ウィキペディア解説:
https://w.wiki/3TDF
日本経済新聞 2024年8月20日付記事
「高石ともやさんを悼む メッセージフォークの先駆け」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOIH197Z90Z10C24A8000000/
17日に亡くなったフォーク歌手の高石ともやさんは、メッセージ性の強いフォークソングを歌った先駆的な存在だった。
学生運動の盛んだった1960年代後半に起こった「関西フォーク」ムーブメントのけん引役の一人であり、
シンガー・ソングライターの岡林信康さんら多くの音楽家に影響を与えた。
1941年、北海道生まれ。
立教大在学中、ボブ・ディランやピート・シーガーらのフォークソングを訳して歌い始めた。
大阪・釜ケ崎で日雇いの肉体労働をしながら歌手生活を続け、
そうした経験が反戦や不条理をうったえるプロテスト(反抗)ソングの基盤となった。
高石さんの出世作となった68年の「受験生ブルース」は、
もともとフォーク歌手の中川五郎さんがボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」に日本語の歌詞をつけて制作したもの。
さらに高石さんが親しみやすいポップ調にアレンジしてレコード化し、大ヒットさせた。
中川さんは「高校生の時に高石さんと出会い『歌いにおいでよ』と言われ、いろんなコンサートに出させてもらった。
気さくで、威張らない人だった」と振り返る。
「高石さんと出会う前から僕なりにピート・シーガーを日本語訳して歌おうとしていて、共通点が多く
『同志』という気持ちもあった。
ただ、高石さんの訳詞は公民権運動やベトナム反戦を歌った作品のテーマを見事に日本に通じるかたちにしていて、
かなわないなと感じたのを覚えている」
一時期活動を休止したが、1970年代以降はフォークバンド「ザ・ナターシャー・セブン」を結成。
京都の祇園祭の時期にあわせて円山公園音楽堂で「宵々山コンサート」を開き、
2011年までに30回開催。
同音楽堂はフォークの聖地と称されるまでになった。
人気歌手であると同時に、マラソンランナーやトライアスロン選手としても知られる。
ハワイのホノルルマラソンには1977年から毎年参加していた。
生前、自作曲「陽気に行こう」について触れながら
「明暗両面がある人生の明るい方を見て生きようという歌だが、
ホノルルマラソンは私に人生の明るい方を示して元気づけてくれる」と語っていた。
落語家の桂米団治さんは
「おやじ(桂米朝)と親交が深かったので、私も仲良くさせていただいた」と振り返る。
高石さんに誘われホノルルマラソンに参加したこともあるといい
「その時の感動は今も脳裏に焼きついている。
ともやさんには『自分のペースで生きりゃあいいんだよ』と教えていただいた」。
米国から流れ込んできたフォーク音楽を、日本なりに発展させていく当時の音楽シーンの中で、
一つの時代を築いた高石さん。
反戦や社会の不条理といったテーマを歌に込めながら、
人生を健やかに生きることの大切さを全力で表現した人だった。
(文章執筆:安芸悟 氏)
----------------------------
高石さんのキャリアを振り返る時、
やはり ”ナターシャ・セブン” 誕生(1971)と
それ以前の”メッセージソング・シンガー”時代に分かれるようです。
当時自分はまだ物心もつかない赤ん坊から幼児だったので想像もつかないのですが、
1960年代は彼が疲弊してしまうほど激しく”騒乱・混乱の時代”だったようです。
その中での異色作が『東風』でしょうか。
復刻盤もYouTubeもないのが残念です。
高石ともやさんのイメージは”ナターシャセブン”と、
”飲んだくれ”の末まだ50代後半で亡くなられた高田渡さんとは対極的の”アスリート”であって、
自分には青空の似合う姿が眩しくもありました。
願わくばNHK-BSとかで放送された「フォークの達人」の再放送とか
していただけないでしょうかね。
そして、忘れられない歌をもう一曲紹介します。
自分としては杉田二郎さんの歌(1978リリース)として大好きな一曲で、
作詞が高石ともやさんでした。
今回は高石ともやさん追悼としまして
「ザ・ナターシャセブン」のバージョンでお送りします。
八ヶ岳(高石ともや&ザ・ナターシャセブン)
Author 作詞: Tomoya Takaishi 高石ともや
Composer 作曲: Jiro Sugita 杉田二郎
編曲:ザ・ナターシャセブン
歌詞:Uta - Net
https://www.uta-net.com/song/27156/
Associated Performer, Recording Arranger, Musician: The Natasha Seven
Associated Performer, Bass ( Vocal), Guitar, Percussion: Takasuke Kida 木田高介
Producer: Shiro Sakakibara
Associated Performer, Vocals, Violin, Guitar: Junji Shirota 城田じゅんじ
Associated Performer, Violin, Vocals, Guitar: Tomoya Takaishi 高石ともや
Associated Performer, Vocals, Guitar: Shogo Sakaniwa 坂庭省吾
Associated Performer, Vocals: Takaishi Tomoya & The Natasha Seven 高石ともや&ザ・ナターシャセブン
Auto-generated by YouTube.
