「何があっても笑って死のう」
そう思っていた。
どんな目に遭っても、死ぬ時が来たら、絶対笑って死んでいこうと。
「人生は楽しんだ者勝ちだ」
「楽しむのは自分の心次第だ」と。
けれど。
私はもう笑って死ねない。
何があっても心から笑えなくなった。
昨年、父が死んでから。
自らその命を絶ってから。
もう動かなくなった彼を見たとき、私は
「なにやってんのよ!」と言った。
横たわる彼の足を叩いた。
私が殺したのだと思った。
彼はみんなに捨てられて...一人ぽっちで死んだのだと。
「自分のせいだ」と、家族みんなが思った。
とうの昔に彼と別れた妻である、私の母も。
みんなで彼を孤独にしたのだと。
何かにつけ、つらいことがあるたびに「俺は死ぬ」という父に、死なれては困ると思って、言わなかったことが山ほどある。
小学生、中学生当時の私に、それはとても辛い我慢だった。
それでも、父親が弱い男と知っていて、黙っていなければならないこともあると思った。
継母によって、どんな屈辱を舐めさせられたにしても.....その事を知った父にショックで自殺されるよりは黙っているのがいいと思った。
それは私なりの決断だった。
なのに.....。
それも無になった。
こんなことなら、辛いと言えばよかった。
「お父さん、どうにかしてよ」と。
みんなみんな.....我慢せずに言えばよかったのだ。
それが愛を伝える糸口になったかもしれないのに。
あんなにみんな父を愛してたのに。
何が原因かは今もわからない。
体の不調に悩んでいたのだとも聞いたが、他にも理由はあるだろう。
孤独?虚無?
しかし、だからといって、今さら知って何になる。
何百、何千回も繰り返した
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」をこれ以上繰り返したところで。
どんなに自分を責めたところで.....一体何になる?
もしこの胸が張り裂けても、彼は帰らないのに。
自殺は、家族殺しだ。
家族みんなのその後の人生を殺す。
心を殺してしまう。
それは.....究極のわがままだと私は考える。
許せないわがままだと。
あなたがもし、死にたくなっても.....家族を殺すことは、してはいけない。
運命が迎えに来るまで、必死に生きるのが愛だから。
自分を幸せにしてあげるのが、家族の幸せと思って.....。
人生を楽しんで!
そう思っていた。
どんな目に遭っても、死ぬ時が来たら、絶対笑って死んでいこうと。
「人生は楽しんだ者勝ちだ」
「楽しむのは自分の心次第だ」と。
けれど。
私はもう笑って死ねない。
何があっても心から笑えなくなった。
昨年、父が死んでから。
自らその命を絶ってから。
もう動かなくなった彼を見たとき、私は
「なにやってんのよ!」と言った。
横たわる彼の足を叩いた。
私が殺したのだと思った。
彼はみんなに捨てられて...一人ぽっちで死んだのだと。
「自分のせいだ」と、家族みんなが思った。
とうの昔に彼と別れた妻である、私の母も。
みんなで彼を孤独にしたのだと。
何かにつけ、つらいことがあるたびに「俺は死ぬ」という父に、死なれては困ると思って、言わなかったことが山ほどある。
小学生、中学生当時の私に、それはとても辛い我慢だった。
それでも、父親が弱い男と知っていて、黙っていなければならないこともあると思った。
継母によって、どんな屈辱を舐めさせられたにしても.....その事を知った父にショックで自殺されるよりは黙っているのがいいと思った。
それは私なりの決断だった。
なのに.....。
それも無になった。
こんなことなら、辛いと言えばよかった。
「お父さん、どうにかしてよ」と。
みんなみんな.....我慢せずに言えばよかったのだ。
それが愛を伝える糸口になったかもしれないのに。
あんなにみんな父を愛してたのに。
何が原因かは今もわからない。
体の不調に悩んでいたのだとも聞いたが、他にも理由はあるだろう。
孤独?虚無?
