ろろ&りょりょのお遊びページブログ

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わが家のイプサム君

2010-06-21 23:05:00 | なんでもやってみ隊
わが家の車[[pict:car]] 『イプサム君』、もうすぐ12歳。
子どもたちが小さいころからわが家になくてはならない存在でした。
昨年の車検時に、エコカー減税も始まっていたものの、ずっと故障知らずで頑張ってくれたイプサム君に愛着があり、あと2年乗ろうと車検を通しました。
ところがエコカーの補助金が今年の9月までで終わると聞き、とりあえず、エコカー減税や補助金の詳細を聞いてみたいと、主人に言ったところ、じゃあ今日これからカーショップに行こうということになりました。
大学院進学を機に、今年4月から一人暮らしを始めている息子が週末で家に帰ってきていて、再び戻るために駅まで送っていく途中、先週の日曜日のことです。
適当な車のパンフレットをもらい、簡単に説明してもらうだけのつもりだったのに、家族総出で訪れた私たちは有望客とみられたのでしょう、熱心な説明がはじまりました。
特にその後の予定もなかったため、ついついお店の人の話に乗せられて、以前から興味があったプリウスに試乗までさせてもらいました。
すでに子育ても終わり、落ち着いた車でもよいと思う私は、プリウスが気に入ったものの、主人と息子は気乗りしない様子[[pict:soppo]]、やっぱりイプサム君の使い勝手の良さは捨てきれないようです。
しかし、イプサムはすでに販売終了しているため、同じ車というわけにいきません。
そこで、同じようなタイプの車を説明してもらいました。
仕様は微妙に希望する条件とずれていましたが、妥協できないほどではなく、まあいいかとその場で契約してきてしまいました。
7月初旬に納車の予定です。
あれぇ、エコカー補助金の話を聞くだけと立ち寄ったはずなのに…。
わが家はいつもこんな調子です。

それから1週間が経ちました。
毎週日曜はりょりょのお墓参りが日課ですが、今週は、週末で帰っていた息子を駅まで送りその足で霊園に向かいました。
いつもは渋滞する駅前は迂回していくのですが、この日は駅に出たためやはり渋滞にはまってしまいました。
のろのろ運転が続き、ようやく霊園に近づいてきたころカラカラ、ゴトゴト…今までにない変な音に気付きます。
何だろうと思っていると、エンジン警告灯がつきました。
ところがすぐに音はなくなり警告灯も消えました。
なんだったんだろうね、と言いながら走っていると再びカラカラ、ゴトゴト[[pict:exclamation]][[pict:dokuro]]ただことではありません。
警告灯もつきっぱなし、見ると水温計がふりきれています。

どうにか霊園までたどり着き、すぐにディーラーに連絡すると近くに支店があり、そこに持って行くように言われました。
なんと、今そこの店長がわが家にイプサム君を勧めてくれた営業マンだというのです。
わが家はそれほど車に興味がなく、古くても走ればいいと考えていたので、当時も買いかえを考えていませんでした。そんな折、何度もわが家に足を運び熱心にイプサムを勧め、今のイプサム君を引き合わせてくれたのがその人です。
イプサム君はわが家とのお別れが近づき、へそを曲げてしまったのかな[[pict:soppo]]?と思いましたが、我が家に送りだした『お父さん』に会いたかったのかもしれませんね。
とりあえず、イプサム君の熱が少し下がったところでラジエーターに水道水を入れて、指示された支店に向かいました。
エンジン冷却用のファンが壊れてしまったところに、渋滞が重なりオーバーヒートしてしまったようです。
エアコン用ファンは動いているので、エアコンをつけたまま出来るだけ渋滞を避けてスムーズに進むようにアドバイスされて無事に帰宅しました。

イプサム君、長い間お疲れ様、そしてありがとう[[pict:kirakira]]

ターミナルケア5

2009-12-09 00:41:00 | 闘病記
先日の参加者からのメールが予想以上に集まりました。
皆さん、それぞれが問題意識を持ち、今後の課題にしてほしいという思いのようです。
ホストのボランティアさんが依頼をするときにおっしゃった、
『あなたたちにしかできないことなんです。』
という言葉が、子どもに先立たれ自分が残された意味を自問自答しながら暮らす親たちの心に響いたのかもしれません。