最後になりましたが、ほんとうにお疲れ様でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。
2024年8月22日付訪問者数:267名様
お付き合いいただき、ありがとうございました。
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「高石ともやさんを悼む メッセージフォークの先駆け」
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17日に亡くなったフォーク歌手の高石ともやさんは、メッセージ性の強いフォークソングを歌った先駆的な存在だった。
学生運動の盛んだった1960年代後半に起こった「関西フォーク」ムーブメントのけん引役の一人であり、
シンガー・ソングライターの岡林信康さんら多くの音楽家に影響を与えた。
1941年、北海道生まれ。
立教大在学中、ボブ・ディランやピート・シーガーらのフォークソングを訳して歌い始めた。
大阪・釜ケ崎で日雇いの肉体労働をしながら歌手生活を続け、
そうした経験が反戦や不条理をうったえるプロテスト(反抗)ソングの基盤となった。
高石さんの出世作となった68年の「受験生ブルース」は、
もともとフォーク歌手の中川五郎さんがボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」に日本語の歌詞をつけて制作したもの。
さらに高石さんが親しみやすいポップ調にアレンジしてレコード化し、大ヒットさせた。
中川さんは「高校生の時に高石さんと出会い『歌いにおいでよ』と言われ、いろんなコンサートに出させてもらった。
気さくで、威張らない人だった」と振り返る。
「高石さんと出会う前から僕なりにピート・シーガーを日本語訳して歌おうとしていて、共通点が多く
『同志』という気持ちもあった。
ただ、高石さんの訳詞は公民権運動やベトナム反戦を歌った作品のテーマを見事に日本に通じるかたちにしていて、
かなわないなと感じたのを覚えている」
一時期活動を休止したが、1970年代以降はフォークバンド「ザ・ナターシャー・セブン」を結成。
京都の祇園祭の時期にあわせて円山公園音楽堂で「宵々山コンサート」を開き、
2011年までに30回開催。
同音楽堂はフォークの聖地と称されるまでになった。
人気歌手であると同時に、マラソンランナーやトライアスロン選手としても知られる。
ハワイのホノルルマラソンには1977年から毎年参加していた。
生前、自作曲「陽気に行こう」について触れながら
「明暗両面がある人生の明るい方を見て生きようという歌だが、
ホノルルマラソンは私に人生の明るい方を示して元気づけてくれる」と語っていた。
落語家の桂米団治さんは
「おやじ(桂米朝)と親交が深かったので、私も仲良くさせていただいた」と振り返る。
高石さんに誘われホノルルマラソンに参加したこともあるといい
「その時の感動は今も脳裏に焼きついている。
ともやさんには『自分のペースで生きりゃあいいんだよ』と教えていただいた」。
米国から流れ込んできたフォーク音楽を、日本なりに発展させていく当時の音楽シーンの中で、
一つの時代を築いた高石さん。
反戦や社会の不条理といったテーマを歌に込めながら、
人生を健やかに生きることの大切さを全力で表現した人だった。
(文章執筆:安芸悟 氏)
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高石さんのキャリアを振り返る時、
やはり ”ナターシャ・セブン” 誕生(1971)と
それ以前の”メッセージソング・シンガー”時代に分かれるようです。
当時自分はまだ物心もつかない赤ん坊から幼児だったので想像もつかないのですが、
1960年代は彼が疲弊してしまうほど激しく”騒乱・混乱の時代”だったようです。
その中での異色作が『東風』でしょうか。
復刻盤もYouTubeもないのが残念です。
高石ともやさんのイメージは”ナターシャセブン”と、
”飲んだくれ”の末まだ50代後半で亡くなられた高田渡さんとは対極的の”アスリート”であって、
自分には青空の似合う姿が眩しくもありました。
願わくばNHK-BSとかで放送された「フォークの達人」の再放送とか
していただけないでしょうかね。
そして、忘れられない歌をもう一曲紹介します。
自分としては杉田二郎さんの歌(1978リリース)として大好きな一曲で、
作詞が高石ともやさんでした。
今回は高石ともやさん追悼としまして
「ザ・ナターシャセブン」のバージョンでお送りします。
八ヶ岳(高石ともや&ザ・ナターシャセブン)
Author 作詞: Tomoya Takaishi 高石ともや
Composer 作曲: Jiro Sugita 杉田二郎
編曲:ザ・ナターシャセブン
歌詞:Uta - Net
https://www.uta-net.com/song/27156/
Associated Performer, Recording Arranger, Musician: The Natasha Seven
Associated Performer, Bass ( Vocal), Guitar, Percussion: Takasuke Kida 木田高介
Producer: Shiro Sakakibara
Associated Performer, Vocals, Violin, Guitar: Junji Shirota 城田じゅんじ
Associated Performer, Violin, Vocals, Guitar: Tomoya Takaishi 高石ともや
Associated Performer, Vocals, Guitar: Shogo Sakaniwa 坂庭省吾
Associated Performer, Vocals: Takaishi Tomoya & The Natasha Seven 高石ともや&ザ・ナターシャセブン
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最後になりましたが、ほんとうにお疲れ様でした。
謹んでお悔やみ申し上げます。
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