しかし、だからといって、今さら知って何になる。
何百、何千回も繰り返した
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」をこれ以上繰り返したところで。
どんなに自分を責めたところで.....一体何になる?
もしこの胸が張り裂けても、彼は帰らないのに。
自殺は、家族殺しだ。
家族みんなのその後の人生を殺す。
心を殺してしまう。
それは.....究極のわがままだと私は考える。
許せないわがままだと。
あなたがもし、死にたくなっても.....家族を殺すことは、してはいけない。
運命が迎えに来るまで、必死に生きるのが愛だから。
自分を幸せにしてあげるのが、家族の幸せと思って.....。
人生を楽しんで!
伯父はそのころ大病を患ったあと、退院し、
これから元気になっていこうと努力していた。その矢先だった。
家族のために生きようとしていた彼に、
あまりの出来事だった。
障害をもつ娘を抱え、妹である私の母に、
「さびしいよ、さびしいんだよ」と何度も泣いたという。
伯父は娘のためにも生きていく。
だが、心には埋められない寂しさが一生付きまとう。
erimaさんの言うとおり、
究極のわがままで、家族は苦しむ。
本当に人の死、旅立ち・・と言うのか、重いですよね。
私の母も数年間心を病み(うつ病)苦しんでいました。
ある時期になると元気になり、また不調になっての繰り返しで、3年前とうとう壊れてしまったかのように精神を病み常に誰かが付いていないと危ない状況にあり、本人が自分をコントロールできないから入院したいと2ヶ月ほど入院し、いい先生と自分に合った薬に出会えようやく元気を取り戻しました。
今は薬を飲みつつ無理なくお花いじりや野菜作りして過ごしています。
重い時にこちらの東洋医学を受けさせたいと私の家に引き取った事もありますが私が目を離した隙に大量に薬を飲み救急車で運ばれた事もありました・・
苦しむ母を見てきました。潔癖症でお堅くて・・そんな性格から心の不調がでたのだと思いました。そしていつも私たちから愛情が欲しくてたまらない様子でした。色々な性分から来るのかな。。本当に苦しいんだと思います。でも心を復活できる力が出なくて人生投げ出したくなってしまうんでしょうか・・弱いのでしょうね。
母によく「なった人にしかわからないのよ」って言われます。確かにそうなのだと思います。。
奮起する力って人の生まれ持ったエネルギーなのかな~
実は・・何かの話しになるとついお話してしまうのですが・・私も7年前に3歳を目の前にした娘を亡くしました。急病で元気だった娘が1日で旅立ってしまいました。色々な苦しみ悲しみがありましたがここまで過ごしてきました。元気を装い人から前向きだねと言われ傷付く事もありました。
でもね、辛かった分、人の旅立ちから学ぶ事は沢山ありますよね。私は小さな娘から沢山の事を学ばせてもらいました。
erimaさん、きっときっとお父様はあの世で「申し訳なかった。本当にゴメンよ」って悔いていらっしゃる様に思えてしまうんですよ。
きっとerimaさんも今まで色々な思いで過ごしていらしたんだろうな~
残された家族にとって、そういう身内の死は心の傷になりますよね。お父様のような亡くなり方をされると自分まで責めてしまいそうですよね。
でも起きてしまったら、それをこれから自分でどう切り換え進んでいくか。。とにかく色々な事を考えたり悩みながら自分が良いように自分の人生を精一杯生きていくことが1番だ~
ボチボチがんばっていきましょ~か
長くなってごめんなさい
