朝日新聞 2018年7月4日付夕刊記事より
「戦争の記憶継承『私たちの責任』 カズオ・イシグロさん語る」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13570533.html?rm=150
昨年のノーベル文学賞を受賞した英国人作家カズオ・イシグロさん(63)が3日、
ロンドン市内で朝日新聞などのインタビューに応じた。
長崎市出身で、原爆を経験した母親を持つイシグロさんは、
戦争の記憶を受け継いでいくことが「私たちの世代の責任」と語った。
ロンドンであった長崎県と長崎市の名誉県民、名誉市民ログイン前の続きの顕彰式の後、
長崎新聞と合同でインタビューした。
主に原爆との関わりについて聞いた。
イシグロさんは1954年生まれ。
5歳で英国に移るまで暮らした長崎では、周囲の人たちが「ゲンシバクダン」と言っていたのを覚えているという。
母親の被爆体験を詳しく聞いたのは小説を書き始めたころ。
多くの友人を亡くし、恐ろしい体験だったと語っていた。
1982年の長編デビュー作「遠い山なみの光」の前に出した最初の短編で長崎の原爆について書くと、
表現者として「記憶を次の世代につないでいくことが大事」と言われたという。
「日本でも欧州でも第2次世界大戦を生き延びた人たちがどんどん亡くなっている。
彼らの話を次の世代に受け継いでいくことは、私たちの世代の責任」と語った。
十数年前、ポーランドのアウシュビッツでホロコーストの生存者と会い、
記憶の保存と継承について何度も問い続けたという。
「直接経験した世代から2世代進むと、出来事とのつながりを感じるのが難しくなる。
若い人たちには、実際に人の身に起き、もう一度起きるかも知れないということを考え続けさせなければならない」
(ロンドン=田部愛)
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自分の両親は幼年時代に戦争を肌で体験した世代だ。
そして自分は高度経済成長期に生まれ、当然戦争を知らずに育った。
だが、好きなアーチストや作家などに影響を受け、何かにつけ“戦争の惨劇”を聴いてきた。
こんなことわざがある。
「己の欲せざる所は人に施す勿れ」
【意味】 自分がして欲しくないと思うことは、他人にとっても同じなのだから、他人にすべきではないということ。
【類語】「我が身をつねって人の痛さを知れ」
「故事ことわざ事典」より
http://kotowaza-allguide.com/o/onorenohossezarutokoro.html
自分がされたら嫌なことは、他人にもしてはいけない。
いじめでも、差別でも。
当たり前だろう、ひいてはそれが社会のルールでなければならない。
だが、そんなルールをわからない愚か者が多くなってきた事に危機感を感じてならない。
先日の「沖縄慰霊の日」で素晴らしい詩を朗読した中学生の子の映像に、
あまりにも卑しいコメントをぶつける愚か者が存在するのに怒りと悲しみが込み上げた。
その汚く卑しい言葉、そっくりそのまま発言者に投げ返してやる。
不快な筈だ。
先のことわざを基にしたルールを、政府・与党が、それに盲信したメディアが足蹴にしたり、
忙しさにかまけてしっかり伝えなかった「親の世代」「会社の上司や経営者」が、
そんな愚か者を生んでしまったんだ、と思う。
確かに独裁国や強権主義の大国の政治・政策には不快感を感じるのも事実だ。
だが、お隣さんと仲良くやるルールは国家間でも共通だ。
「己の欲せざる所は人に施す勿れ」
お互いがわかり合おうとすれば良いのだ。
しないから醜くなるのだ。
「戦争の記憶継承『私たちの責任』 カズオ・イシグロさん語る」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13570533.html?rm=150
昨年のノーベル文学賞を受賞した英国人作家カズオ・イシグロさん(63)が3日、
ロンドン市内で朝日新聞などのインタビューに応じた。
長崎市出身で、原爆を経験した母親を持つイシグロさんは、
戦争の記憶を受け継いでいくことが「私たちの世代の責任」と語った。
ロンドンであった長崎県と長崎市の名誉県民、名誉市民ログイン前の続きの顕彰式の後、
長崎新聞と合同でインタビューした。
主に原爆との関わりについて聞いた。
イシグロさんは1954年生まれ。
5歳で英国に移るまで暮らした長崎では、周囲の人たちが「ゲンシバクダン」と言っていたのを覚えているという。
母親の被爆体験を詳しく聞いたのは小説を書き始めたころ。
多くの友人を亡くし、恐ろしい体験だったと語っていた。
1982年の長編デビュー作「遠い山なみの光」の前に出した最初の短編で長崎の原爆について書くと、
表現者として「記憶を次の世代につないでいくことが大事」と言われたという。
「日本でも欧州でも第2次世界大戦を生き延びた人たちがどんどん亡くなっている。
彼らの話を次の世代に受け継いでいくことは、私たちの世代の責任」と語った。
十数年前、ポーランドのアウシュビッツでホロコーストの生存者と会い、
記憶の保存と継承について何度も問い続けたという。
「直接経験した世代から2世代進むと、出来事とのつながりを感じるのが難しくなる。
若い人たちには、実際に人の身に起き、もう一度起きるかも知れないということを考え続けさせなければならない」
(ロンドン=田部愛)
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自分の両親は幼年時代に戦争を肌で体験した世代だ。
そして自分は高度経済成長期に生まれ、当然戦争を知らずに育った。
だが、好きなアーチストや作家などに影響を受け、何かにつけ“戦争の惨劇”を聴いてきた。
こんなことわざがある。
「己の欲せざる所は人に施す勿れ」
【意味】 自分がして欲しくないと思うことは、他人にとっても同じなのだから、他人にすべきではないということ。
【類語】「我が身をつねって人の痛さを知れ」
「故事ことわざ事典」より
http://kotowaza-allguide.com/o/onorenohossezarutokoro.html
自分がされたら嫌なことは、他人にもしてはいけない。
いじめでも、差別でも。
当たり前だろう、ひいてはそれが社会のルールでなければならない。
だが、そんなルールをわからない愚か者が多くなってきた事に危機感を感じてならない。
先日の「沖縄慰霊の日」で素晴らしい詩を朗読した中学生の子の映像に、
あまりにも卑しいコメントをぶつける愚か者が存在するのに怒りと悲しみが込み上げた。
その汚く卑しい言葉、そっくりそのまま発言者に投げ返してやる。
不快な筈だ。
先のことわざを基にしたルールを、政府・与党が、それに盲信したメディアが足蹴にしたり、
忙しさにかまけてしっかり伝えなかった「親の世代」「会社の上司や経営者」が、
そんな愚か者を生んでしまったんだ、と思う。
確かに独裁国や強権主義の大国の政治・政策には不快感を感じるのも事実だ。
だが、お隣さんと仲良くやるルールは国家間でも共通だ。
「己の欲せざる所は人に施す勿れ」
お互いがわかり合おうとすれば良いのだ。
しないから醜くなるのだ。