夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「1月16日という日」

2024年01月16日 08時03分01秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
東京も総長は1度から3度ぐらいに気温が下がっています。
今日は一番寒かったかな。
日中も10度以下だったと思う。
炬燵に潜って昼寝。
風呂に入ろうとしたら、太ももや腕に欠陥が浮き出たように少し赤くなっていた。
これも寒さのためで、風呂に入ったら治りました。
血行が悪くなっているんでしょうね。

≪過去の記事≫

【2004年】
ペットショップに行き、ハムスターの餌、熱帯魚の餌と水の浄化財を買ったら、3500円。。。。。月末に近づくと痛いです。
なんだか一日が早くて・・・・仕事をしていると長いのですが、休みの日はすぐに終わってしまいます。

【2005年】
お年玉月年賀状の当選発表日です。
切手シートでした。
小学生のころ、切手集めに夢中だったのですが、毎年この切手シートを郵便局に行きもらうのを楽しみにしていました。だいぶ古いものが切手帳に残っています。
寒い雨でした。一時激しく降りました。もっと気温が下がっていたら吹雪状態ではなかったか。。。。しかし東京あたりは風が強いとほぼ雪にはなりません。
これも子供の頃の思い出ですが、東京も2,30センチの雪がよく降りました。池にも厚い氷が張り、子供が乗っても割れませんでした。
温暖化現象ですなぁ。。。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
「真鶴」
         講談社
         川上 弘美  著
先に読んだ「ハヅキさんのこと」の感想に、次のように書いた。
『「でも、どのひとも、ほんとうに生きているひととして認識していなかった。生きて、自分と同じように雑多な時間を過ごしているのだとは、考えていなかった。」(「センセイの鞄」より)
子から見た両親は、お父さん、お母さんという切り取られた人間を見ているのであり、○男○子という生きている人間を見ているのだろうか?40歳後半はそれが見えてくる。自分というものを通してなんとなく分かってくる。その自分を見つめたとき、死はそうは近くもないがそうは遠くもないという中途半端さを感じる。人生を振り返ったりこれから先を思う。そうは短くはないがそうも長くはないこれからを。
結局雑多な時間を過ごしていくのでしょうが。。。
40歳後半の女性の心の激しさは、「真鶴」という長編となっていったのだと思います。』
主人公の「京」は、40歳半ば。
70になる母親と高校生の娘「百」と3人で暮らす。夫「礼」は、百が幼いころに失踪をして行方不明。青茲という50代後半?の恋人がいる。
母・・・京・・・百。母娘3代で暮らすが、はじめに「三人の女の肉体」(25頁)という衝撃的な言葉が出てくる。京は、娘であり同時に母親でもある。母そして娘というものから離れれば、それぞれが女である。世代は違うが、女が3人住む家なのである。
百は少女から女になっていく。その母親は京という女である。
京の母親という部分と女という部分には、男への接し方にも微妙さが出る。失踪した夫である礼に対する京と、恋人である青滋に対する京には違いがある。夫礼に対しては、母親としての自分が出るのかもしれない。それは妻・嫁という微妙な女の位置ともいえるかもしれない。青滋は、男だけであり、女としてだけの関係を持てる。
「ハヅキさんのこと」36頁『ネオンサイン』には48歳の「私」に次のように語らせる。
『年とったもんねえ、とか、女としておしまいよねえ、とか。それでは余裕に満ちて成熟した女としての人生を謳歌しているのかといえば、これもちょっと違う。
中途半端。
それが今の私の感じにいちばん近い言葉である。』
ここでは平凡さの中にさらっと心のうちを吐露しているが、この『中途半端』さの中にある心の葛藤は強いだろうし、それをさらけ出したのが「真鶴」ではないかと思う。
京は、娘百のような若い肉体はすでにない。同時に皺の寄った肌を見せる母親の肉体でもない。精神的には、娘でもあり母でもあり、一方では女でもある。夫が失踪しているとしても妻・嫁という意識もあるだろう。毎日は母娘三代の生活の中に平凡に過ぎていく。この京の心の中はどうなんだろ?心の動きは激しさを増す。ここに「中途半端」さの一つの表現があると思う。
