陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「フリーダ」

2009-05-08 | 映画──社会派・青春・恋愛


芸術をあつかった映画は好むところなのですが、実在の画家の伝記めいたものはあまり好きではない。そう気づいたのは、映画「モディリアーニ─真実の愛─」を観てからでした。ボヘミアン画家とその妻の献身的な愛を描いた感動作とありましたが、売れずに貧窮し、あまつさえドラッグに溺れて暴力的になる夫をひたすら支えていく妻があわれで。二〇世紀前半とくに第二次世界大戦前のあたり、というのは近代美術史においては重要なアーティストを輩出した時期ではありますが、あのときほど芸術家が暴力的で反抗的で、病的だった時代はないのではないでしょうか?

さて、きょうレヴューする映画の主人公フリーダ・カーロ(b.1907-d.1954)もまさしく、そんな時代の申し子といえるのかもしれません。

フリーダ DTS特別版 [DVD]
フリーダ DTS特別版 [DVD]サルマ・ハエック, アルフレッド・モリーナ, アントニオ・バンデラス, ジュリー・テイモアアスミック 2004-04-02売り上げランキング : 31539おすすめ平均 starstar美術館に行こうstar痛み・色彩・音楽staradeyakaAmazonで詳しく見る by G-Tools



私は帰来、ジャコメッティの『エクリ』やマティスの『画家のノート』などの画家の画論は読んでも、画家の自伝もしくは伝記はほとんど読みません。おそらく、六〇年代後半あたりから、あるひとりの人格性を排して、集団のなかに埋没したアイデンティティを拾う作業や、あるいは環境やエコロジー意識へと芸術がむかったとき、芸術は自画像だけ描いているような人間のものではなくなった。そう思うからです。作品はおよそ、その作りての人生から切り離して批評されるべきだ。さもなければ、よろず不幸な人生を歩んで、それを記録したものだけが天才と呼ばれてしまうからです。

そういうわけで、およそ昨今百貨店の催事場でもてはやされている障害者の描いた絵(いわゆるエイブル・アート)には、白眼視を向けてしまいます。障害者で、女性であり、かつ有色人種であるフリーダ・カーロが、現在おそらく世界的に愛される画家ひとりであることを、いささかふしぎに思うわけです。

しかし、映画を観るかぎり、彼女は自分の不遇を売り込もうとしている、野心的な女性ではないことが窺えました。むしろ、社交界に出て華々しく画壇にデヴューすることを嫌い、ひそかな創作も個人の趣味の範囲でおこなおうとし、夫のディエゴ・リベラが誉めても画家きどりはしていない。もし、そうであったら、彼女はメキシコの国民的画家リベラの妻であるが、障害者として四十七歳の生を終えるはずだった。しかし、歴史はそうさせない。

フリーダは言う。自分は人生でニ度事故に遭った。ひとつめは十八歳のとき重傷を負ったバスと路面電車との衝突事故、そしてもうひとつは、夫であるディエゴ・リベラそのひとの存在だったと。
絵筆をとるしか生きる術がないために縋る思いでリベラに近づき、二十一歳の年の差婚でむすばれたふたり。しかし、リベラは親友にすれば最高だが、夫にすれば最低な男。浮気性はなおらず、ついには妹クリスティーナにまで手を出されてしまいます。

ところが、フリーダも愛の強者というべきか、夫に負けずおとらず、浮気をしてしまいます。しかも、彼女はバイセクシャルなので、夫の愛人や友人の写真家さえも誘惑してしまう。

決定的だったのは、ロシアから亡命した革命家レフ・トロツキーとの密通。この映画では出てきませんが、イサム・ノグチとも関係があったと伝えられています。自分の浮気は許してもらいたいが、妻の裏切りには動揺したリベラ。ふたりはとうとう破局してしまいます。

フリーダが画家としての才覚をあらわしはじめたのは、この最悪の時期。トロツキーは暗殺され、リベラは行方をくらまし、トロツキーを匿ったかどで投獄されてしまう。足は壊疽がすすみ、切断をする。こうした肉体の崩壊、精神の錯乱を、ひじょうにまがまがしい自画像として制作していきます。

その絵はあのシュルレアリスム宣言の提唱者であり、フランスの文化相をつとめるアンドレ・ブルトンの目にとまり、ルーブル美術館の買い上げとなる。しかし、社交界のつきあいに飽き飽きしたフリーダは、フランスを離れて帰国。
しかし、体調は悪化をたどり、ついには寝たきりの生活になる。そんな彼女をささえたのは、あのリベラだった。復縁したリベラは、晩年まで献身的に妻に尽くし、個展をとりきろうとします。私、この部分、アメリカでの仕事を干されてもう忘れ去られそうになっている老画家が、妻を擁して顔売りしているようにしか見えませんでした。

物語は、このふたりが銀婚式の指環をはめて、そのあとフリーダが永眠したところまでを描いています。
感動というほどの気持ちはおこりませんでした。

フリーダ・カーロの奔放な生き方は、女性に熱狂的に支持されて、多くの伝記や映画化を果たしていますが。これが、理想の女性像といわれたら、疑問に思ってしまう。お笑いタレントはたいがい不倫を勲章のように誇ったりするが、そんなに恋愛歴が多いのがすばらしいのか?芸術家だったら性におとがめなしだとでも思っているのか。

フリーダの作品はたしかに一度みたら忘れられない強烈なインパクトはもっています。でも、正直、私こんな絵が部屋の壁にあったら気が狂いそうになる。シュルレアリストの先駆者として、また第三世界出身であり、ここ近年のフェミニズム的見地からの美術史の再構築により、高い評価を得ていることは否めません。
けれど、ひとつ言っておきますが。不倫やドラッグなんぞに逃げず、ただひとりの妻を愛しつづけ、生涯自作についてはよけいな解説をしたりしない、潔白な画家もいます。誰あろう、シュルレアリストの巨匠ルネ・マグリットですね。彼の絵はむやみやたらと人の不安をさかしらだてたりもせず、こころ安んじて眺めていたくなります。

主演のサルマ・ハエック(あの眉毛に注目!)も、アルフレッド・モリーナも、当人に近く役をつくりこんでいます。リベラの朋友にしてライバル画家シケイロスを演じたアントニオ・バンデラスは、「スパイ・キッズ」「ストレンジャー」で知ってファンになりましたが、ここでも渋い男ぶりを発揮。
演出的にも凝っていて、映像の表現としてはおもしろかったですね。最後の爆竹シーンは、火葬されたことを暗示しているようで。

でも、やはり架空の人物で芸術に携わり、苦悩している作品のほうが好きかな。ドラマなんだなって割り切れるから。
たぶん、この映画が好きなひとってウーマンリブ世代じゃないかしらと思いますが、男女雇用機会均等法以後の女性の自立どころか依存心のつよい男性によりかかられて疲弊しているキャリアウーマンも、自分を重ねてらっしゃるのではないでしょうか。

(〇九年四月十八日)



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神無月の巫女二次創作小説「... | TOP | ワンダー×ワンダー「阿修羅 ... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 映画──社会派・青春・恋愛