陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

映画「セレブリティ」

2009-02-01 | 映画──ファンタジー・コメディ

血も涙もない大悪党よりも、猟奇的でなくちいさな野心を抱いてるだけの小市民のほうが、なんとなく許せなくなってしまうのは、自分の周囲もしくは自分に、その範を見出してしまうからなのでしょうか。

九八年作の「セレブリティ」は、芸能界の裏側にしがみついて生きようとする、四十歳の男性の悲哀を描いています。
この主人公にご自身を重ねてみる方もいらっしゃったようですけれど。にしても、へたな犯罪者よりも、共感できない主人公って、いるものなのですね。以下、かなりネタバレありです。

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主人公のリーは旅行雑誌の売れないライター。十六年連れ添った妻ロビンに、一方的に離婚を言い渡し、芸能記者としてあたらしい人生をスタートさせようともくろみます。序盤はこの妻が、精神医療をうけるほどかなりヒステリックなので、苦労した旦那さんなんだなぁと同情を寄せていたのですが、話が進むにつれてそんな気持ちも薄れてきます。
というのも、このリーは売名のために、実力のある女優やタレントに近づいて利用しようと虎視眈々としている男。美しいスーパーモデルに言い寄って歯の浮くような台詞で誘惑。しかし、彼の恋も仕事もまったくうまく行きません。映画の脚本は酷評され、同棲していたが倦怠期であった恋人を棄ててまで追いかけた美人モデルは、彼の束縛を嫌って離れていきます。おまけに別れ話をした元恋人に、書き上げていた小説を反古にされてしまう始末。かわいそうといえなくもないけれど、やはり自業自得。

いっぽう、元妻のロビンは思いがけない幸運をつかんでしまうのです。
離婚のストレスのために教師をやめて、精神科に通い、さらにはやけっぱちになって美容整形まで足をはこぶ。ここで偶然取材にきたディレクターのトニーに見初められて、素人はだしのテレビリポーターとして売り出されて大ブレイク。あまりに良心的な紳士然としたトニーに求愛されたこと、これまでの厳粛な職業からの百八十度の転回。わらしべ長者のように転がり込んできた大きな幸福に罪悪感をおぼえて、ためらうロビンでしたが、けっきょく新しい夫と結ばれます。

最後は映画の試写会で、かつて夫婦であった男女が再会。男は以前として、うだつのあがらない物書き。いっぽう女は、男の夢見たセレブリティの仲間入りを果たしています。幸福な立場にいるかつての妻から贈られた言葉は、「愛情は運なのよ」。観客席にはゴージャスに着飾った有名人どうしのカップルが席を並べるなか、リーは孤独にスクリーンをみつめる。そこに流れるのはベートベンの交響曲第五番「運命」というのが、苦い笑いを誘いますね。

おそらく教師であったロビンのほうが、家計を支えていたのではないでしょうか。不和の理由をリーはセックスレスに求めていたのですが、有名人女性に近づいて利用しようとし、小説の執筆をすすめてくれた恋人を土壇場になって裏切るという煮え切らない態度にはうんざり。「糟糠の妻、堂に下さず」という言葉があるけれど、この主人公の不寓はお世話になった人との縁を、平気で切り捨ててしまったからでしょう。(他人ごとには思えませんが(苦笑))
にしても、女性を不幸にした男は社会から手痛いしっぺ返しをくらうという展開、フェミニズムの蔓延を裏打ちするものでありますね(笑)

この映画、セレブの社交界を描くとあって、有名スターが続々出演。しかし、三番目にクレジットされたレオナルド・ディカプリオの出番はわずか十数分ていどしかありません。しかも、かなり放蕩ざんまいなアイドルという役柄なので、レオ様フリークはがっかりですよ。ディカプリオって、胴長だし身長低いし童顔なので、(ただし声は渋くて好き)どうして人気あるんだろうって疑うんですけれど。

あと、なぜか、全編白黒であったのも異色でした。劇中の台詞で、芸術家きどりの映画監督がモノクロでしか撮らない、という言及があるのですけれど、ところどころ、監督ウディ・アレンの自虐的諧謔とよめておもしろかったです。
でも、すごく世俗受けを狙ったつくりですよね。中年女性のシンデレラストーリーって。整形をやめて、所帯じみた顔つきをした女性をそのまま受け入れた包容力のある男性。これもまた幻想の産物であると。

余談ですが、この映画は字幕だったのですが、喋りのテンポが早すぎるのか、ときおり字幕で省略された台詞がちらほら。なくても大筋には関与しないはした役の言葉ですし、ヒアリングしていれば聴き取れる簡単な内容なんですが。問いかけに対する答えがなかったり、おかげで会話がぎくしゃくしてるように感じます。直前の台詞が長過ぎて消せないから棄てられたのでしょうけれど、こういう場合、字幕はふたりの台詞をどうじに並べたらいいのにって思うんですけれど。
それと「役不足」を力不足の意味でつかうなど、まちがった言葉遣いがあります。邦訳のまちがいなのか、それとも…アイロニカルな意味で用いられたようには思えなかったのですが。この映画でいうなら、ディカプリオは役不足には違いないですね(笑)

(〇九年一月二十三日)


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2 Comments

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はじめまして (十瑠)
2009-02-04 09:44:38
TB返し、ありがとうございました。

ウディ・アレンの映画はずっと観てなくて、数年前から見始め、何故もっと早くから観なかったかと公開している所です。
コノ作品はテーマに新鮮さが無くてお気に入りにはならなかったモノです。

また、おじゃまさせて下さい。
返信する
ご訪問ありがとうございます。 (万葉樹)
2009-02-04 16:20:32
ごきげんよう、十瑠さま。
ご訪問、コメントありがとうございます。

TBは基本的に、当方の記事と関係があるものであれば、反映させていただいております。
けっこう、クセのあることを書いているブログですので、まともなブロガー様からコメントやTBいただきますと、びっくりしますね。

>ウディ・アレンの映画はずっと観てなくて、数年前から見始め、何故もっと早くから観なかったかと公開している所です。
コノ作品はテーマに新鮮さが無くてお気に入りにはならなかったモノです。

映画については明るくありませんので、監督名もはじめて知りました。漫画や文学、美術でしたら、お気に入りの作り手名義のものは片っ端から読んだり見たりなのですが。こと映像(アニメーション、映画)となると、どこそこの監督というよりは、俳優目当てもしくは主題で選んで観ることが多いですね。

というわけで、ウディ・アレンの凄さは別作を観たことがなく、よくわからずじまいなのですが。日本でいいますと北野武みたいなポジションなのか、と思っております。
この作は主演ではなかったとはいえ、限りなく監督自身に近いようで。いっしゅの自伝として主演を張り、カメラを回したものは、あまり好きではないですね。独善的に思えますから。
しかも、この主演俳優演じる身勝手な男の方が、知人に顔も性格も似ておりましたので、苦笑を禁じ得ませんでした(笑)

拙ブログは映画レヴューはメインではありませんが、シネマ通で見識のある方にご意見いただけましたら幸いです。

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