陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「モディリアーニ─真実の愛─」

2008-09-28 | 映画──社会派・青春・恋愛


昨夜は深夜に思いの外、すばらしい映画が放映されており、夜更かししてしまった管理人です。
といいいましても、途中でうつらうつらして寝てしまって、ラストを見のがしてしまいました(汗)

その映画といいますのは「モディリアーニ─真実の愛─」〇四年作の話題の芸術映画ですね。
モディリアーニを扱った映画といえば思い出されるのは「モンパルナスの灯」
モノクロフィルムで十年ほど前に深夜に放映されていたのを、観た覚えがあります。(そのときもまた途中で寝てしまった…)

じつは昨夜、ブックマーケットに出かけた時DVDがセールされていたので、手にとってみた一作。ただ買うのは内容を確かめてからにしようと思ったのですが、買うか買うまいか微妙なラインです。

タイトルから類推されるように、とても甘く切ない感じの、おしどり夫婦の日々を描いたものかと勘違いしてたんですが、これが甘かった。かなり痛々しいんですね。モディリアーニの落ちぶれていく生活と、生まれたばかりの子どものために生活を立て直そうとする妻ジャンヌとの生き様が。

ラヴストーリーってカテゴライズされていますが、れっきとしたアートフィルムとして観るもよし。
パブロ・ピカソ、ディエゴ・リベラ、ジャン・コクトー、モーリス・ユトリロ、ガートルード・スタインなどなど二〇世紀の美術史の匆々たる顔ぶれが勢ぞろい。もちろんフィクションも含まれますから、完全なドキュメントムービーとして信頼することはかなわないのですが、それでも当時のエコールド・パリ派の画家たちの野心にあふれた心意気を感じることができるでしょう。ちなみに最晩年のオーギュスト・ルノワール翁に面会するというエピソードは史実にもとづいたもの。

物語は、若き芸術家が一堂に会したパリモンパルナスのカフェ、ラ・トロントにはじまります。キュビズム絵画で時代の寵児となり、バレエの衣装や舞台装置まで手がけていた王者ピカソ。そんな彼のまわりには多くの取り巻きが集う。
彼にくみしない荒唐無稽な若き天才画家が、アメデオ・モディリアーニ。異端児モディリアーニは、ピカソの成功をねたむわけではなく、ことごとく彼を鼻先であしらうように翻弄します。それがピカソに気に喰わない。ふたりはその後ことあるごとく衝突をくりかえす。が、じつは個展のチャンスをあたえたり、麻薬で投獄されたモディの釈放金を用意したりと救いの手をさしのべるのが、他ならぬピカソ。印象派の巨匠ルノワールに紹介したのも、物語上ピカソという設定。高慢ちきで鼻持ちならない若造ではあるが、その才能だけはぬきさしならぬホンモノであることを、ピカソは認めていたのでしょう。

現実にピカソと、モディリアーニとを並べ置いて比較するのは無理があるように思われる(美術史上、ピカソと対置されるのはアンリ・マティス)のですが、たしかに比較してみれば興味深いコンビといえるこのふたり。
まず共通点としては彫刻作品をあつかったことがあること。またプリミティビズムに関心をしめしたこと(ただしピカソは未開原始社会のブラックアートにおいてであった、すなわち空間的な異世界をもとめたのに対し、モディは古代ローマやエチオピアなど美術の正史上の時間的別領域を志向したという違いがみとめられる)
対称的なのは、作風もさることながら、その人生においてでしょう。パトロンの女性と別れたモディは、女学生と恋に落ち、その献身的な愛にささえられていく。いっぽう、ピカソといえばつねにつきまとう色恋沙汰のスキャンダル。成功のためなら女の腹も色気も利用してはばからないピカソと、買い手に媚びることを知らずいつまでたっても栄光の道にたどりつけいないでもがいているモディリアーニ。
対立はふたりの男だけではありません。モディを一途に想って、裕福な両親の膝下をはなれて同棲しはじめる若き妻ジャンヌ。夫の困窮をすくうため密かにピカソと裏取引したジャンヌに、警戒心をいだくピカソの正妻オルガ。ぎょろ目で恰幅のよろしいピカソ役の男優も存在感たっぷりですが、その妻オルガ役、モデル出身の完璧なプロポーションと彫像のように冷たい微笑をたたえた顔だちは、追いつめれていく画家をささえるうちにやつれていくはかなげなジャンヌとは、好対照をなしてスクリーンに華を添えているのです。
とはいえ、ジャンヌはしっかりした女性ですから、ピカソのおくる秋波もぴしゃりと撥ねつけてしまうわけで。そんな彼女の強さは、愛すべき産みの親との相克にもあらわれています。