頂いたメールの多くに、ターミナル期の現実を受け入れることができなかった思いが綴られています。
いや、まだ諦めない。きっとよくなる。まだ他によい治療法があるはずだ。
そんな思いでいるので、死への準備など取り組めるわけがありません。
医療者側から現実を突きつけられるたびに、耳をふさぎ心を閉ざしていきます。
それが、医療者への不信感につながってしまうケースもあります。
信頼関係なくしてよりよい医療は望めません。
そのためにも、特にこの時期には、精神面のサポートの必要性を感じます。
入院中に周りの人とコミュニケーションが取れる人は、周りの仲間がその役割を果たしてくれます。
しかし、状況により、なかなか周りの人と接触する機会がない人も多く、特に在宅に入ってしまうと、患児・親ともに孤立してしまうことになります。
これも、在宅ターミナルの大きな課題ではないでしょうか。

私は在宅ターミナルを希望していたわけではありません。
結果としてそういう流れになっていったというものです。
在宅でターミナルを迎えたことを後悔していませんが、人に病院と在宅でのターミナルのどちらが良いかと問われても、答えは出せません。
どちらにも、良い面、悪い面が存在し、何を求め何に妥協できるかは人によって違いもあり、同じ人であっても、その時々で違ってきてしまうからです。
経験者でさえ、答えが出せない問題を、直面している親が簡単に選択できることではないでしょう。
これからの人達が在宅・病院それぞれの状況を理解し自ら選択したことに悔いを残さずに済むように、経験者の私たちは何をしたらよいのかを考えながら、皆さんの意見をまとめていきたいと思っています。

ターミナルケア4

2009-12-06 22:36:00 | 闘病記
前回の記事にある診療所で、何度か血液検査をお願いしましたが、結局亡くなるまで、輸血が必要になることはなく、輸血問題は杞憂に終わります。

ここの診療所を探しているころは、りょりょはまだ体力もあり、普通に学校にも通えていました。
夏には家族と沖縄旅行、秋には学校の研修旅行(一般に言う修学旅行)、冬にはお友達と温泉旅行。
しかし、治療のほうは限界が近づき、どの治療も期待した効果が得られず、病気はどんどんと進行していきました。
両目の視力を失うころには、すっかり体力も落ち、もう通院さえも辛い状態になったころに、自宅で看取ることが目的ではなく、あくまでも、がんセンターでの治療のフォローをお願いするつもりで、在宅の先生を探し始めました。
りょりょが亡くなる4カ月前のことです。

前回の病院探しで相談センターの方に紹介いただいたところは、往診にも対応してもらえると伺っていましたが、いつ容態が急変するか分からない状態だったので、一般診療をメインにしている医療機関よりも、訪問診療を専門にしていて、夜でも対応してもらえるところを探すことにしました。
相談センターに連絡しましたが、担当の方がお休みのため、まずネットで検索を試みました。
自宅まで往診してもらうためには、ある程度範囲が限られます。
その狭いエリアの中で、末期がん患者で、しかも小児を診てくれるところを探さなくてはなりません。
まるで、藁の山から針を探すようなものですが、前回の病院探しの経験から、そんなに簡単に見つかるわけがないと覚悟はできていました。
小児科を探すときには、市内の小児科で検索をかければ、簡単に市内にある小児科すべてがわかるページが見つかりましたが、訪問診療を行っている医療機関を検索しても、まとめてあるサイトが見当たりません。
それぞれの医療機関のHPを一つ一つ見つけていかないといけないのです。
とりあえず、見つけた近くの在宅専門のところに電話を入れますが、やはり小児の扱いはないと断られてしまいます。

前の病院探しの時、何度か保健所に小児慢性に関する問い合わせをする機会がありました。
その時に、いつもお世話になっている担当の方から、
「市内に在宅をやっている少し面白い先生がいますよ。」
という話題が出ましたが、その時は輸血をしてもらえることを前提としていたので、そのまま聞き流していました。
ふと、そのことを思い出し、ネットで調べてHPを見てみると、救急医療でも活躍された、非常に志の高い方が院長先生のようです。
早速連絡を入れたところ、快く引き受けてもらえました。
3人の医師がローテーションを組んで往診をし、24時間体制で対応してくれるところでした。
そして、この先生方に最期の看取りまでお世話になることになります。

