朝日新聞 2025年6月4日付社説
「長嶋さん逝く 時代の波動 映した生涯」
https://www.asahi.com/articles/DA3S16228094.html?iref=pc_rensai_long_16_article
時代が人を選ぶのか、人が時代をつくるのか。
戦後の息吹をまといながら、駆け続けた。
ミスタープロ野球と呼ばれた元巨人監督、長嶋茂雄さんが亡くなった。
自らの野球人生と社会の関係をこう語ったことがある。
「大衆の波動とプレーヤーのきらめきが一体となった時が、本当のスターが誕生する瞬間だと思いますね」
「天覧試合のあのファンの波動が、長嶋茂雄を生み、高度経済成長が、育てたんですね」
独特の話法に、時代をつかむ鋭敏な嗅覚(きゅうかく)を感じさせた。
立教大で東京六大学の本塁打記録を作り1958年に巨人へ入団。
本塁打と打点の2冠を獲得し新人王になった。
翌年、初めて昭和天皇が観戦した試合で、ライバル阪神の剛腕村山実投手から勝負を決めるサヨナラ本塁打を放つ。
その6年前に始まったテレビ放送の受信契約は200万台に達していた。
もっぱら学生野球が野球ファンの関心だった時代に代わり、
プロ野球中継が広く庶民の夜のだんらんとなっていった頃である。
「4番、サード、長嶋」のアナウンスに球場は沸いた。
ここで打ってくれたら、という期待に応える勝負強さに、
果敢な守備と攻撃的走塁も相まってファンを魅了した。
王貞治さんとの「ON砲」を支えに球団は9連覇を達成。
引退する1974年までは、高度経済成長を成し遂げ、
そしてその終わりを迎えた社会の変化にぴたりと符合する。
現役選手を退いてからの長嶋さんは、
明暗の輪郭がくっきりと目立つようになったとも言えるだろう。
引退後すぐに監督に就任すると、球団初となる最下位の汚名に甘んじた。
トレードなどで他球団から遠慮無く有力選手をかき集める球団のもとで、
定石に従わない直感的な采配は「カンピューター」と評された。
数々の名言と迷言が、ファンを酔わせる一方でとまどわせることもあった。
突然の監督解任から再登板など、
そのサービス精神と根強い人気を当て込んだ周囲の思惑に振り回された面もあったに違いない。
球界全体がON頼みだったのは否めない。
最後に、陽気さとエネルギーを内側に忍ばせた別の面も記しておくべきだろう。
日本代表監督だった2004年、脳梗塞(こうそく)に倒れた。
その後は姿を見せる機会も激減したが、
東京五輪開会式の聖火リレーなど時折見る背筋の伸びたたたずまいは、
リハビリに取り組む誠実さと生きる喜びを映していた。
同じような境遇にある多くの患者や家族が、
自らを重ね合わせる存在だったのではないだろうか。
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長嶋茂雄さんは僕にとって、”愛憎まみえる”人でした。
自分が生まれた世代で、スポ根(コン)もののマンガ(あえてコミックとは言わずに)やアニメは
切っても切り離せない人も多いのではないでしょうか。
「巨人の星」「侍ジャイアンツ」「あしたのジョー」etc.
