陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

村上春樹の小説『1Q84』 BOOK1

2013-02-23 | 読書論・出版・本と雑誌の感想
2009年に発表されて話題となった村上春樹の小説『1Q84』を、いまごろになって読んだ。村上春樹の小説は数年前に『ノルウェイの森』を手にとったが、内容もさっぱり覚えていない。なので、有名ではあるが、自分には合わない作家だと思って避けていた。今回、読むきっかけになったのは、この本がアニメ「輪るピングドラム」と関連があるとの噂を知ったからである。そういえば、幾原監督のブログで見かけたような気もするが。まだ一巻しか読んではいないから判断つきかねるが、直接に本作の人物があのアニメのモデルになったり、あるエピソードが流用されているといった形跡はみあたらなかった。

1Q84 BOOK 1
1Q84 BOOK 1村上 春樹 新潮社 2009-05-29売り上げランキング : 2061Amazonで詳しく見る by G-Tools



一巻だけで五百頁を越える大作であるが、わりあい、わかりやすい文体のせいか、投げ出さずにすんなり読めた。三十路近い男女ふたりのストーリーを入れ子構造で語らせるもので、その仕組みじたいはべつだん珍しいものではないが、ふだん、この手の小説はあまり好きではない私がほんとうにすらすらと一日で読めてしまって、早く次をと求めてしまったぐらい。しかし、強烈におもしろいかと問われたら疑問符はつくし、二度三度読み直したいほど愛着があるわけでもない。読みやすかったのは、各章ごとのエピソードがわりあいコンパクトで、次の章で他人の話になっても尾をひくほどまごつかせないせいだろう。主要人物が、青豆と天吾、それぞれの側で四、五人ほどにしぼられているのもわかりやすい。

さかんに濡れ場が挿入されるので、ベストセラーといえども万人向けではない。子どもはともかく、潔癖性にも向かない。とうしょ、そこがやたらと気になっていた。しかもテンプレのような描写なものだから白けてしまうのだが、ひょっとしたらそこは著者が編集に迫られていやいやながらに頁を割いた部分であるような気がするし、しかも、青豆のそれにいたってはどこか滑稽ですらある。なのでこれは殺人や幼児虐待という血なまぐさい事件のある深刻さを緩和するためのエンターテインメントらしい配慮であると思うことにした(無理矢理に)。

ふたりの主人公は、不特定対数と愛のない交わりをおこなって憂さ晴らしをするが、しかし、理想を捨ててはいない。明らかに反社会的とも思われる行為──いっぽうの女は肉体と行動によって、男はその知性によって──に耽っているのに、なぜだか許してしまいたくなる。それはひとえに集団に対して犯されない個人の威厳や、弱者に対する配慮、声なき無念に対する制裁、権威に対するひそかな意趣返しがあるからなのだろう。主人公二名の現在の生き方はえてしてまっとうではないが、しかし、彼らの幼い時分の親から独立した強さには惚れてしまう。この一巻では冷やりとさせるような展開はまだないのだが、今後へと導かせるような謎はいくつかある。だがやはり冗長な部分はあるにはある。とくに前半部のなんとかの車名だのブランド名だの、音楽へのこだわりだのは、興味のない人間からすれば城の石垣のすきまを埋める砂のようなどうでもいいものにしか思えない。しかし、著者がそれを執拗におこなうのは、そのような道具でしか、時代性を表せないという小説ならではの悲しさがあるからだ。

『1Q84』(ちなみに内容を知るまで、頭脳指数84だと思いこんでいた(恥))とは主人公たちが暮らす1984年が、別世界のようになにかが狂ってしまったかのように見えることから、青豆が名づけたものである。ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984年』が下敷きにあったとあるが、作中に概要が紹介されているので、さしあたっては読まなくても支障はなさそうだ。それにしても、村上春樹という人は、あまり気どったり毒のある文章ではないが、ひと肌のぬくもりがある文章がうまいと思わせる作家ではなかろうか。さらりとしていて、しつこくはない。そこが多くに読まれる理由なのかもしれない。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 希望の検索 | TOP | ネット選挙の解禁 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 読書論・出版・本と雑誌の感想