訪問医療の先生は、このようにして思いの外、早く見つけることができました。
しかし、これは前回の病院探しの経験と運の賜で、どこの地域でもこのように熱心な先生を見つけ出すことは、容易なことではないでしょう。

ターミナルケア3

2009-12-03 14:06:00 | 闘病記
先日参加された方からメールが届きました。
その方は、最期の看取りは病院でしたが、在宅の先生にもお世話になっていらっしゃいました。
私もそうでしたが、ターミナルケアのためではなく、病院での治療の合間のサポートとして利用されていたようです。
やはり在宅の医療機関を探すのには苦労されたようでした。
その内容を読むうちに、りょりょの時にも同じような苦労があったことが思い返されました。

りょりょが再々発後、完治は難しいと分かったころ、医師からは何度も治療の断念を勧められ、体力のあるうちに自由な生活をさせてあげたほうがよいと言われました。
しかし、どうしても納得できず、治療を継続してもらっていました。
一般的に小児がんの化学療法は毎日継続して抗がん剤を投与しているわけではなく、数日抗がん剤を投与しその後数週間の間隔をあけて再び抗がん剤投与を繰り返していきます。
薬を投与していない間も、出血や感染症の危険、貧血などに注意が必要となります。
そのため、長期入院が必要でした。
何度かの治療により症状も落ち着いてきたころ、抗がん剤治療の間隔を少しあけ、抗がん剤投与中のみ入院し、後は自宅で過ごすことになりました。
その時使っていた抗がん剤は骨髄抑制が比較的少ない薬だったため、抗がん剤使用後の血液状態も比較的安定していて、熱を出すこともなく順調で、自宅に戻っても特に問題ないだろうとの判断です。
また、そうすることで、僅かでも不自由な入院生活を減らすことができます。
院内学級に移していた学籍を、再び元の中学に戻し、しばらく短期の入退院を繰り返すことになりました。
時が経ち、使っていた薬の効きが悪くなり、進行を抑えきれなくなっていきました。
地元の中学に籍を戻してから1年を迎えようとしている時、担当医からある提案がなされます。

この時の出来事を、治療の様子を記録するつもりで書いていた一般非公開日記に見つけました。
この日記は筆不精ならぬ書き込み不精のため、ほとんど記録になっていないものでしたが、丁度この出来事は詳しく残してありました。
病院探しの大変さを書いているので、少し長いのですが、その部分をそのまま載せます。

2007/06/01(Fri) 01:28

前回の薬は骨髄抑制が強くはないものの、まったくないわけではありません。
その治療から2週間ほどしか経っていない時期に、骨髄抑制の強い薬を使っているので、今回は血液の状態が心配です。
治療を始める時点ですでに白血球は1500
正常値が4000~6000程度なのでかなり低い値です。
以前は1000を切ると外出・外泊許可も下りない規定があったほどで、それに迫る値の時期に治療を始めているので、普通なら退院など許されるはずもありません。
しかし、出来るだけ入院期間を短くする病院の方針や、出来る限り地元で過ごしたいりょりょの立場も考慮され退院が許されています。
ただ、血液の状態は頻繁に確認しなくてはいけません。
もし血小板や赤血球が低ければ輸血の必要がでてきます。
頻繁に外来に行かなくてはならないとなると、せっかく退院している意味もなく負担ばかりが増えてしまいます。
血液の状態が悪いということは、りょりょにとっても長い通院時間はこたえます。
そこで主治医から、地元で血液検査と場合によっては輸血をしてもらえる病院を探しなさいとアドバイスをいただきました。
自宅から通えて輸血もできる大きな病院と言えば、13年前にがんセンターに紹介状を書いてもらった市民病院か救急医療も充実している総合病院があります。
その時点では、どこでも受け入れてもらえるだろうという楽観的な考えの下、どちらの方が負担が少なく手続きも簡単か…などと天秤に掛けながら決めかねていました。
市民病院は以前からかかっていて、すでに小児慢性特定疾患の手続きが済んでおり、話が早いものの、自宅から病院までは渋滞が続き、到着するまでの時間がなかなか読めないところがあります。
鎌倉近郊の渋滞はハマってしまうと身動きが取れないのです。
一方、総合病院は自宅からも近く通院には楽です。
市民病院は大人は紹介状を持った人のみ受け付け、小児も一般と専門外来ではフロアーも違い感染症の患者と離れた場所で待つことができます。
一方総合病院は一般の患者が多い病院のため感染症の患者と同じ場所で待たなくてはならなくなります。
まあ、とりあえず両方に話を伺って考えることにしようと連絡を取ってみました。