自ら死を選ぶ人は、きっともう、何も考えられなくなっているのでしょう。死のことしか、現状から逃げ出す術しか...。残された者の気持ちは当然わかるはずもなく。伯母様も苦しんでおられたのでしょうけど...伯父様はもっと苦しむ。ご飯を食べていても、TVを見ても、良い映画を見ても、その死が頭から離れることはないでしょう。とても...よくわかります。私たちも、そうです。
けれど、たとえ苦しんだ末にしろ、そんな勝手な行為に人生を振り回されるのは許せない。生き残った者は、生きて行くしかないのだから、強く、強く生きなければ。伯父様もきっと、お嬢様のため、そう思っていらっしゃることでしょう。
私の父は、「世の中には可哀想な人がたくさんいるのだから、自分など幸せだと思わなきゃいけないんだぞ」と、私達に言って聞かせましたけど、実は彼自身が一番「この世で一番寂しくて可哀想なのは自分だ」と思っているふしがありました。たぶん、あの言葉は自分に言い聞かせるためでもあったのでしょうね。
私は...私達は、「前を向くしかないんだ」と決めましたが、伯父様のお話を伺って、さらに今そう思います。お嬢様のために強く生きておられる伯父様の決意を想って。
残された者を支えてくれるのは、家族の愛情、絆、です。愛する者を不幸な形で失ったからこそ、二度ともう、肉親をそんな悲しい目に遭わせてはいけないと、強くなれるのです。私は...残された家族の中で、いつも笑顔でいたい。明るいニュースをもたらす存在でありたいのです。「花が咲いた」とか、「猫が滑って転んだ」とか、些細なことでいい。たぶん、妹や弟も私に対して同じ気持ちでいてくれるから。だから...
笑って死ぬことは出来なくとも、笑って生きていくことだけは貫いてやろうと。
本当に、つらいお嬢様のお話...お母様のお話...噛み締めながら一字一字読ませて頂きました。人はそれぞれ、みんな悲しい、つらい思いを抱えて生きているものなのですね。それを、強さや、前を向く力に変えて...。
私の父に、hanachan様がお話してくださったことを聞かせてやりたかった。お母様が頑張って病と闘っておられることも。
けれど、今までも書いてきましたけど、私は家を捨てたままだったので、父が亡くなるまで、数年に一度話をすればいいほうだったんです。何の話も聞いてやることが出来なかった。もちろん、共に病と闘ってあげることも...父がそんな状態になっていることすら知らなかった、親不孝な娘です。父が人一倍寂しがり屋なのも弱いのも知っていたのに。
弱虫で、おちゃらけもので、潔癖症、とても気分屋の父でした。酔っては私に「erimaごめんな~、ごめんな~」と、言うのがクセでした。たぶん、小さいときからの色々なことを言ってたのでしょうけど。
たぶん、今も天国で言ってますね。「erima~、ごめんな~」って。泣き虫な人でしたから、泣きながら。
父が死んでから、本当に家族は苦しみました。けれど、生き残った者は生きていくしかない。ならば強く、明るく生きていこうと決めました。それが父のためでもあり、自分のためであり、何より家族のためだと。残された者は、旅立っていった家族の分まで、精一杯生きなければならないと。今、私達家族が話す父の思い出は、楽しかったことばかりです。「まったく、あのダメ男ときたらさ~」と。
今回このログを書いたのは、ともすれば死の誘惑に絡め取られそうになってしまう人に、自殺が何を引き起こすのかを知って欲しかったから。「あなたは愛されてるのに」と伝えたかったからなんです。うまく伝わったかどうかわかりませんけど。
私はこれからも強く、明るく生きていきますよー!
