陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「ニューオーリンズ・トライアル」

2009-05-24 | 映画───サスペンス・ホラー


神聖にして犯すべからざる法廷に、もちこんではならないもの。それは私利私欲。
もちこむべきであろうもの。原告、被告双方の言い分を冷静に判断し感情に流されないで評決する心根。
しかし、この映画に集うつごう12名の陪審員たちは、それぞれの迷いのゆえに、弱みのために、公正な評決をすることをためらってしまいます。それを裏で操っていたのは…。

03年作の映画「ニューオーリンズ・トライアル」(原題は Runaway Jury)は、この5月21日からはじまった裁判員制度と機を一にするかの如く土曜のお昼間に放映された、陪審法廷サスペンスドラマ。

ある朝、ニューオーリンズの証券会社で、凶悪な銃の乱射事件が発生。死者11名、負傷者6名を出す大惨事の引き金をひいた犯人は自殺した。
その2年後、犯人の使用した銃の製造会社を相手取って、犠牲になった証券マンの未亡人が民事訴訟をおこす。彼女を弁護するのが地元の庶民派弁護士ローア(ダスティン・ホフマン)
この裁判に負ければ、国中で銃犯罪の犠牲者による訴訟をおこされ、たちまち会社は破綻をしてしまうだろう。被告の大手銃器メーカー社は、名うての陪審コンサルタントで、評決の負けを知らない男フィッチ(ジーン・ハックマン)を雇い入れる。
フィッチは部下をつかい、陪審員候補者の身元洗い出しをおこなって、こちらに有利なように評決を動かそうとする。
やがて決定された12名の陪審員たちへの手段をえらばない裏工作を駆使してくるフィッチ。はたして、ちょっと頼りなげな若い陪審コンサルタントとともに法廷に臨んだローア弁護士は勝てるのか?

表面上はこの被告・原告の弁護士の舌戦となるはずですが、ここに評決を揺さぶる第三勢力が食い込む。陪審員のひとり、ゲーム店店員のお調子者ニック・イースターと、その恋人マーリーだった。マーリーはなぜか、被告原告の双方に交渉をもちかけ、巨額の報酬とひきかえに、評決を売ってやるともちかける。

この三竦みの対決がなかなか見どころ。最後まで結末から目が離せません。
フィッチの暗躍によって生活圏を脅かされ、脅迫されて陪審員から抜けるものもいた。ニックはそんな彼らを励まし、まとめ役となっていく。いっぽう、フィッチとコンタクトをとったマーリーは命を付け狙われる。まさに命がけの評決。全米が注目する話題の裁判の裏で繰り広げられるデッドヒート、果たして制するのは…。
ニックとマーリーがこの評決に燃やす執念の根っこがラストに明らかになり、引導を渡す場面はかなりの爽快感。彼らが勝ち取ったものは、金額ではなく、これまで三万人を数えるといわれ、その後も容赦なく増えつづけるだろう遺族の積年の無念を代弁することだったのです。
また、一時的に形勢不利とみえたローアが、フィッチと手洗い所で口論する場面もまた、手に汗握る迫力が。豪華な俳優陣をそろえただけでなく、筋書きにもひと癖、ふた癖あるミステリーです。


「ニューオーリンズ・トライアル」は、日本ふうに訳せば、いわく「横浜(ニューオーリンズは港湾都市なので。南部だから長崎とか博多があてはまるかも)の試練」みたいな意味あいなのでしょうか。まさに評決が法廷に入れるわずか数十人に左右されるものでなく、街全体、いや一国の関心をひきよせるものであれ、という願いをこめているかのよう。
選ばれた陪審員にものっぴきならない人生があって、それをひきずりながら、裁判に臨むという描きかたに共感。まさに評決は人民の、人民による、人民のため、のものであるべきとする裁判先進国の精神をかいまみるかのよう。

ジョン・グリシャム の原作『陪審評決』では訴えられるのはたばこメーカーなので、たぶんヘビースモーカーか、たばこの誤飲で死亡した被害者家族が訴えるという内容であったかと思われます。

銃規制にからむ日本人の関心をひいた事件といえば、忘れもしない日本人男子留学生が射殺された事件ですね。フリーズという英語が知られることになった、あの一件です。

ドラマとしてはたしかに面白いけれど、現実問題として、資本力のある会社を個人が訴えるというのはたいへんな労力です。なにかの事件か忘れましたが、裁判を起こした遺族が、家に投石されたり、地域から孤立するという悲しい事実も生じた日本ですし。

3月にも幼児が物陰から飛び出して車に轢かれて死亡した事故をめぐり、遺族が方向確認のしづらい樹木を植えていた公園の管理者たる自治体を訴えたケースもあります。また、こんにゃくゼリーの一件(「こんにゃくゼリーのタナトス」)もしかり。

被害者の立場になれば温情ある評決をしたいとはいえ、果たしてそれは正義なのか、どうか。そしてまた、ひとを裁く権利が何人にもあるというのか。だとすれば、裁判官という専門職の存在意義は?いろいろな疑問が浮かんでしまう制度ですが、もうはじまっています。評決から逃げることはできない。



【掲載画像】
ヨハネス・フェルメール (Johannes Vermeer, 1632 - 1675) 『天秤を持つ女』1664年頃、ワシントン、ナショナル・ギャラリー
女性の背後の絵は「最後の審判」であり、空になった女性の手にする天秤は、見えもしない人間のこころを量りかねているようでもある。

(〇九年五月二十三日)



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