母親と一人の女としての深い狭間。。。妻・嫁と一人の女としての深い狭間。。。
腹を痛めた子という言葉があるが、女性は、妊娠に気づきつわりがはじまったときからその体に変化が出、出産という中に母親という意識は決定的である。ところが男は、父親という意識はあってもそれは体として感じるのではなく、子の成長過程の中に意識は高まる。この意味において父親と一人の男の狭間は女性に比べれば深くない。
84ページの2行目からの二人の言葉。。。
妻から見た夫の中にある父性と、夫から見た妻の中に母性は、そうとうづれているのかもしれない。父親母親になった夫婦関係。男女の関係。。。。
ここに男と女の違いの決定的な違いの一つがあるのかもしれない。
この男女間のお互いに完全に理解し得ない奥底にあるもの。男が愛する女が母親になった瞬間に感じる不思議な変化に戸惑うと同時に、女にとっても男は謎なのである。
この男へ対しての謎の部分と、一人の40歳後半を迎えた複雑な立場にある一人の女の葛藤が幻想的な世界として描かれていく。
京の後ろには、「ついてくるもの」が出てくる。同時に礼の残したメモには「真鶴」という文字。
作品は、この不思議な世界に入り込みながら京の心の葛藤を描く。
今日は真鶴に引き込まれるように何度も行くが、その中で「ついてくるもの」の姿はだんだんと一人の女の姿として明らかに見えてくる。京の中にある女という部分が現れたのだろう。不思議な世界にいざなわれる中に自分の心の中にある自分と話しをする。壮絶である。「蛇を踏む」では、母親と娘である自分との葛藤を壮絶に描くが、ここでは母親である自分の心が壮絶に描かれる。
作品は、平行して京と礼との夫婦関係の流れを描き、京にとっての夫としての礼と男としての礼を思い出すように描く。ここにも京から見た礼という一人の夫・父親と一人の男としての二面性が出る。その礼も真鶴での不思議な世界に現れてくる。
真鶴での不思議な世界は、京自身の心の葛藤の世界であると同時に、その心の葛藤から導かれる生死の境目の世界かもしれない。それだけ、京の心は追い詰められていたのかもしれない。それだけ壮絶な世界だったのである。
「真鶴には、いったい何があったの」
今日は百に聞かれる。
百も「ついてくるもの」としての父親礼に会っている。作品中には表れていないが、それは当然百の失踪した父親への激しい心の葛藤があったものとみるべきだろう。京の母親にも。
京はつぶやく。
「からっぽになっちゃった」
青滋との関係も終わる。
青滋は、今はもういない礼に京がまだ礼のことを考えていると別れていく。しかし青滋は、妻子からは離れられない。礼の失踪。。。。
逃げる男、離れていく男。
これは未だに今日にとっては謎を残すのだろうが、真鶴での不思議な世界から逃れた京の心はからっぽになったのである。
京自身が母親であると同時に女の部分を感じていたと同じく、男である礼にも青滋にも父親の部分と男の部分が同じようにあったのだと理解する中に京の心は男への葛藤から解き放たれたのではないか。
先に『センセイの鞄』から引用した言葉
「でも、どのひとも、ほんとうに生きているひととして認識していなかった。生きて、自分と同じように雑多な時間を過ごしているのだとは、考えていなかった。」
その中の「干潟ー夢」では幻想的な世界が広がり、センセイはこの世界を好み時々来るといいます。そして境の世界だといいます。現実の生きている世界と死の世界や無機質な世界の境かもしれない。そこでは、ツキコさんとセンセイは永遠に湧き出るカップ酒を飲み永遠の命があるのかもしれない。しかしツキコさんは、現実の世界に帰りたいという。
京も現実の世界に帰ってきた。
そこにあるのは、雑多な時間があるだけだが、京の心は満ち足りたものとなる。
人は、「何もないところから来て、何もないところへ帰っていく」(266ページ)京の人生のこれからは、そうは永くもなくそうは短くもない。ただ京は百の肩を抱きしめる。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
大寒も過ぎましたが今が一番寒さが厳しいとき。
それでもだんだんと春の気配を感じます。金のなる木は花が咲きはじまり、ミニバラは新しい芽を出しはじめています。デンドロビュームも花芽かな?
節分・立春はもうすぐ!!