2007/06/02(Sat) 01:00

先生から今回の指示を受けたのが入院中の金曜日の夕方。
すぐに総合病院と市民病院に連絡を入れました。
どちらも外来診療は終わっており、事務では判断が出来ないので月曜日の午前中に連絡してほしいと言われました。
月曜日は退院日になってしまいその後に紹介状をいただけなくなってしまうので、主治医にその旨お話をすると2通用意してくれることになりました。
月曜日は仕事のある日でしたが、退院と重なってしまったので無理を言ってお休みをもらえました。
10時退院なので早く病院に向かいたかったものの、ともかく退院後の受け入れ病院を決めておかなくてはいけないので、打診をしている病院の外来診療が始まるまで外出を待ちました。
まず、総合病院に連絡をすると、外来で受けるとなると感染症の人がいる場所での診察となりとても危険で、地元で対応を望むなら近くの大学病院で治療すべてを一貫してみてもらいなさいと断られてしまいました。
感染症と関係のない専門外来もある病院なので、そちらで対応してもらえないかお願いしましたが、そこは小児がんとは専門が違うので相手にしてもらえませんでした。
すぐに市民病院に連絡を入れると、血液検査は専門外来で引き受けることはできるものの輸血は小児の場合は入院でないと受けられないと言うことでした。
しかも、個室が必ず確保できる保証はなく肺炎などの感染症の患者さんと一緒の部屋になってしまう可能性もあり、それを承知ならいいでしょうということでした。
いやいや、感染症の患者さんと同室は困ります。
輸血が必要な時期は白血球も低く、抵抗力がない時期なのです。
また、わざわざ入院するくらいなら、電車に乗ってがんセンターの外来で対応してもらったほうがましです。
「病院の事情等も含めて詳しくご説明するので、お母さんが一度来院して医者とお話をしてみてください。」
との返事でした。

2007/06/03(Sun) 17:20

結局、受け入れ病院の目処が立たないままがんセンターに向かいました。
地元の病院探しを指示された時に、主治医からがんセンター内の相談支援センターに相談すると力になってくれるかもしれないと伺っていたので、病棟に上がる前に話だけでも聞いていただこうと支援センターの部屋に立ち寄りました。
予約制のようですが、今日退院で急いでいることを伝えると、すぐに話を聞いてくださいました。
自宅から近い2つの病院以外に輸血を行ってくれそうな病院を探してみてくださることになりました。
その後急いで病棟に上がりましたが、すでにお昼近くになっていました。
荷物はまとめて出してあり、りょりょはいるかで時間をつぶしていました。
主治医に総合病院は断られ、市民病院は入院でないと輸血は扱えず、個室の確保も約束できないと言われたことも伝えました。
りょりょはすでに14歳。
輸血に関しては大人と同じ対応でも十分であることを説明してあげるからと、市民病院に直接掛け合ってくださいました。
しばらくして主治医より強くお願いしておいたから、一度予約を入れてお話をしていらっしゃいと紹介状を渡されました。
自宅に戻ってから早速市民病院に予約を入れました。
予約受付では2週間後になると言われてしまい、とてもそれまで待てません。
骨髄抑制のピークを過ぎてしまいます。
1週間後あたりにはどうしても血液検査をしてもらいたいことをお伝えすると、外来に連絡をとってくれました。
すると、今度は
「明日11時半に予約を入れたので、お子さんを連れていらしてください。」
とお返事がありました。
今朝の話ではまずお母さんがいらっしゃいということだったので、
「子どもも連れて行く必要がありますか?」
と確認すると、
「お子さんも必ず。」
とのこと。
試験前のため無理して早くに退院してきているのに、また学校を休まなくてはいけません。
「明日ならまだ血液の状態はいいので、私だけではまずいですか?」
と再度お願いすると、
「確認してみます。」
と電話を切られました。
しばらくすると電話があり、
「やはり、お子さんも一緒で来て下さい。」
…こちらが無理を言って予約を入れていただいたわけですからこれ以上のわがままも言えません。
1時間目の授業だけ出て、学校から連れ出すことにしました。
お昼休みすぐ後の授業で小テストもあるので、それまでには帰ってこれるだろうと期待して…。

