陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

氷上のなでしこ 最高の舞

2008-12-15 | フィギュアスケート・スポーツ
「最高」という称号は、いま「ケッサク」とおなじくらい軽い、そしてやや笑いを含んだユルい賛辞になりつつある。しかし、ほんとうに最高という称号をあたえられる者はわずかひとにぎりしかいない。それはつねに進化しつづける者にこそふさわしく、かつストイックな競技者にこそ似つかわしい。長い人生において、頂点を極められる瞬間は短いからだ。ピークを過ぎた肉体を建てなおすのはむずかしく、怪我に泣き、みえない重圧に苦しめられたこころを、寄りじわもなく伸ばすのはたいへんだ。十代、二十代である世界の最高峰をきわめた者に惜しみない賛辞を贈るには訳がある。自分がけっして十年若返ったとしても、その栄光をかちとることなどできないからだ。小手先でまねすれば誰でもできそうな芸当、あるいは無謀な冒険心をチャレンジ精神と読み誤るような行為に賛辞など贈るなかれ。

今年はオリンピックの年でもあったから、MVPを贈るスポーツ選手とくれば、とうぜん五輪出場選手も含まれるだろう。八年連続二百本安打を達成した大リーガー、イチロー選手だってあてはまる。しかし、私はおそらく今年最後にして最高の大活躍をみせてくれた浅田選手にこそ、贈りたいと思う。なぜなら彼女が活躍した十月以降、日本は暗いニュースばかりが駆け巡った。浅田真央の黄金の滑りは、そんな世相の陰りを払拭してくれたといえる。

フィギュアスケートグランプリファイナル初日、ショートプログラムで浅田選手はキム・ヨナ選手に僅差にて負けていた。キム選手の演技は、今回はじめてじっくりと拝見した。BGMの性格もてつだってか無難できれいにまとまりすぎている浅田選手の滑走にくらべると、キム選手はトリプルアクセルを一回転に落とした場面があったにせよ、序盤から手指の表情のつけ方が豊かだった。なにより、このキム選手、腕が細くて華奢で、たいへんうつくしいのである。こういってよければ浅田選手はその風貌からして、のっそりと重心の安定した滑り、でんと構えた薬師如来のような雰囲気がある。いっぽう、キム選手は繊細な腕をさかんに動かして、気迫のある顔つきをしてみせる阿修羅像のような趣きがある。このショートプログラムだけみても、まるっきり正反対のふたり。ジャンプやスピードの技術面においてはほぼ互角にみえる、だとすれば表現の域においてわずかにキム選手のほうに歩があるように思われた。客席の大半をしめる同胞の後押しにジャッジが左右されるぶん、有利なのである。一日目最後のキム選手を終えたリングに降りた花束やぬいぐるみの雨は尋常ならざる数であった。

一日目の浅田選手の惜敗にだれもが肩を落とすなか、これは絶好のチャンスだ、と予言した者がいる。解説席にいたトリノ五輪金メダリスト荒川静香だった。彼女は言う、きょう二位にとどまったおかげで真央ちゃんは明日のフリーを落ちついて滑ることができるのだと。二日目のフリー種目は前日の下位者からはじまる。もし、浅田選手がその日トップになっていたら、キム選手のあとを滑らなくてはならない。その場合、キム選手のリングに贈られたプレゼントの山をかたづけるのには時間がかかり、浅田選手のモチベーションが下がってしまう、からというのだ。

事実、彼女の予言はほんとうになった。いや、だれしも予期しえない奇跡がおこったといえるだろう。優勝争いはもはや、このふたりだけに限られたといっても過言ではなかった。それだけ、このふたりの実力は接していたのだが、表現力では若干劣ると思われた浅田選手、このフリー演技では思わぬ躍進をみせたのだった。曲は十一月のNHK杯(「氷上のなでしこ、活躍の舞」を参照のこと)とおなじ仮面舞踏会。まとったのも、おなじみのあの漆黒の衣装。しかし、そこに踊っていたのは数週間前とは別人だった。

出だしからキム選手に勝るとも劣らずの情感たっぷりな腕の振り、前日のドビュッシー「月の光」でみせていた遊びの多い腕の動きが嘘のよう。そしてさいしょのトリプルアクセル、一寸の軸足のぶれももなく、軽やかに回る。前回よりもかなり膝を落として柔らかく滑っている。スケート靴の重さを忘れたような高いたかいジャンプ。客席ぎりぎりまで寄っているのに、すぐにセンターに戻れる速度。おそらく誰よりもいちばん長い走行距離を誇るであろうのに、息ひとつ切らさず、そしてまたあのスピード感のせいで、彼女のリングは狭く感じられる。

