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音楽大好き男の徒然なる日記

無関心が生み出す絶望 浜中淳(北海道新聞 2020年5月3日付)

2020-09-30 | 日記
北海道新聞 2020年5月3日付
「無関心が生み出す絶望 浜中淳」
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/418041?rct=c_wind


米国の政府高官が言う。
「この国が狡猾(こうかつ)な外交手段を使えるとは驚きだ。
危機というものは、日本ですら成長させるようだな」

4年前に大ヒットした映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督)の中の話だ。
東京に突然上陸し、放射能をまき散らしながら大暴れするゴジラは、人知を超える速度で進化を続け、
自衛隊や米軍の通常兵器では全く歯が立たない。
国連安全保障理事会はついに核ミサイルによる抹殺を決議する。

米国を中心とする国際世論が東京での核使用に傾く中で、
日本政府は外交ルートを使って攻撃開始を引き延ばし、
その間にゴジラを凍らせることによって辛くも危機を乗り越える。

公開時のキャッチコピーは<現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)>―。
できすぎた物語ではある。
前例のない危機に直面した政権が突如として指導力に目覚め、
お定まりの対米追従を捨てて国民を見事に救う。
「現実」と言うには、日本の政治家を過大評価しすぎだとの批評も公開当時にはあった。

実際はそれどころの話ではなかった。
シン・ゴジラならぬ「シン・コロナ」の感染が急拡大し、
危機が「虚構」ではなくなってみて、
現実の政治があまりにも劣化していることを国民は思い知らされている。


<国は自粛要請しています。感染拡大を国の責任にしないでくださいね>。
1カ月前、国土交通省の政務官がツイッターでこうつぶやき、批判を浴びた途端に削除した。

内容もひどいが、それ以上に深刻なのが、
こんなたわ言をわざわざ会員制交流サイト(SNS)で発信する政治家としての判断能力である。
「不適切だった」と謝罪し、撤回せざるを得なくなることは分かりきっているのに、一時の感情を抑えられない。

この程度の危機管理意識しかない政治家を登用する政権が、
安倍晋三首相の言う「戦後最大の危機」に指導力を発揮できるはずなどないではないか。


政権だけの問題と言うつもりもない。
緊急事態宣言発令後に性風俗店に行ったことがばれた野党の国会議員、
<感染者は、殺人鬼に見える>とフェイスブックに書き込んだ関西地方の市議…。
与党から野党まで、国会から地方議会まで政治は等しく劣化しているようだ。
絶望は深い。



堂場瞬一氏の近著に「インタビューズ」という小説がある。
一人の新聞記者が1989年に始まる平成の30年間、
毎年大みそかに渋谷の交差点を歩く人に、その年最も印象深かった出来事を聞く。
それを100人分積み重ね、平成の世相を浮かび上がらせようとした意欲作だ。

ふと気付くのが、政治の話題を挙げる人物が1993年の日本新党ブームまで出てこないことである。
堂場氏はその人物にこう語らせている。
「選挙であれこれ真剣に考えて投票してる人なんて、ほんの一握りでしょう」

1989年に記者になった筆者には、この気分がよく分かる。
前年にリクルート事件が起き、政治への信頼が地に落ちる一方、
世の中はバブル景気に沸いていた。
私たちはそこで誤解してしまったのだ。「政治がどうなろうと、日本は経済大国として生きていける」と。

政治への不信が無関心へと変わり、
同世代の有為な人材の多くが金融の世界や起業家を目指した。
その帰結が、世襲議員だらけで国民の感情を理解できない今の政治だ。

新型コロナ危機を運良く克服できたら、もう政治への無関心はやめよう。
そうしなければ、この国に希望は生まれない。

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