当時のサッカーは子供にとってはまだ人気のアイテムではなく、
テレビをつければまだ巨人のON時代の余波が強く、
実在の王貞治と長嶋茂雄をアニメの重要キャラしたアニメなどが大手を振った時代だった。
そんな時代だから、僕を含む当時の子供に野球は切っても切れない関係だった。
また近所には同級生の子供(いわゆる幼なじみ)がいて、
彼らが少年野球チームに入れば両親からも「一緒に野球をやりなさい」と言われ、
彼らが剣道を始めれば「一緒に剣道をやりなさい」と高い防具を買って、地元の剣道サークルに入らされた。
だがやっているうち、”自分はスポーツに向かない人間”だと思い知るのであり、
1年も経つと続けるのが苦痛になってくる。
少年野球のポジションはずーっと2軍のライトであり、
飛んでくる球は背よりも高いものばかりだから、満足に取れたためしがない。
剣道だって防具が重いわ汗臭いわで、正直楽しくなかった。
やがて小学4年生くらいになってクラシックギターのほうが格段に楽しいと知り、
苦情のように親に訴え続けて、やっとスポーツから解放されるのだった。
それまでは正直、両親には悪いけど同級生に付き合わされるのがどれだけ苦痛だったか……
そんなふうに、幼かった僕には長嶋茂雄さんは否が応でも巨人や”スポ根”の象徴だった。
その象徴のアニメのOPを。
本来、主人公の番場蛮ははみ出し者さとひょうきんが魅力だったんだけど、
オープニングテーマの変更から”スポ根の象徴”に切り変わった。
【公式】侍ジャイアンツ OP「王者・侍ジャイアンツ」│"THE STAR PITCHER" (1973)
作詞:梶原一騎/作曲:政岡一男/歌:ロイヤルナイツ
【作品概要】
1973年~1974年放送。
『巨人の星』の梶原一騎原作、井上コオ作画による野球漫画をアニメ化。
コミカルな展開と”ハイジャンプ魔球”、”大回転魔球”など
破天荒な魔球の数々が多くの視聴者の心を掴んだ。
演出は『オバケのQ太郎』『巨人の星』の長浜忠夫、
作画監督には大塚康生、
絵コンテには出﨑統や富野喜幸らが参加。
豪華スタッフによる競演も見逃せない。
第1話では原画として宮崎駿も参加している。
そして、「野球は巨人」のキャッチフレーズはかくも長くメディアを席捲し、
少なくとも関東地方のテレビ・ラジオの野球中継は”巨人戦”のためにあった。
それはNHK総合テレビ(全国放送)やBS日テレでは今も生きている。
ひどい時はTBSラジオ・文化放送・ニッポン放送・ラジオ日本(旧ラジオ関東)の4局が、
アナウンサーと解説者が別々で”巨人戦”を同時に放送していた。
…野球に無関心な人間にとって、それがいかに時間の無駄かは理解できるだろう。
だから、いったんプロ野球選手になったのち芸能人(タレント)に転身した長男の一茂さんの苦労は推して知るべし、だろう。
そして、監督引退後も”終身名誉監督”という肩書がついた長嶋氏は、
悪く解釈すれば彼の体調に関係なく”客寄せパンダ”として引っぱり出されたのを不憫に思ったのは、決して自分だけではないはずだ。
自分も共感できるコメントをされた和田秀樹さんの映像もご紹介いたします。
【長嶋茂雄さん】みんな褒めすぎじゃない? 和田秀樹チャンネル
2025/06/07 #長嶋茂雄
元巨人監督・長嶋茂雄さんの訃報を受けて、
和田秀樹があえて語る「もう一つの視点」。
プロ野球ファンとして、カープファンとして、そしてひねくれ者として、
一般的な追悼ムードとは異なる独自の意見を率直に述べています。
■Profile■ 和田 秀樹(わだ・ひでき)
小説家、精神科医、医臨床心理士、受験アドバイザー、評論家、
映画監督、ソムリエ(ワイン)など幅広い顔を持つ。
著書は950冊以上
代表作は『受験は要領 たとえば、数学は解かずに解答を暗記せよ』
2022年ベストセラー『80歳の壁』(新風賞受賞)
■Twitter■ 和田秀樹@YouTube @wadahideki_ch
( / wadahideki_ch )
ミスターが去った今、日本のスポーツ界、メディア、
いや日本社会すべてが、”高度経済成長期”の価値観から転換しなければならないのだ。
整備新幹線&リニアモーターカー・高速道路の建設を一刻も早く見直し、