2007/06/04(Mon) 23:08

少しでも普段の生活を続けさせてやりたい。
これほどわがままなことを言う人も少ないでしょう。
母は子どものことになると、盲目になってしまうものですね。
でも、私はなんとしてもわがままを通したいと思っている馬鹿な母親です。

久しぶりの受診のため、総合受付で手続きするように言われていたので、りょりょを10時過ぎに迎えに行き直接病院に向かいました。
渋滞にはそれほどハマらず学校から30分ほどで着きました。
少し早く着きすぎた感もありましたが、初診受付に思った以上に時間がかかり、専門外来の前に着いたのは約束の11時半ちょっと前、待合所には5~6組の親子が待っていました。
どうやらその親子の一番最後がりょりょの順番のようです。
12時45分から学校で行われる小テストに間に合うだろうかと不安を懐きながら待っていましたが、一向に順番が進んで行きません。
退屈なりょりょは、退院翌日ということもあってか壁にもたれて寝てしまいました。
ずいぶん待ってりょりょも目を覚ましました。
とても小テストには間に合いそうにありません。
治療直後はお腹が空くと気分が悪くなってしまいます。
今までの経験で治療中はお腹をすかせないことが、副作用による吐き気を軽減する最高の手段なのです。
そこで売店でサンドウィッチを買って食べることにしました。
それでも呼ばれる気配がまったくなく、学校にすぐに戻るつもりで荷物もすべて学校に置いたままにしてきていたので、今度は学校の時間中に戻ることができるかが心配になってきました。
ようやく呼ばれたのが2時前。
診察室に入ると先生が、
「お子さんも連れて来たのですか…。」
の一言。
先生も断りの説明をするために、お母さんがいらしてくださいと言ったつもりだったのです。
「予約の時に私一人で来たいと何度もお願いしたのですが、子どもと一緒でないとダメだと言われたものですから…。」
とお答えすると、
「そうですか、そういう建前なんですよね。」
と先生のお返事。
大きな組織になると、融通がなかなか利かなくなってしまうものなのですね。
先生もいくつかりょりょに質問をして簡単な診察のあと、りょりょに外で待っているように指示をだしました。

「がんセンターの先生からかなり強引に頼まれたのですが、現実問題外来で輸血する場所が確保できないことを理解してもらいたい。」
と言うことです。
大人の癌の拠点病院になっているものの、そちらでさえなかなかスペースが取れなくて待たされているところに、小児科から緊急にスペースを使わせてほしいといっても、なかなか融通してもらえる体制になっていないというものだそうです。
血液検査に関しては、専門外来で受けることは可能であることと、緊急時には出来る限りの対応はとるつもりであることの説明を受けました。
ともかく、血液検査だけでもしてもらえれば翌日にでもがんセンターで輸血をしてもらえるので、血液検査の予約だけ入れて受診を終えました。

結局何のためにりょりょを連れてきたのか分からないまま、学校に着くと最後の体育の授業にどうにか間に合いました。
「りょりょも体育に出るの?」
と聞くと、
「たいしたことやらないし、できるところだけ参加するから。
最後にこの間お休みした時のボール投げテストがあって、それが成績になるから。」
と、とても昨日退院したとは思えない返事にびっくりしながらも、りょりょの自主性にまかせて特に口出しは控えました。

