃






一つ一つの何気ない日常。







その何気ないことに幸せを感じることができる。






大きな夢もいいけれど、その何気ない、ありふれた日常に幸せを感じること。





酒がなくても、





スロットが打てなくても、





きっとそのうちいいことあるさ。







タバコはなかなか止められません
(苦笑)