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
内閣改造も済み、民主党のマニフェストもチャラになり日本がどのような方向に向かうのかが混沌としてきました。
これからの政治の一つのキーワードはデフレからの脱却でしょう。
その意味ではじわじわとあらゆる分野での値上げ行われてくるでしょうし、自己責任による負担増が行われ増税となっていくことは間違いないと思います。
その中でいち早く内閣が提起をしているものの一つが年金問題を中心とした高齢化社会に対処するための消費増税があります。それは法人税減税という国民生活重視から企業重視にという方向転換でもあります。
マニフェストを放棄する。この中で何を国民に新たな提起をするのかの民主党政府による知らせる義務があるはずです。
消費増税は年金問題をはじめとした老人医療費や介護の問題として増税と「福祉」がセットとなったものとして出てきていますが、それがあたりまえなものという先入観がすでに社会の中に定着しつつあります。それは、若い世代がどう高齢者を養っていくかという相互扶助という形で提起をされています。それは世代間格差という言葉でも表されている。
しかし、もう少し丁寧な中身の状態を公表するべきでしょう。その中でしか国民的合意は得られないでしょう。
年金問題で何を明らかにしなくてはいけないか?
まずは、年金制度というのは、収入(掛け金と国庫負担)があり、その収入の積立金の運用がありそして給付があります。
年金制度が赤字化しているというのをこの収入・運用・給付というそれぞれの段階でどのようになっているのか側からないと議論できません。収入が減って赤字化しているのか、運用面で赤字化しているのか、給付が増えて赤字化しているのか?そのそれぞれの赤字がどのくらい割合になっているのか?こういうものはまったく判らない中に年金の赤字や舞った無し待ったなしの増税が言われているわけです。
高齢化社会ですから年金の支給額は増加をしていくことはわかります。収入の減少や横ばいからこれだけを見ると赤字化は目に見えてくるとされますが、ここで問題なのは年金とは現役世代が需給高齢者を支えているということだけで見ていいのでしょうか?問題は積み立てられた年金の運用にもあります。そもそもこの運用されている「積み立てられた年金」とはなんでしょうか?積立金があるということは黒字なわけです。
僕たちの世代は、若い頃には高齢者の年金を保証しながら団塊の世代が高齢化をしていくことは明らかだから自分たちの年金は積み立てをしていこうとされて積み立てをしてきました。それが200兆円とも言われています。現在ではどこでどう減ったのかわかりませんが150兆円とも言われています。今の団塊の世代を中心に賦課方式で年金を支えて自分たちのために積み立て方式を同時にしてきたということではないでしょうか?それがいつの間にか年金制度の考え方が変わり年金は現役世代が負担をするという論理に摩り替ってしまいました。
消費税を10%にするという案が出ていますが、それは税収を約5兆円から10兆円にするということです。
この増税分5兆円を積立金200兆円あるいは150兆円と絡めて考えると、今の団塊の世代は自分たちが積み立てた年金を5兆円づつ食いつぶしていけば、40年なり30年は消費税増税はしなくてもいいという事ではないでしょうか?
団塊の世代を中心とした世代は、現役時代はその当時の高齢者の年金を保証し、自分たちの年金を積み立て、そして自分たちが給付を受けるようになったら若い世代の年金も考えろといわれる。若い世代は厚生年金に加入できる人が少なくなっていき国民年金も滞ざるを得ないからと。または今までも国民年金を支払っていない階層がいるからと。そして公務員の共済年金がどうなっているのかもわからずじまいでなんだか赤字らしいというので。
ここには世代間での損得なんてないでしょう。長年の積み立て金とは今の若い人たちがまだ子供だった頃からのものでほとんどは今の高齢者が積み立てた金ですから。
問題は、今の若い人の将来に心配される無年金化です。
そのために今から積み立てをしよう(ある試算では500兆円。だから今までの積立金200兆円なり150兆円も今の高齢者に支給してはいけないということ?)とか、今の老人が年金額を減らせとか、消費増税が必要だとか、年金の次方式だとかが出てきているわけです。今の若い人の中には国民年金もとどこうっていたり払っていない人も将来は年金をもらえるようにしようということです。その意味では年金問題の将来は同世代間矛盾なわけです。自己責任が頼む純矛盾なわけです。しかしそこには政治や経済の矛盾があるわけですから自己責任形と考えてはならないし、世代間格差を言っていてはだめで、それは自己責任ではないのですから今の政治や経済にしっかりと目を向けねばならないということです。