在来線の時速130kmの”高速化”に対応して(戦車など防衛装備品を含む)物流の強化に備え、
JR路線のネットワーク強化、並行在来線問題の解決、
ホテル高騰のいま、安価で安全に移動できる”寝台特急”(特に東京~広島、上野~札幌間)復活のためにも
”JR会社の再編”をすべきだ。
東日本大震災で福島県に甚大な被害を背負わせた反省から原子力発電所の偏重を見直して、
地熱発電・波力発電などを含む再生可能エネルギーの普及と、送電線の自由化も進めなければならないはずだ。
最後になりましたが、長嶋茂雄さん、
ほんとうにお疲れ様でした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
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goo blogが閉鎖を決定されたこともありこの度、
今後の活動拠点を「はてなブログ」にする事を決定いたしました。
まだ作成に慣れておらず、満足な出来に至っていないので
もう少ししたら詳細をお話ししたいと思います。
「長嶋さん逝く 時代の波動 映した生涯」
https://www.asahi.com/articles/DA3S16228094.html?iref=pc_rensai_long_16_article
時代が人を選ぶのか、人が時代をつくるのか。
戦後の息吹をまといながら、駆け続けた。
ミスタープロ野球と呼ばれた元巨人監督、長嶋茂雄さんが亡くなった。
自らの野球人生と社会の関係をこう語ったことがある。
「大衆の波動とプレーヤーのきらめきが一体となった時が、本当のスターが誕生する瞬間だと思いますね」
「天覧試合のあのファンの波動が、長嶋茂雄を生み、高度経済成長が、育てたんですね」
独特の話法に、時代をつかむ鋭敏な嗅覚(きゅうかく)を感じさせた。
立教大で東京六大学の本塁打記録を作り1958年に巨人へ入団。
本塁打と打点の2冠を獲得し新人王になった。
翌年、初めて昭和天皇が観戦した試合で、ライバル阪神の剛腕村山実投手から勝負を決めるサヨナラ本塁打を放つ。
その6年前に始まったテレビ放送の受信契約は200万台に達していた。
もっぱら学生野球が野球ファンの関心だった時代に代わり、
プロ野球中継が広く庶民の夜のだんらんとなっていった頃である。
「4番、サード、長嶋」のアナウンスに球場は沸いた。
ここで打ってくれたら、という期待に応える勝負強さに、
果敢な守備と攻撃的走塁も相まってファンを魅了した。
王貞治さんとの「ON砲」を支えに球団は9連覇を達成。
引退する1974年までは、高度経済成長を成し遂げ、
そしてその終わりを迎えた社会の変化にぴたりと符合する。
現役選手を退いてからの長嶋さんは、
明暗の輪郭がくっきりと目立つようになったとも言えるだろう。
引退後すぐに監督に就任すると、球団初となる最下位の汚名に甘んじた。
トレードなどで他球団から遠慮無く有力選手をかき集める球団のもとで、
定石に従わない直感的な采配は「カンピューター」と評された。
数々の名言と迷言が、ファンを酔わせる一方でとまどわせることもあった。
突然の監督解任から再登板など、
そのサービス精神と根強い人気を当て込んだ周囲の思惑に振り回された面もあったに違いない。
球界全体がON頼みだったのは否めない。
最後に、陽気さとエネルギーを内側に忍ばせた別の面も記しておくべきだろう。
日本代表監督だった2004年、脳梗塞(こうそく)に倒れた。
その後は姿を見せる機会も激減したが、
東京五輪開会式の聖火リレーなど時折見る背筋の伸びたたたずまいは、
リハビリに取り組む誠実さと生きる喜びを映していた。
同じような境遇にある多くの患者や家族が、
自らを重ね合わせる存在だったのではないだろうか。
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長嶋茂雄さんは僕にとって、”愛憎まみえる”人でした。
自分が生まれた世代で、スポ根(コン)もののマンガ(あえてコミックとは言わずに)やアニメは
切っても切り離せない人も多いのではないでしょうか。
「巨人の星」「侍ジャイアンツ」「あしたのジョー」etc.