2007/06/09(Sat) 01:13

今まで血液検査もがんセンターに通っていたことを思えば、血液検査だけでも地元でしてもらえるのならありがたいことだと無理やり自分を納得させながらも、血液検査だけなら、家の近くの小さな病院でも十分対応できるのではないかとまだあきらめきれずに、どこかによいところがないか考えていました。
主に健康診断を請け負っている病院なら感染症の方はほとんどいないし、採血も出来るはずと健診センターに電話をしましたが、小児の扱いはないからとよい返事はいただけませんでした。
そんな時に退院の日に相談した相談支援センターの方からお電話をいただきました。
いろいろとあたってみたもののなかなかよい返事は得られないなか、1つだけ協力してもよいといってくれる病院があったそうです。
家からも非常に近く、車で10分程度のところです。
小児科はないものの、内科の医長先生が血液の専門らしく、輸血の対応もしてもらえそうだと言うので早速電話をしてみることにしました。
とても協力的な対応で、予約をお願いする段階まで話が進みましたが、小児慢性特定疾患受給の適応もお願いできるか確認したところ、事務の方に連絡をとって下さいましたが、小児科を持っていないので今まで対応したことがなく、今後も小児慢性の適応をする予定もないとのことでした。
輸血となると金額もかなりの負担になり、できれば小児慢性の適応を受けられるところでお願いしたいと考えています。
東京などでは小児慢性の資格を得ればどこの病院でも適応されるそうですが、神奈川では、病院ごとに申請して認定をもらわなくてはいけません。
まずは病院が県と契約をしていないといけないのですが、それほど難しいものではないようで、以前茨城でサイバーナイフの治療を受ける時にも、小児科のない病院ですが、保健所の方が手続きの手伝いをしてくださり、スムーズに適応を受けることが出来ました。
それほど難しいこととは思えないのですが、出来ないといわれてしまえばどうすることもできません。
小児慢性の適応が出来ないと言われたことを、がんセンターの相談員の方に連絡すると、
「たぶん小児慢性のことを知らないので難しいものと勘違いしているのでしょうから、病院の方に話をしてあげます。」
と言ってくださり、おまかせすることにしました。
しかし、結局やはり小児科を持っていないので、そのような手続きをすることはできないということと、今後も小児科がないことで問題があることも予想されるので、引き受けられないと断られてしまったようです。
県と契約を取り交わして、患者の持参した意見書の用紙に医師がコメントを書いてくれればよいだけの形式的なものなのに…。
そこの医師は積極的に協力してくださる様子だったのに、やはり病院という組織がなかなか融通をきかせてくれないようです。

2007/06/10(Sun) 01:29

家からも近く、血液疾患も熟知している先生に血液状態を管理してもらえればこの上ないものと喜んでいたのですが、結局振り出しに戻ってしまいました。
相談員の方も、輸血までしてもらえそうなところはほとんどあたって下さっていて、家から通えそうなところはもう見つかりそうにありません。
今度は、血液検査だけに絞って探してみることにしました。
近所の小児科にいくつか電話をしてみましたが、
「内科が主で小児科は専門ではないので小児科専門にあたってください。」
「感染症の患者がいない時となると、時間外ですよねぇ…。ちょっと無理ですね。」
「感染症の子どもが多く、とても責任持って請け負えません、やはり大きな大学病院をあたってください。」
「血液検査は外注なので結果がでるまでに日数がかかります。」
などなど、簡単とも思えた血液検査さえ受けてくれるところが見つかりません。

ここまできたら片っ端から聞いてみようと、ネットで市内の小児科を検索してみました。
ざっと見てみると、近所にある大きな病院の系列の小児科があります。
住所も同じなので、どうやらそこの敷地内にある病院のようです。
大きな病院には小児科が入っていないのに、なぜ小児科だけ別運営で分けられているのだろうと不思議に思いHPを調べてみると、そこの小児科は、重症心身障害児施設内の小児科であることが分かりました。
外来診療も受けているようで、発達障害などの診察を行っているようです。
りょりょの場合は対象外と断られてしまうだろうとは思いましたが、他の小児科とは立場の違う病院なので念のために確認してみようと電話をいれてみました。
「血液検査くらいならできますよ。」
とあっさりとOKがでました。
感染症の患者さんなどの話も伺いましたが、一般の患者さんは来ないので、まず問題ないでしょうとのこと。
小児慢性のことも、たぶん大丈夫でしょうというお返事。
その時点では、正式なお願いをせずに、いったん電話を切りました。
保健所に確認すると、小児慢性の県との契約はすでにされている病院であることがわかり、手続きもスムーズに行きそうです。
そこで保健所の方に申請書類を送っていただくように依頼しました。

