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音楽大好き男の徒然なる日記

追悼・高石ともやさん① 60代で演奏も“進化“ 40余年追いかけ見えた包み込む優しさ(日刊スポーツ)

2024-08-22 | 音楽
たいへん悲しい訃報です。 
何よりテレビでは全然扱ってくれない非情さが残念でなりません。


【悼む】高石ともやさん 60代で演奏も“進化“ 40余年追いかけ見えた包み込む優しさ
  https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202408190000754.html

「関西フォークの旗手」として、1960年代後半から日本のフォークソング界をけん引してきた
歌手高石ともや(本名・尻石友也=しりいし・ともや)さんが、
8月17日午後3時半に、京都市内の病院で亡くなった。
82歳。
8月19日早朝、所属事務所が公式ホームページで発表した。

   ◇  ◇   ◇     

学生時代に通った京都・円山音楽堂の「宵々山コンサート」そして「昼下がりコンサート」。
一昨年で最後となった大阪・サンケイホールでの「年忘れコンサート」。
これまで何度、高石さんのライブを目にしただろう。

思い出すシーンは少なくない。
ザ・ナターシャー・セブンのメンバー4人でギター、バンジョー、ベースを演奏した「四人羽織」。
熟練の音楽センスに裏打ちされ、ショーマンシップいっぱいのライブだった。

「歩く歌詞カード」と仲間内から評された高石さんは、頭の中にすべての作品が入っていた。
ステージでの派手な演出は一切なく、
楽器と歌、コーラスがすべてだった。
できる限り、アコースティックにこだわった。


60代になって、ライブに小さな変化が見えた。
ギターのソロ、ブルーグラス・スタイルのリードを披露するようになった。
それまでに見たことのない姿に衝撃を受けたのを覚えている。
年齢を重ねても新たな挑戦を続けていたのだ。

「受験生ブルース」の後、ヒット曲とは縁がなかったが、
ファンの多くは高石さんと一緒に口ずさんでいた。
会場の一体感は独特だった。


2022年12月のサンケイホール・ブリーゼ公演が、同所での最後のライブ。
81歳の声には艶があった。
いつものように、足取りは軽やかだった。
「まだまだ声が出てるのに、これで最後か。もったいない」というファンのつぶやきがもれた。

足をケガした高石さんが、松葉づえをついて仕事場のFM局にやってきたことがあった。
70代だったろうか。
痛いはずなのに、記者の前では笑顔を見せ、こちらの問いに答えてくれた。
しんどいこと、つらいこともたくさん経験したはずだが、
いつも包み込むような笑みをたたえていた。

1975年、木田高介がナターシャー・セブンのメンバーに加わった。
それまでの木田といえば、伝説のロックバンド「ジャックス」を経て、
かぐや姫「神田川」の編曲を務めるなど、音楽界の第一線で働いていた。

そんな木田が高石さんに導かれるように京都に移住。
草野球やランニング、海水浴など音楽とは関係のない日常を高石さんとともに楽しむようになった。
「こんな世界があったんだ。
 僕はこれまで楽器とスタジオしか知らなかった」と感銘を受けていた。
1980年の交通事故で木田が亡くならなければ、高石さんの音楽人生もまた変わっていたかもしれない。

逆風もあったが、高石さんは自分の生活にフォークを取り入れ、
人生をかけてフォークを追究した。
ただ悲壮感や重圧などは感じさせず、いつも軽やかな笑顔とともにあった。
  【日刊スポーツ 元音楽担当・三宅敏】



想い出の赤いヤッケ(高石ともや&ザ・ナターシャー・セブン)



宵々山コンサート ナターシャセブン① 1998年7月15日


陽気に行こう など


そして、ぜひ覚えていて欲しい歌があります。
自分もユースホステルで知った一人です。

街 - 高石ともやとザ・ナターシャー・セブン

作詞:高石ともや

 下駄の音 路地裏通り 雨上がりの屋根

 窓越しの手まり唄 おさげ髪の想い出
 この街が好きさ 君がいるから
 この街が好きさ 君の微笑(ほほえみ)あるから

 街の角 喫茶店 古い美術館
 山かげの細い道 初恋の涙
 この街が好きさ 君がいるから
 この街が好きさ 君の微笑(ほほえみ)あるから
 
 夕焼け雲 五重の塔 石畳(いしだたみ)の鳩
 プラタナスの道で 君を待ちながら
 この街が好きさ 君がいるから
 この街が好きさ 君の微笑(ほほえみ)あるから

 大学通り 流れる川 走る路面電車
 背の低い山を見て 君と僕の明日

 この街が好きさ 君がいるから
 この街が好きさ 君の微笑(ほほえみ)あるから
 この街が好きさ 君がいるから
 この街が好きさ 君の微笑(ほほえみ)あるから


「文字どおり、関西フォークのトップランナーでした。残念でなりません。
 私が一番好きな曲は「この街が好きさ 君が いるから」というフレーズの「街」でした。
 山かげの細い道、五重の塔、大学通り……。
 京都の街を愛し、京都の街と人に愛された人でした。
 どうぞ安らかに……。」
  後藤洋平さん(朝日新聞編集委員)のコメント。


京都よ、インバウンドが溢れて宿泊施設が高騰して
街として機能しない現状のままで情けないと思わないのか?!

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