不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

時代の鑑にされた画家 ベルナール・ビュフェ

2009-06-15 | 芸術・文化・科学・歴史
作品と自分との適度な距離を保てない表現者は、往々にして、意想外の評価に苦しむことがある。
きょうはそんな画家のお話。

先週(六月七日)の放映分だったが、この日曜(十四日)夜八時に観た日曜美術館
特集はベルナール・ビュフェ(Bernard Buffet、1928-99)

1940年代に脚光を浴びたこのフランス人画家の持ち味は、直線的な鋭い黒い線と限られた色数での彩色。その厳格にスタイリッシュな作風は、細分化すれば、モンドリアンの絶対的な抽象絵画にも近い。

彼はその作風で第二次大戦後の荒廃した時代の空気をものしたと、さかんに褒めそやされた。彼に付された名誉ある名は、「時代の証人画家」
が、しかし、ありていにいえば彼は、はからずも時代の証人にされてしまったふしがある。彼が描きたかったのはそんな大それたものではなくして、一個人としての深い孤独。それはナチス占領下での鬱屈した暗い生活、父との疎遠、十代での母との死別、結婚してさえも人との交わりを断つ生き方からくるものだった。

番組ではその彼の人生に照らしながら、作品を時間を追って紹介している。
1943年パリ国立高等芸術学校入学。正規の芸術教育をうけるはずが、母の死により退学。その後ルーブル美術館に通い詰め、レンブラントやドラクロワ、クールベを学ぶ。48年には権威ある新人賞を受賞して若くして天才画家の名をほしいままにできた…はずが、後年は様式のマンネリが目立ち批判をうけるようにもなる。画家が描く人物モデルの多くは、妻が占めていた。
晩年にはパーキンソン病をわずらい、71歳でみずから命を絶った。

ひと目でたしかにインパクトはある絵なのだが、どこかで観たな、という印象を受ける。あの鼻筋が一本スッと通っていて、アーモンド形の両目がくっついている、あの不気味な表情、見覚えが。1949年作の「肉屋の少年」にみられる老人のような干涸びた青年などは、かるたを思わせてならない。硬質な黒い線を強調するのは、版画家としての顔をもつゆえか。
それはこういう絵柄のイラストレーションを知りすぎたせいなのだろうけど。80年代あたりまで絵画の具象はひじょうに遅れたものをされていた傾向の中で、画家はひたすら自分の描きたいものだけを描いていた。
いかなるムーブメントととも無縁。どのようなイズムとも疎遠。そして彼が証言した時代などもう古新聞のようにしなびてしまった。しかし、近年また再評価をうけている模様。

二十世紀のフランス美術といえば、巨匠アンリ・マティスからはじまり、1930年代にはフェルナン・レジェがあの独特の丸ぼったい人体像で有名になり、ジャン・フォートリエは大戦中にパリ占領の記憶をもとに、厚いマティエールづくりと抑圧的な人間の暗部を描き出して、話題をさらった。
その40年代こそが、ビュフェの生きた時代だった。ビュフェの画面にも、フォートリエと同じく引っ掻き線がみられる。つまり、それを押し進めていけばその後の絵画の自己模索としての純粋化の流れに乗ったはずが、彼はそこからすでに遠く隔たって、内面世界に閉じこもった。
フランス美術はその後、あの鮮やかな青で時代の寵児となったイブ・クラインを輩出し、80年代には全画面を黒く塗りつぶすピエール・スーラージュを生んだ。

48年の受賞以後、彼は具象画家のホープとして担ぎ上げられた。その当時、隆盛を極めていたジャン・デュビュッフェを先駆とするアンフォルメル(不定形抽象)に対抗する保守派によって。つまり彼は古い体質の画壇に利用された、といえなくもない。
おかげで若き日の険のある絵の表情はなりをひそめてしまう。具象絵画は50年代中葉のアメリカン・アートの論客C.グリーンバーグの後ろ盾のもと台頭してきた抽象表現主義に、虐げられてしまう。それはまた、芸術の聖地が戦後に荒廃したパリから、戦火とは無縁だったアメリカ・ニューヨークへ移す契機ともなった。

絵画運動は変容したのだが、彼はついていかなかった。おそらく、日本でいえば若い頃に特賞をうけて注目された日展作家ぐらいの扱いではないか、とも思う。

自らの企図を各種メディアに訴え自分を売りに出していたら、きっと彼はもっと評価されたのではないかとも思う。もっと刺激を受け、作風はおおきく変わったのではないかとも思う。しかし、彼は自分の表現の殻から出ようとしなかった。

だが私はこういう慎み深い画家は好きだ。
作品で表現しえない、わかりづらいことをその外部でぺらぺら解説しだす表現者にはうんざりだから。

彼の言葉を引用しよう。

「素直な愛情をもって、絵と対話してほしい。絵画は、それについて話すものではなく、ただ感じとるものである。一つの絵画を判断するには、百分の一秒あれば足りるのです」(ビュフェ美術館公式サイトより)

ここ数年の画家への再評価は、おそらく80年代後半から再燃したリアリズム回帰を受けてのものだろう。
だが、絵画はかつてのように時代の鑑となりえるのだろうか?こんなにも、色や音に溢れ、イマジネーションに富む、そんな映像技術がたくましく栄えてしまったこの時代にあって?
リオタールいうところの「大きな物語」を描かなくなった絵画を眺めていると、ふとそんな疑問を抱いてしまう。
そして、愛によって人間が背負った罪が報われ、個人が啓蒙されるという物語の旨味は、サブカルチャーがごっそりさらってしまったのではないか、と思われる。ところが、現代のアニメや漫画たるや、へたに芸術性の発揮と称して過剰なエロスをまき散らしたり、人間の醜悪をえぐりだしたりするものだから、これまた弾圧の憂き目にあう。
生まれながらにサブカルチャーに溢れた時代の空気を吸ってきた我々は、これを受難の時代というべき…なのだろうか?

(〇九年六月十四日)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本映画「亡国のイージス」 | TOP | お父さんのための映画 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 芸術・文化・科学・歴史