陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「あの日のエグザイル」(四)

2012-12-24 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女


お目当ての買い物はすんだのだ。ここにいつまでも立ち止まっている理由はない。
ソウマはなんとなく、気詰まりがして、姫子を促してふたたび歩き出しはじめた。手にした紙の小袋がふらりと揺れる。姫子に近い手を無防備にしなかったことに、ソウマは思い至らなかった。もみじのようなちいさな手をつないで並んで歩いたのは、いったいいつのことだっただろうか。さりげなく、腕をくの字にして姫子へ寄せてみたが、空振りに終わってしまった。姫子は心ここにあらずといったふうに、よそ見していた。なんとなく、そわそわしている。

このあとの予定は何だっけ?
思い出せない。手帳を取り出して、確認する気にもなれない。
俺はこの日の最後にどんな結末を夢みていたのだろうか? どうして、せかせかと、彼女と過ごす時間を急ぐのだろうか。

いつのまにか、来るはずだった公園まで辿り着いたことにさえ、ソウマは気づかなかった。
無意識に目に飛び込んできたのは、真新しいペンキを塗り替えて、鮮やかな紅いシーソーだった。あのシーソーの片側にあいつを乗せて、俺が押し上げてやったとしたら? 満天の星空、大きく輝く月。それに近く、きらきらとしたあの瞳を天に届かせる。姫子はきっと微笑んで、俺を見つめてくれるだろう。暗闇に輝く明るい髪には、もうひとつの星が光っている。それは俺が、この日、彼女に与えるはずのものだ──ソウマはこんな夢想に酔いしれて、計画を練っていたはずだった。

だが、ふたりは、あてもなく、目的もなく、ぶらぶらと街を練り歩いているだけだ。
シーソーは永遠に埃っぽい舞台裏にしまわれている芝居道具のように、あっけなく通り過ぎてしまった。子どもっぽい計画だった。しかし、なぜ、あんなに、あれにこだわってしまうのだろう。

それは過去の記憶の綻びだったのか、それとも夢の切れ端だったのか、さだかではない。
──ソウマは自分が日暮れの公園で、独りぼっちでシーソー片側に乗っていた光景を思い浮かべた。
真正面に座る笑顔の女の子を待ちくたびれて、それでも、いつまでも冷たい鉄の片側を温めつづけている、そんな虚しい風景。

姫子と自分はおなじくらいの重さで釣り合っていた。
容姿だとか、才能だとか、家柄だとか、財力だとか、そんなものじゃない。ふたりで過ごした歳月の厚みが、釣り合っていたのだ。彼女となら、苦労を共にしていけるし、支え合えると信じて疑わなかった。「きみはぼくのしょうらいのおよめさんになるんだよ」「いつか、おれんとこに来いよ」──そんな甘ったるい子どもの約束だったわけじゃない。男の涙を知って微笑む女こそ愛おしいものはない。向かいに座るこの子こそ、自分の運命の人だった。孤児院にいたときからずっと。
でも、いま、その子がいない。どこを探しても、どんなにその名を叫んでも、彼女はもういない。消えてしまった──こんなふうな寂しさを感じたことがある。

いやちがう、その前に誰かいた。その前の、誰か。
その誰かがどかっと座ると、がくっと自分が高く持ち上がって泣きそうになっていた。下ろして、やだよお。泣きべそをかくと、その誰かはフンと鼻を鳴らして、いきなりシーソーを離れた。がくん。お尻にひりひりするような衝撃が走った。あれは誰か? いったい、誰だったんだろう。紅い衣装を着た、あの誰か…──。

空っぽになったあのシーソーの片側をいつか埋めてくれる人が、自分には現れるのだろうか。
いるわけがない。そこに座るのは、そう、彼女だけのはずなのだから。



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