いちどだけジャンプ着地の失敗はあったにせよ、世界初のトリプリアクセル二回を決めて、滑り終えた真央選手。もう、おみごととしか言いようがない。スポーツを観て、からだが震えたのは何年ぶりだろうか。それぐらい、すばらしい演技だった。フィギュアスケートグランプリは毎回おなじ種目でおなじ音楽ですべるようで、回を重ねるごとに真央選手が成長していたことが実感できたのだろう。私がみた二回分だけでも格段の違いがあった。

浅田選手と対称的な最終日のキム選手。はじめは持ち味のじっとりとした踊りで魅せてくれたものの、二日続けての一回転におわった場面や、ジャンプのミスが続き、浅田選手と二点離されてしまった。ご本人はプレッシャーや風邪での体調悪化を口にされていたけれど、それでもよく滑ったものだと思う。初日の時点では、もうこのふたりのどちらに軍配があがろうが構わない、とにかく美しい滑りがみられたらそれで結構、という思いだった。

浅田選手の勝利以上に嬉しかったことは、韓国でも日本人選手が友好的に迎えられていること。たしかにキム選手をたたえる拍手の大きさは金メダリスト浅田選手のそれを上回っていたけれど、ブーイングは出なかった。宿命のライバルといえるこのふたり、競技を離れると談笑しあっており、なんともほほえましい。また、今回、惜しくも六位に終わりはしたが、肩の脱臼の痛みに耐えて滑った安藤美姫選手にも拍手を贈りたい。


【註】
昨日の記事「氷上のミュージカル 魅了の舞」において、日本で放映されなかったエキシビションフィナーレを収録した動画を紹介したサイトをリンクしております。見のがされた方ぜひご覧ください。



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3 Comments

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素人さん。 (ケーワイ)
2008-12-17 19:19:49
キム選手はトリプルアクセルじゃなくてトリプルルッツがパンクしたんですよ。
フィギュアを見る目もないのに偉そうに語るのは滑稽です。
一度海外の評価を見てみたらどうでしょうね。

Figure Skate Database

このサイトへどうぞ。
Unknown (aki)
2008-12-24 22:50:23
今年活躍したスポーツ選手といえばやっぱ真央さんですよね。
真央さんは今年の四大陸選手権・世界選手権・グランプリファイナルの三冠保持者ですからね。シーズンをまたいでいるので気づきづらいですが。
フィギュアそのものを応援したい (万葉樹)
2008-12-25 18:54:29


ごきげんよう、akiさま。
コメントありがとうございます。フィギュアビギナーゆえ専門的なことはわからぬながら、綴ってみたものですが、見る目のある方にご意見いただき嬉しく思います。

>真央さんは今年の四大陸選手権・世界選手権・グランプリファイナルの三冠保持者ですからね。

フィギュアってわりと年に何回も大会があるんですね~。まずそれがはじめての驚きでした。
世相が暗いのに自分がやらなきゃいけないことに集中して栄冠をかちとった浅田選手はすばらしいですね。

恥ずかしながらつい最近まで浅田真央さんの名前は知りながら、そのお顔や演技すら知らぬありさま。回転数の違いもよくわかりません。
が、しかし。そのような素人でもいちど見れば、感動にうちふるえたオンステージ。それを披露できるということはやはり彼女はなみなみならぬ才の持ち主だということでありましょう。

フィギュアの採点はけっこう主観的なものだと思います。柔道の審判だってそうだったりもしますが。くわしいことは判らない、でも勝ち負けはともかく、選手各人の持ち味があって、それで人魅したのであればそれでいいのでは、と私には思われるのです。

私が見たのはわずか二回のみ。浅田真央選手の活躍がひときわ光っていたと思われるフィギュアグランプリシリーズですが、おしくも表彰台を逃した方にもこころに残る滑りはありました。
個人的には病を克服した井上怜奈選手、ファイナルには出場できなかった鈴木明子選手といった復帰を果たしたスケーターに声援を贈りたいですね。あと肩のテーピングが痛々しくも踊ってくれた安藤美姫選手。キム選手の気迫のある滑りも嫌いではないですし、機会があればまた視聴してみたいです。


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