【2012年】ツイッターつぶやき
福島県浪江市の採石場の石を使ったコンクリートで新築された同県二本松市のマンションから高い放射線量が測定されたという。
5000トンを超える採石ですからかなり広く流通されているのでしょう。
流通経路が判明されていく中で原発事故後に建設されたマンション等や今後建設されるマンションなどの売れ行きにどのくらいの影響が出るのでしょうか?このような新築マンションへの不安から買い控えが出たときにまた風評被害でかたずけられるのでしょうか?
東北のガレキを多くの自治体でで燃やしていますが、その灰の使い道も心配なわけですが、このような形でも放射性物質が拡散されていくわけです。
この拡散により高い放射線量を浴びることになった方はどこに補償を求めてよいのか。また「すぐに健康に害を及ぼす値ではない」からと我慢をさせられるのでしょうか。
放射能と経済。。。。経済が放射性物質を拡散していく。

【2013年】ツイッターつぶやき
こちらの三橋さんの記事はどうなんでしょ?
現在をデフレギャップとして見るべきなのでしょうか?
河野さんという方の文章への批判なのですが。。。。。
なんだかまとまらない批判です。
もう少しゆっくり読んでみたいと思います。

【2014年】ツイッターつぶやき
日銀の会合で「景気回復」の宣言に近いものが出た。
年末や年始は消費の拡大はありますし、高額品は消費増税前にという駆け込み需要がある。安倍総理の賃上げ要請がまた出たこともありますし経済界もそれに応えるような発言が出ていますから、これまでのアベノミクスの流れの中に漂うなんとなく景気はよくなるといったものがまた出てきたと思われます。
しかしこれまでのアベノミクスによる景気回復は庶民生活にとっては具体的な賃上げ(実態はボーナスですが)も限られた産業でのものでしたし、実感の伴わない景気の回復でした。実感の伴わない景気回復は実は「期待」でしかないということです。
また景気回復も格差を広げる中に現れてくるでしょう。
小泉政権時の景気の回復もやはり実感のない景気回復でしたし不安定雇用の増加による中での雇用の拡大でした。
また同じことが繰り返されるのかもしれません。
日銀の景気回復宣言もまた「期待感」は作り上げるでしょう。春闘での賃上げを財界が容認したといわれますが、実際は企業別で見るとそうは多くの企業が積極的ではない。これもまた期待感でしょう。実際連合の要求がどのくらいなのか?そうは高い要求ではないでしょう。ですから賃上げが実現してもわずかなものになりますし、連合の妥結が広がりを見せるかというとそうでもないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
日本人はアメリカが日本を守ってくれているという考え方をずっと持ちながら日米安保の重要性や必要性を考えてきたのではないか?
しかし今や日本がアメリカの安全のために戦争に巻き込まれる可能性の方が大きくなってきているのではない妥当か。
今までも沖縄の米軍基地の役割を見ればアメリカの対アジアの軍事戦略の中に置かれていた。
しかし日米安保は日米同盟として日本全体がアメリカの安全のために存在することがはっきりと見えてきたのではないか。北朝鮮や中国そしてロシアとの軍事的対立がアメリカだけではなくて日本を巻き込んだ形で形成されはじめている。今後は莫大な軍事費と自衛隊の活用がはじまるでしょう。
gooニュースに「半島有事の場合、邦人・米国人ら対馬に一時退避」という記事があったが、邦人・米国人「ら」とあるので他国の観光客も含めて退避させるのでしょうが、詳細はわからない。日米同盟から米国人優先となるのか?対馬もホテルなどは民間のものですしそこには宿泊者もいる。もちろん住民もいる。日米同盟は民間にもその軍事的行動の範囲が及ぶことになるでしょう。
朝鮮半島では南北の階段も始まり半島の平和的安定を望む国は多いはずですが、アメリカは軍事的解決は捨てておらず、そこに同盟国としての日本が歩調を合わせている。
軍事面での日本のイスラエル化が心配です。