当時のサッカーは子供にとってはまだ人気のアイテムではなく、
テレビをつければまだ巨人のON時代の余波が強く、
実在の王貞治と長嶋茂雄をアニメの重要キャラしたアニメなどが大手を振った時代だった。
そんな時代だから、僕を含む当時の子供に野球は切っても切れない関係だった。
また近所には同級生の子供(いわゆる幼なじみ)がいて、
彼らが少年野球チームに入れば両親からも「一緒に野球をやりなさい」と言われ、
彼らが剣道を始めれば「一緒に剣道をやりなさい」と高い防具を買って、地元の剣道サークルに入らされた。
だがやっているうち、”自分はスポーツに向かない人間”だと思い知るのであり、
1年も経つと続けるのが苦痛になってくる。
少年野球のポジションはずーっと2軍のライトであり、
飛んでくる球は背よりも高いものばかりだから、満足に取れたためしがない。
剣道だって防具が重いわ汗臭いわで、正直楽しくなかった。
やがて小学4年生くらいになってクラシックギターのほうが格段に楽しいと知り、
苦情のように親に訴え続けて、やっとスポーツから解放されるのだった。
それまでは正直、両親には悪いけど同級生に付き合わされるのがどれだけ苦痛だったか……
そんなふうに、幼かった僕には長嶋茂雄さんは否が応でも巨人や”スポ根”の象徴だった。
その象徴のアニメのOPを。
本来、主人公の番場蛮ははみ出し者さとひょうきんが魅力だったんだけど、
オープニングテーマの変更から”スポ根の象徴”に切り変わった。
【公式】侍ジャイアンツ OP「王者・侍ジャイアンツ」│"THE STAR PITCHER" (1973)
作詞:梶原一騎/作曲:政岡一男/歌:ロイヤルナイツ
【作品概要】
1973年~1974年放送。
『巨人の星』の梶原一騎原作、井上コオ作画による野球漫画をアニメ化。
コミカルな展開と”ハイジャンプ魔球”、”大回転魔球”など
破天荒な魔球の数々が多くの視聴者の心を掴んだ。
演出は『オバケのQ太郎』『巨人の星』の長浜忠夫、
作画監督には大塚康生、
絵コンテには出﨑統や富野喜幸らが参加。
豪華スタッフによる競演も見逃せない。
第1話では原画として宮崎駿も参加している。
そして、「野球は巨人」のキャッチフレーズはかくも長くメディアを席捲し、
少なくとも関東地方のテレビ・ラジオの野球中継は”巨人戦”のためにあった。
それはNHK総合テレビ(全国放送)やBS日テレでは今も生きている。
ひどい時はTBSラジオ・文化放送・ニッポン放送・ラジオ日本(旧ラジオ関東)の4局が、
アナウンサーと解説者が別々で”巨人戦”を同時に放送していた。
…野球に無関心な人間にとって、それがいかに時間の無駄かは理解できるだろう。
だから、いったんプロ野球選手になったのち芸能人(タレント)に転身した長男の一茂さんの苦労は推して知るべし、だろう。
そして、監督引退後も”終身名誉監督”という肩書がついた長嶋氏は、
悪く解釈すれば彼の体調に関係なく”客寄せパンダ”として引っぱり出されたのを不憫に思ったのは、決して自分だけではないはずだ。
自分も共感できるコメントをされた和田秀樹さんの映像もご紹介いたします。
【長嶋茂雄さん】みんな褒めすぎじゃない? 和田秀樹チャンネル
2025/06/07 #長嶋茂雄
元巨人監督・長嶋茂雄さんの訃報を受けて、
和田秀樹があえて語る「もう一つの視点」。
プロ野球ファンとして、カープファンとして、そしてひねくれ者として、
一般的な追悼ムードとは異なる独自の意見を率直に述べています。
■Profile■ 和田 秀樹(わだ・ひでき)
小説家、精神科医、医臨床心理士、受験アドバイザー、評論家、
映画監督、ソムリエ(ワイン)など幅広い顔を持つ。
著書は950冊以上
代表作は『受験は要領 たとえば、数学は解かずに解答を暗記せよ』
2022年ベストセラー『80歳の壁』(新風賞受賞)
■Twitter■ 和田秀樹@YouTube @wadahideki_ch
( / wadahideki_ch )
ミスターが去った今、日本のスポーツ界、メディア、
いや日本社会すべてが、”高度経済成長期”の価値観から転換しなければならないのだ。
整備新幹線&リニアモーターカー・高速道路の建設を一刻も早く見直し、
在来線の時速130kmの”高速化”に対応して(戦車など防衛装備品を含む)物流の強化に備え、
JR路線のネットワーク強化、並行在来線問題の解決、
ホテル高騰のいま、安価で安全に移動できる”寝台特急”(特に東京~広島、上野~札幌間)復活のためにも
”JR会社の再編”をすべきだ。
東日本大震災で福島県に甚大な被害を背負わせた反省から原子力発電所の偏重を見直して、
地熱発電・波力発電などを含む再生可能エネルギーの普及と、送電線の自由化も進めなければならないはずだ。
最後になりましたが、長嶋茂雄さん、
ほんとうにお疲れ様でした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
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goo blogが閉鎖を決定されたこともありこの度、
今後の活動拠点を「はてなブログ」にする事を決定いたしました。
まだ作成に慣れておらず、満足な出来に至っていないので
もう少ししたら詳細をお話ししたいと思います。