2007/06/23(Sat) 21:36

その後入院・サイバーナイフといろいろあったのですが、経過を残すために、まず、病院探しの後日談から書き込んでいきます。

がんセンターのソーシャルワーカーさんに連絡を入れると、大変喜んでくださいました。
並行して探していただいていたのですが、もう1つ近所のクリニックで引き受けてもよいと言ってくださるところがあるそうです。
歩いて10分ほどで行くことが出来るところで、状態によっては往診にも応じてくださるそうです。
血液検査は翌日午前中には結果を出してもらえるということでした。
診察時間を見ると6時までなので、りょりょも学校を休まずに済むかもしれません。
今度はどちらにしようかとうれしい悩みに変わりました。
往診にも応じてもらえるとなると、いざという時には安心です。
しかし、いざとなったらクリニックより、入院設備のある市民病院に駆け込むことになるであろうことを考えると、感染症患者さんのいない障害児施設内の診療所のほうが安全で今の状況には適しているように思え、とりあえず障害児施設の診療所に予約を入れることにしました。
今までの経過から推察して一番血液状態が悪くなる治療後2週間後にあたり、りょりょの学校の中間試験の最終日の7日(木)午後にお願いすることにしました。
丁度その日は市民病院で血液検査をお願いしていた日なので、そちらをキャンセルさせていただきました。
診療所で気軽に引き受けてくださったのが看護師の方だったので、いざ診察の段になって医師より難色を示されたらどうしようという不安もありましたが、いざとなればソーシャルワーカーさんが探してくださったクリニックもあり、今までよりは気楽な気持ちでいることが出来ました。

当日家から時間を計りながら車で向かいました。
途中の信号の繋ぎもよく、10分もかからずに到着しました。
海に面した高台にあり、潮の香りが漂い、とんびがまるで凧のように風に乗って浮いています。
綺麗でしゃれた建物が目に入ってきました。
まるで別世界に来たような不思議な雰囲気に包まれて施設の中に入っていきました。
病院という雰囲気はなく、施設の一角に診察エリアがある感じです。
院長先生が看護師さんとともにすぐにいらして施設の説明をして下さいました。
海に面したこの一角には、いくつも大きな病院があり、それはみんな昔結核治療を目的に建てられたもので、今伺った施設もサナトリウムとして建てられたものだそうです。
近年、結核患者も激減し、障害児施設として使われるようになり、今の院長先生が2年前に赴任されてから、外来を受けるようになったらしく、外来患者さんもまだ多くありません。
また、外来はすべて予約制なので待たされることもなさそうです。

まずは問診から。
母子手帳を細かくご覧になり、生まれた時からの成長過程、予防接種状況、家族構成などなど、事細かにカルテに書き込んでいかれました。

2007/06/24(Sun) 00:21

生まれた時からの経過を事細かに聞かれ、カルテに記載していかれました。
今までこれほどの問診を受けたことはありません。
重い障害を持つ子どもたちを診る先生だけに、その子のすべてを知っておく必要があるのでしょう。
いくつかりょりょの状態には関係のない項目は飛ばされましたが、問診だけでずいぶんと時間がかかりました。
最後に、今後病院に希望している内容を聞かれました。
血液検査と状態によっては輸血を行ってもらうことであること、しかし今までどこの病院にも輸血は受け入れてもらえず、せめて血液検査だけでも近くで感染の心配なく行ってもらえるところを探していたことを伝えました。
そこで、先生は血液検査は引き受けてくださることを約束してくださいました。
隣の入院施設もある系列病院に委託して血液検査ができるので、検査結果は30分あまりで分かるそうです。
分かった時点でがんセンターに依頼すれば早い対応も取れるので、願ったり叶ったり。
輸血に関しては、まだ状態を診たばかりで今の段階では受け付ける約束は出来ないと言うお返事でした。
言い方からは、しばらくお世話になってりょりょの容態等がある程度把握できれば、対応も可能なニュアンスです。
血液検査だけでも受けてもらえればもう十分です。
とても温かみのある先生でお任せしても安心できそうだったので、これからお世話になりたいと希望して、早速採血してもらいました。
検査結果がでるまでどうするか聞かれましたが、りょりょも試験も終わりその後の予定もなかったので、そのまま結果を待たせていただくことにしました。