昨日15日が小正月でした。
昨日は忙しかったので、今日小豆粥をつくることにしました。
大納言の小豆を買ってきましたが、昨夜から一晩水につけて午前中に一度にてアクを取っておきました。
おかゆもコトコト炊くと美味しいのですが時間の節約のために炊飯器でつくります。炊飯器で多めの水で小豆を茹でて、そのゆで汁を使っておかゆをつくり最後に茹でた小豆を入れて出来上がり。
おかゆだけに使うには小豆が多すぎましたので残りの小豆は餡子にしました。
コトコトと1時間ほど炊くとふっくらした茹で小豆になります。一度ボールに小豆をとってから鍋に水と砂糖を入れて沸騰させ小豆を戻して強火で水分がなくなるように煮詰めれば出来上がり。
甘さは相当控えめにしました。
出来上がった餡子は少しボソッとした感じがありますが、この餡子の具合は僕が好きな田舎饅頭の餡子そのもの。。。。。
水を足してお汁粉にします。
というわけで餅も買ってきてしまいました。
餅はいくら食べても飽きませんなぁ。。。。。昼は昼で磯部餅に。。。。。アハハハ
磯部餅と言っても砂糖がたっぷり入った醤油を使いますから甘めです。これがうまい!!

【2019年】ツイッターつぶやき
嘘も方便(うそもほうべん)という言葉がありますが、「ほうべん」は仏の救いだけではなくて世渡りのための「たつき」とも読むそうです。
嘘も方便だと自分を仏に例えて実際は世渡りのための嘘を利用するということでしょう。
これが集団的になれば「嘘をつかねば仏になれぬ」とうその世界が広まってそこでの私利私欲に走っていく。
去年アメリカのトランプさんが大統領になった後にポピュリズムという言葉が出てきました。
大衆の利益を守るという方便(ほうべん)としながらも実は権力を手に入れるという方便(たつき)になっているという政治の世界が広がりました。日本も公文書の隠ぺいや改ざんが言われていましたが、統計も怪しくなっています。この中で国会内では議論されてばれないうちに数の力での強行採決という政治に見えますね。
「嘘をつかねば仏になれぬ」。。。嘘の上塗りがはじまります。
「嘘も方便(ほうべん)は、仏教の教えで「三車火宅」の例えから来ているそうです。
家が火事になっているから逃げろと言っても逃げない子供がいる。仕方ないか外に出ると三つの車のおもちゃがあるから逃げろと嘘を言って逃げさせる。本来はこのような使い方だったのでしょう。
しかし子供は仕方ないとしても大人が火事で逃げないのは仕方ないですが、いい大人が逃げないというのはおかしなものです。方便(ほうべん)という嘘で逃げているのに慣れてしまうと方便(たつき)でも騙されてしまいますね。

【2020年】ツイッターつぶやき
1月15日は小正月。
小豆粥を食って無病息災。。。。。。。
昨日は忙しくて作れなかったので今夜作りました。
ネットで炊飯器だけで作れる小豆粥というのがありましたので参考にさせていただきました。
まず小豆だけを炊飯器で炊きます。残り汁も含めてこれを研いだ米に入れるわけですが、我が家はもち麦をたくさん入れます。もち麦の粒粒感があるお粥はうまいですよ。
そういえばすぐに1月20日の二十日正月ですなぁ。
二十日正月には麦飯を食わねばならぬ。
でも、今日もち麦を食ってしまったので、二十日正月は省略です。
二十日正月までには餅などもすべて食い尽くさねばならないそうです。無理・・・・・餅はたくさん残っている。今はカビも生えないようになっていますからのんびりと食ってもよいでしょう。
すーぱスーパーに早くも菜の花が出ていました。
小豆粥に菜の花のからし醤油和え。少し酢を入れました。春までもう少し(^^♪
小豆粥に菜の花の和え物。写真を撮る前に食ってしまいました・・・・・

