陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

日本映画「生きる」

2009-08-30 | 映画──社会派・青春・恋愛
本日の映画はご存じ黒澤明監督作品、1952年の「生きる」
なんと半世紀以上もまえの作品。
学生時代に生涯学習教育か何かの科目のテキストに紹介されてまして、話の大筋は知っていました。
人間が生きる意味とは何か、とトルストイ的な呼びかけなのですが、その答えの落ち着く先はおそらくふつうに人びとがしていることなのです。


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主人公は市役所の市民課課長を務める冴えない中年、渡辺。
市民課はいわゆる市民の苦情処理係ですが、そこで陳情された件はたいがい、どこかの部署へたらい回しにされています。
ある日、渡辺は自分が胃がんに冒され、余命いくばくもないことを知る。形式主義的なお役所仕事、若い頃に妻に先立たれて男手ひとつで育てたのに、自分を邪険にする息子夫婦。人生に絶望した渡辺は、職場に行かず何日も飲み歩き、遊び回るようになる。
しかし、根が生まじめなだけにこうした放蕩三昧になにも得るものがなかった彼は、市役所のもと臨時職員だった女性とよと出会う。市民の訴えに聞く耳もたずで書類回しだけの退屈な仕事に飽きた彼女は、いまや玩具工場で働いて活き活きしていた。彼女から働く喜びをふたたび教わった渡辺は、職場に復帰し、残された時間を、あることに傾ける。

渡辺が亡くなった五箇月後。その通夜の席では、同僚たちが生前の渡辺の人の変わったような仕事ぶりを回顧していた。
市会議員の手柄にされてしまったが、住民の懇願して児童公園の建設にこぎつけたのは、渡辺の粘り強い交渉があった。故人の功績を讃え、形だけの仕事の仕方に反省をする一同。だが、次の日、職員たちはいつもとかわりなく、事なかれ主義で仕事をこなしていた。

単に「お役所仕事批判の映画」と捉えられるのを嫌っているようですが、大きくいえば日本人いや普遍的に、権力に媚びる体質、形式主義を批判したものといえるかもしれません。
ただ、五十年まえはどうだか知りませんが、現在、公務員の仕事がおしなべて、こんなデスクワークばかりなのではありません。
今となっては、むだにつくられた公園は寂れる一方ですし、予算の無駄とも言われています。

そしてもうひとつ、不可解なことは、胃がんであることを告げない医者。インフォームドコンセントが義務づけられている昨今では、考えられないですね。東宝争議が集結して、古巣にもどった黒澤監督が、手がけた東宝復帰の第一作。監督は、こうした患者をあざむく医者(病名を告げなかったのは、適切な処置能力をもたなかっためとも考えられる)や、公園建設を選挙活動に利用した市の助役、それにへつらう役所の幹部に、抗議の意味あいをこめていたのではないでしょうか。
ただ、老いた親を邪魔者扱いする若夫婦などは、まるきりその後の高齢化社会を見越していますよね。

筋書きとしては、その後に類型がよく見られるので、新しくはないのですが。
渡辺にダンスホールやパチンコの手引きをするやさぐれた小説家とは、意外なかたちで再会します。

作中、効果的につかわれるのが、「いのち短し恋せよ乙女」という歌詞が有名な、あの「ゴンドラの唄」
ダンスホールでこれをうっすら涙を浮かべて口ずさむ初老の男の顔のアップ、なんともいえない哀愁があふれて胸が詰まりますね。
でも、ふつうに日々、食べていくのだけが精いっぱいな人びとは、いまさら生きるのは何か、とかどうだとか考えないでしょうし。三十年も無気力な仕事をやってきたというが、そういう働き方で生活できただけでも幸せだと思いますけどね。なにか自分の業績になるものを残したら、それが生きた証なのか、と問われたらそうでもないような気がします。

同じような病魔に冒された男の遺産をかたるというパターンなら、「海辺の家」のほうが、私は好きです。こちらは、ちょい悪親父ですが(苦笑)

主演は、志村喬。「七人の侍」の勇ましい野武士とは違って、こちらはなんとも気弱な初老の日本人を好演しています。

(〇九年七月二十五日)

生きる(1952) - goo 映画


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