本当に...色々とありがとうございました
自分のコメントを書いてから、きっとerimaさんはそう言う思いのある人に呼びかけたくて書かれたんだな~って思いました。
コメントを取り消せないのでそのまま残してしまったけれど私のコメントで嫌な思いをさせてしまったら申し訳なかったな~とずっと気になっていました。
またね
嫌な思いだなんて...そんなこと全然!とても、とても勇気づけて頂きました。
hanachan様が話してくださったこと、その想いで、私も今までより一層、強く、明るく生きていけると思いますし、お母様を励まし、共に歩むhanachan様の生き方を見習わなければと、決意も新たに自分の人生に臨めそうです。
これからもどうぞよろしくお願い致しますね
人ひとりの人生には、
公有の幅の差こそあれ、
誰かとの繋がりがない人生はありえない。
たとえ天寿を全うしたのだとしても
天の摂理であったとしても
のこされたものは等しく痛みを負う。
自死に至るまでの心の葛藤は
残念ながら当人にしかわからないもので、
共有できない哀しみを周りの人はやっぱり
等しく負う。
死にはどうしても「辛い」感情が伴うから、
喪失感を癒すことなどできないのです。
ずいぶんとお辛い思いをなさったことでしょう、
また、ここにかき込むのに
ずいぶんと心が痛み、フラッシュバックのような
感情におそわれたことでしょう。
私たちができること、
それは、erima様の言葉を読み、可能な限り
感情の共有をすることなのかな、と思いました。
戦死、精神病、自死、他殺、事故死など・・・残された家族の一人はキリスト信者に、別の人は天理教に、宗教に救いを求めました。
いくつかの春は 知らず知らず人を変え
淡い思い上がりが その心を変え
みんなの謗りの中で 新たな恋をみつけて
それも春
彼がもうひとつの愛を手にした頃
母は突然家を出た 帰るはずのない
母の故郷を尋ねて 立ちつくした妹と2人
必死になって雷の音を数えた。
それは夏
ひとつ屋根の下で やがて別の愛
それぞれが違う愛を過ごして
子どもたちだけが取り残される形で
終わるも愛
つまり秋
それでもわたしたちは母を愛するのと
同じ位にそんな父を愛していたし
そんな父には わたしたちは何も言えなかった
それは冬
思い起こせば 誰も彼もみな
本当はとても愛し合っていた
わずかなすれ違いが物語を
変えてしまうなんて
それも愛
そんな彼が死んだ晩に
みんな同じ色の涙を流した
こんなに愛していたのに なぜ
それども結局愛されて死んでいった彼は
幸福だったと思っていいかい
ねぇ愛されて死んでいったあなたは
幸福だったよね そうだよね
erimaさんに詩を送ります!
imgrimomgri
自ら死を選ぶ権利など、人にはありません。
生き物として生まれたからには、死ぬまで生きなければ、
なりふり構わず生きなければ、と思うのです。
確かに、当人にしか知りえない苦しみも悲しみも
あったでしょうが.....。
等しく誰にもそれがあることを、知らねばならない。
いや、そんな事すら考えられないほど心を病んで、
コントロールが出来なかったのかもしれませんが、
たぶん、父は私達が彼をどれだけ愛してるか、
わかっていなかったのだと思います。
その後、どれだけ悲しむのかを...。
本当に、どれだけ苦しむのかを。
けれど、泣いてばかりいるのは何かが違う。
なんとなく「運命の思うつぼ」にははまりたくはなかったのです。
絶対「参った」はしたくない。しない。
運命をねじ伏せるまではいかずとも、
肩透かしを食わせるくらいはしてやりたいと。
それに...。
「私は愛されてない」などと思っているバカの頭を
張り飛ばしてやりたい気持ちで書いたんです。
人を張り飛ばす時に、自分も痛みを伴うのは
仕方のないことですものね。
けれど、ただひとつ...。
父は多くの友達と、別れた妻と、恋人達と、
子供達、兄弟たち、彼が可愛がった知人の子供たちと...
みんなに愛された人でした。
本当に可愛いヤツだったんです。
親に「可愛い」はないですけど。
ありがとうございます。なんと表現していいのかわからないんですけど...私たちの胸のうちに、素晴らしい形を与えて頂いて...。拙い私の言葉では、言いきれない思いに魂を与えて下さって。
本当に言葉が出ないんですけど.....父は幸せな人でした。私も...幸せ者です。
この思いを、大切にしてゆきます...。