真実の愛とは痛みをともなうものだということを、つくづく感じさせられる作品。
病に冒されても、麻薬や酒場での放蕩をやめないモディリアーニに業を煮やすジャンヌ。子どもを施設送りにされてしまったことでも、両親と不和となり。またピカソと密約を交わしたおせっかいをモディになじられて、せっかくのチャンスを潰してしまう。タイトルにあるとおり、画家の悲劇を描いているのですが、一番の悲劇の主人公はまさにそうした男につきあって人生を狂わされてしまったジャンヌ自身といえましょう。冒頭が彼女のモノローグではじまることも、それを示しています。歴史の裏側で泣いていた女たちの涙、哀れを誘うものですね。

モディリアーニ自身の生い立ちもまた脅威的。
作中には画家の少年像がなんども登場し、いわばドッペルゲンガーのように彼の精神をむしばんでいきます。
幼い子どもの影がみえはじめる、それは自身に老いの未来が訪れないことを予示しています。幼い頃に一家の没落を経験したがゆえ、幸せな家庭生活を夢見ることができなかった。それはまた幼い頃にわずらった肺結核の再発のイメージでもあったのでしょう。
精神病院に収容された盟友モーリス・ユトリロの存在も、彼の心理にすくなからず影響をあたえているとの筋書き。
いっけん華やかな印象の強いエコール・ド・パリ派の画業ですが、やはりひとのこころを深く抉るように捉えてはなさない画面には、苦悩と懊悩に満ちた作り手の感情が裏ごしされているでしょう。
ふたつの大戦のはざまにって、やはり激動の時代状況がとうじの文化に反映されているんでしょうね。それはいまでも変わらない事実ですが。


冒頭の余裕綽々の紳士然とした姿はどこへやら、ドラッグや酒に溺れて朽ち木のようにすさんでいくモディリアーニにいたたまれなくなってしまいました。強烈な睡魔のために途中を見のがしてしまった(たぶん、この間にコンクールの応募などがあって、立ち直ったと思われる)が、最後にみたのはすでに帰らぬ人としてベッドに蝋人形よろしく横たわっていた画家でした。
悲運の画家とうたわれたモディリアーニ。しかし、果たして悲運であったのか。療養に専念すればもっと生きながらえたであろう人生。彼はみずから縮めたとしか思えない。そういう生き方しかできないことが運命だったのでしょうか。
このあと、妻ジャンヌは子を身ごもったまま投身してしまうのですが、そこまで描かれたのかは確認できませんでした。機会があれば観なおしたい映画ですね。

ところで、死後のモディリアーニの顔からとっていたデスマスクって、どこかに展示されているんでしょうか?
むかし実見した、東京大学の図書館に展示してあったモーツァルトの腕の石膏型を思い出してしまいました。
生きている間は、戦争に涌く世界を見つめ、はじらうモデルの少女を愛で、死してもなお、貪欲なまなざしにさらされて芸術の検体にされる。この男の生涯はまさに芸術のためにささげられたといってもよく。
ときにこうした壊滅的で刹那主義的な生き方には惹かれますが、けっして常人にはまねできない生き方でしょう。好きなひとを巻き込んでまで、芸術に溺れたいとは思わない。
しかしこういう妥協を知らない生き方は、共感できますね。


【関連記事】
モディリアーニ展 その2
モディリアーニ展 その3

【参照サイト】
モディリアーニ─真実の愛─映画公式サイト



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