待っている間、診察室で今行った問診内容をパソコンに入力するのを一緒に見ていました。
最近導入された電子カルテにまだ慣れていない先生は、
「これはどう入力するんだろう?あれ、今の入力内容が消えちゃったよ。」
と、悪戦苦闘しています。
横からりょりょが、
「そこは半角に変えて! そこはエンターを押さなくちゃ!」
と応援。
途中で検査センターから電話が入り、白血球が異常値が出ていることが伝えられました。
一般の病院で、白血球が低い患者など来るはずはありません。
多分検査センターでも扱ったことのない症例で、びっくりしたのでしょう。
先生は、分かっているから大丈夫であることを伝え、検査の続行を依頼していました。
検査センターでの血液検査は機械が行ってくれるもので、異常値の判定も機械がしてくれるので、出てきたデータをそのまま提出するだけだと思っていましたが、きちんと確認し不自然なデータが出た時点で医師に確認してくる対応に、とても信頼できそうです。
問診内容がようやく打ち込み終わったところで、先生の外出の時間が迫ってきてしまい、いったん着替えてくるからと席を外されたところで、検査結果が上がってきました。
結果は医師から伝えるからと、まずは次回の予約はどうするか看護師の方に聞かれました。
何時ころが取れるのか聞くと、先生がいらっしゃる時間ならいつでもOKとのこと。
「学校のお昼休みに抜け出して来れれば、何かと都合がよいのだけれど、まさか、お昼の時間では無理ですよね…。」
と伺うと、
「だいじょうぶでしょ。先生が泣いちゃうかしら、うふふふふ。」
と、1週間後の12時半に予約を入れてくださいました。
なんだか、とっても楽しい雰囲気のところです。
先生が戻っていらして予約のことをお話しすると、大丈夫との返事にほっとしました。
血液検査の結果は、白血球は正常値の半分ほどですが、特に問題ない値です。
そのほか、最も気になる赤血球と血小板は正常値で輸血の心配はありませんでした。
同時に行った尿検査では軒並み異常値が出てしまい、経過観察が必要なようですが、今大騒ぎするほどのことはないというので、まずはほっとして帰宅しました。

ターミナルケア2

2009-11-30 19:10:00 | 闘病記
前回の続きです。
小児がん専門医や医療スタッフに、今後の小児がん患者のターミナルケアの在り方について提案するためのものなのですが、何をどうまとめて良いのか途方に暮れてしまいました。

まず、第一私は、作文が大の苦手。
御覧の通り、文章能力は小学生以下です。
このブログやHPは、自己満足でやっているもので、文章の内容が人に理解されなくても何の支障もなく、誤字脱字・語法の間違えもご愛敬…。
しかし、今度の依頼はそうはいきませんよね。

それに、私は闘病のころの記憶をはっきりと思い出せないのです。
私がHPを立ち上げた時はりょりょは元気な時期でした。
病気は完治し、輝く未来を疑うことなく信じていました。
だからこそ、10年前の辛い闘病のことが鮮明に思い出せていたのだと思います。
しかし、闘病記を書き始めてすぐに、りょりょの再発(正しくは二次がん)が分かり、その時から以前の辛かった闘病時の記憶が、靄がかかったように思い出せなくなってしまいました。
それで、HPの闘病記の続きも書けなくなってしまったのです。
それから新たな闘病が始まり、どんどんと積み重なる苦しい体験が、以前の苦しい記憶に上書きされているかのように、少し前のことさえ思い出せない状態になってしまいました。
キャパの小さな私の頭には、あまりにも色々とありすぎて入りきれなかったのでしょう。
在宅のことも、詳細が思い出せません。

そこで、ボランティアさんのお宅に招待された皆さん方に、ご自身のお子さんのターミナル期の経験と今後への提案をメールで送っていただき、それを元にまとめていくことにしました。

早速、闘病中から仲良くしてもらっていたお母さんからメールが届きました。
今回の参加者の中で在宅経験者は私とその方だけでしたので、本当に助かります。
内容をみると、「そうそう、その通り、うちもそうだった。」と思えるもので、少しずつ私の記憶も蘇ってきました。
本当は、才女の彼女にこの役を引き受けてもらいたかったのですが、彼女はお子さんを亡くされた直後から、小児がん関係のボランティア活動に参加され、またボランティア活動の幅を広げるため、医療系資格の勉強もされているのです。
やはり今回は、現実逃避状態で何もしてこなかった私が引き受けなくてはいけませんよね…。

リハビリを兼ねて自分のできる範囲で頑張ってみようと思います。