【2021年】ツイッターつぶやき
12月末にGO Toが中止になりましたがなぜ感染者数が減らないのでしょうか?
ピーク時に鞍手比べてわずかでも減少傾向が見え、例え横ばいでもある程度Go To中止の効果があったのではないかと思います。しかし大幅な減少傾向は見えていません。
なぜ新規感染者数が減らないのかの前に、GO Toの中止が遅れたことにより何が起きているか?
ある程度爆発的な感染者の拡大ですから当然重症者や死亡者が多くなります。これも大きなGO Toの後遺症でもありますから今後も新規感染者が減少するまで重症者や死亡者がある程度多くなるでしょう。
新規感染者数が減らないことについては、前回の緊急事態宣言よりも在宅勤務や人出が減らないことがあると思います。これは飲食店での会食にも現れているでしょう。
GO Toは政府が人の移動や密を前提としたもので、人の移動や密を政府が促進しました。カネをもらえれば心配ながらも旅行に行ったり会食をしたりします。同時にこのようなアクセルと同時に感染予防では国民の自己責任を問い続けました。すると経済効果という錦の御旗で移動することが正当化され、自己責任で気をつければいいのでしょうという言葉は悪いですがいいわけができてしまいました。ですからGO To中止後も金は政府からもらえないが人の移動の促進と会食についても変化がなく、自己責任で所で済むような風潮が出来上がってしまいました。それは自民党の政治家自らが実践してしまい国民への一つの範と見えました。
以上のようにGO Toの後遺症がなくなるまで新規感染者数は大幅には減らないのではないかと思います。

【2022年】ツイッターつぶやき
ワクチンを打たなければ社会的な活動を制限するって、雇用も含めてですよね。。。。。
これでは接種するしないは自由ではなくて接種を強制です。
ワクチンから離れますが、喫煙は自由ですよと言われる。しかし喫煙者は雇用しないという企業が出てきていますし、モンスター嫌煙者は雇用するなと声高に叫ぶ。
このような自由だぞと言いながら強制をするという醜いものが社会の根底い流れ始めている。
それで日本は自由を認める民主国家だと。
(以上ツイッターから)
14日に『アメリカ 企業のワクチン義務化』というものを書きましたが、日本でも今後ワクチンを接種しない人たちへのワクチンの強制が行われるかもしれません。
自由を保障するのが自由と民主主義の国だと言われていますが、たしかに法律などでは自由だよと言われる。しかしその自由を上記したように雇用しないとかの方法でその自由を抑えるならその行為は強制となり自由を奪うことになります。
こうしたワクチンや喫煙は特別な事柄だからと見えるかもしれませんが、たとえば、日本は休暇を取ることは法律で決められ自由に取れることになっています。しかし日本は休暇の取得率が極端に悪いです。自由に休暇がとれることができるはずですが、いざ休暇を取ろうとすれば仕事を他の人が行わなければならないから迷惑だという雰囲気が企業の中で作られているから休暇をとれないわけです。
こうした例はこの社会の中でたくさんの事例があるのではないでしょうか。
これが自由を認める民主国家日本です。

【2023年】ツイッターつぶやき
僕の唯一の持病といえるものが眼病です。
毎年医者に行くのはこの目の病気だけです。毎年多額の健康保険料を納めるのですが、医者に行くのも眼科だけですからもったいない?(笑)健康が一番ですなぁ。でも、健康診断にも行かないのでほんとに健康かというとわかりませんが、これといって痛いところもないし。。。。。 
ウィルス性のものではないので家族や人にうつす心配がないだけ気楽なのですが、痛みがありますからうっとうしい。
雨の中医者に行ってきました。
健康診断も受けていないと医師に言ったら、血液検査ぐらいは受けたほうがいいと。
以前、目に注射をしますよと驚かされましたが少しは医者の言うことを聴いたほうが良い年齢になりました。

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