「さっき、そっちの子が言ってたのも一理あるの。あたしだって嫌いになりそう。あの黒い海の氷山ね、あれのせいで今年は売り上げがガタ落ち。もぉ、ほんとに頭に来ちゃう」
「こっから見える景色が台なしですもん。そりゃ、おいしい味もおいしくなくなっちゃいますって。あ、もちろん、それはただの印象ってだけで、実際これを食べた方ならわかりますよ」
口のうまいアイシスがさかんに褒めそやすも、ミユキは浮かぬ顔つき。
半伽思惟像のごとくに、悩める考えるのポーズをしてみせて、ほう、と湿っぽいため息をついた。そのため息の深さからも、彼女にとっても悩みの種であったことがうかがえようというもの。
「それがねぇ、お客さんたち、来るまでに足が遠のいちゃうの」
「へぇええ。それは残念ですね。こんなにおいしけりゃ、1000キロ先だって飛んできちゃうのに」
さっき、あれだけの坂道を歩くのにぶーたれていたのはどこのだいつだっけ。と,トーマが心のなかで睨んでみせる。アイシスはお構いなしだ。
「水質検査に合格した天然蒸留水を使用して営業許可ももらってるのに、うちの店はあの海水をそのまんま使ってるって言いふらす人がいてね。ねぇ、酷いと思わない? 風評被害もいいとこなのよ。おかげで今のいまじゃ一部の常連を除いて、めったに一見さんなんて来ないのよ。去年なんて店の外に行列ができたくらい人手が足りなくてたいへんだったのにね」
よほど客足が途絶えてしまって、日ごろから困っているのだろう。
トーマたちは久々に訪れてくれた新規の来客、しかも与しやすい子どもたちとみえて、大人の窮状を切々と訴える。
「誰かさんみたいに、ひどいこと言うのもいるんですね~。こんなにおいしいのに~、あ~、おいし~。おいしぃなぁ。これを食べたくならない人はおかしいよ」
トーマの前で厭味たらしく、おいしいを過剰サービスで連発するアイシス。
言えばいうほど給仕娘のご機嫌はヒートアップするが、それに反比例して少年のご機嫌は下降線をたどる一方。トーマは片方の耳をそれとなく塞いでいた。彼は今、まったく別のこと──すなわちあの海のあまりの変貌について、思いを馳せ憂いを深めつつあった。
「よかったら、そっちのお二人も食べない? 小鉢盛りでよかったら、サービスしてあげる」
「ちょっとぉ、トーマ。聞いてるぅ?」
アイシスが窓ガラスと顔の間で手をしゃかしゃか振るものだから、否が応にも物思いは中断せざるを得ない。
「え、…なに?」
「だからぁ、もぉ。いつまでたっても失礼なヤツ。この親切なお姉さんが、あのかき氷をサービスしてくれるって」
アイシスがあまりに褒めるので、気をよくしたミユキなる女性が気前よく振舞ってくれるらしい。
きっと風評被害はなはだしい店の名誉回復のために、トーマたち新客を丁重にもてなしおこうという作戦なのだろう。さきほどの、値段のわりには豪壮なカレーライスもそれで合点がいく。
しかし、暇だ暇だというわりには、この店の材料は新鮮さをうしなっていない。あの近海からでないとしたら、わざわざ毎朝、来るのか来ないのかわからない客のために、一級の食材を運ばせているのだろうか。
「リリィは欲しい?」
トーマは隣のリリィにそっと耳打ちした。先にトーマだけが断ってしまうと、リリィもお断りしそうだからだ。