陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

最小ながらも最大の幸福──オロチ衆の闇の本質

2016-09-06 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
あなたは今、幸せですか? と問いかけられて、素直にそうです、と応えられる人は現在、どれくらいいるのでしょうか。それといいますのも、ほんとうに人より優れて、人より多くを持っている人は、それなりの苦労もあり、ひと様から嫉みや妬みも言われもなく浴びているものですから、幸福をあまりアピールしないものです。

幸福というものは、ほんらい、貨幣などの数値に置き換えられないもの。
のはずですが、世の中には幸福の総量というものが決まっていて、わずかな者のみがそれを独占し、ほぼ同じ立場どうしでお互いに奪い合わねばならないもの、のように考える人もいます。幸福の尺度なんて、わかりません。

少々、話が説教じみてまいりましたが、本日の本題。
さて、このブログでさんざん紹介しております、アニメ作品「神無月の巫女」考察シリーズの番外編。今回はオロチ衆の心の闇について。オロチ衆はもともとはふつうの人間だったのですが、人生上のさまざまな挫折によって、邪神ヤマタノオロチによって八人の使徒として選ばれた者たち。では、彼らのこころの闇わだとは?


一の首:ツバサ
実弟を守るために虐待する毒父を殺害。
少年院を脱走後、ヤクザになり裏世界で生きる。

二の首:ミヤコ
異国(おそらく中東あたり)のシスター。
空襲で教会が焼打ちされ、神への祈りの無力さを悟る。

三の首:ギロチ
おそらくミヤコと同郷の戦災孤児。
戦争難民で日本に逃れてきたが、日本社会に受け入れられず、不良に。

四の首:コロナ
オリコンチャート最高位が69位であることを気にする、中途半端なアイドル。
枕営業の経験もあり、歌唱力ではなく、アニメ声優として名が売れたことが痛い。

五の首:レーコ
アニメ化されるほど人気作を連載する漫画家。
本人の意図しない作風で売れっ子になったのを気に病んでいる。

六の首:ネココ
謎の研究所で人体実験によりネコミミにされたらしい幼女。
躾として注射されていたので、人とコミュニケーションをとるときに他人に痛みを与えることを覚えたふしがある。

七の首:大神ソウマ
幼少時、虐待を受けた記憶を忘れていたので、オロチとしての覚醒が遅かった(?)
終盤、オロチの本能に逆らった反動で石化。

とりあえず、ソウマくんはおいといて。
六人それぞれの不幸、いかがですか。不謹慎なのですが、このなかで不幸度ランキングするとしたら、まず間違いなく、トップ3はツバサ、ミヤコ、ギロチですよね。逆にいえば、それのどこが不幸なのと侮られかねないのは、コロナとレーコ。コロナは向上心と自我の塊なのでむざむざ自分から敵をつくっているように思えますし、レーコに至っては、世のヒット作を生み出したいと願うクリエイター志望者にとっては垂涎の的のはずです。なんと贅沢な悩みなのか、と文句のひとつも言いたくなります。

しかし、ひとの幸不幸は、単純なものさしでは計れないもの。
名作を育んだ作家なのに、人気のある歌手なのに、五輪のメダリストなのに、地元に貢献した政治家なのに、他人からは見えない影のようなものに囚われて、いのちを絶ってしまった人もいます。

この作品で、最大の不幸ものとされた人、──それはヒロインの姫宮千歌音です。
七人ぶんのオロチ衆のこころの闇を背負い込んで、オロチ衆最強の八番めとして君臨する。誰からも羨ましがられるような生まれで、才能も名声もあり、慕われている。彼女のたったひとつの挫折は、好きな人と堂々と付き合えないこと。その好きな人の気持ちが別人に傾いていたこと。そして、好きな人と自分にまつわる恐ろしい因縁を知ってしまったこと。

姫子と千歌音にまつわる巫女の運命うんぬんは抜きにしても、秘めたる片想いが叶えられないことが、世界の滅亡を望んでしまうほどの不幸に至るのか、と問いかけて笑うこともできません。痴情のもつれというのは怖いですよね。最近では、ストーカーから事件沙汰に発展するケースもありますから。

千歌音と並んで、オロチ衆に魅入られてもおかしくなかったのが、主人公・来栖川姫子。
幼少時に両親を亡くし、里親にも虐待され、児童養護施設でこころの支えだったソウマ少年とも引き離される。学園では虐められっこ、アニメでは親友の真琴とも疎遠になり、巨大ロボットにはいの一番に命を狙われるわ、姫宮邸にいてもさりげなく侍女に嫌がらせされるわ、とにかくどこに転がっても誰かに蹴飛ばされてしまう小石のような存在。おそらく、鈍くさくて千歌音ちゃんの純情にもなかなか気づかないところもあって、視聴者の反感も買っていたにちがいない。

姫子のような人生を送ってきたらば、性格が歪んでもおかしくはないと思うのですが、他人の不幸を願ったりするような人物ではありません。自分がいるだけで村が巨大ロボットに襲われるのだと知り、夜の駅舎からひとりでに旅立とうとすらする。しかし、また、姫子は自分が無力であるがゆえに、あっさりと他人の助力にすがってしまう甘えや弱さもあります。なんとなく、自分が困難に直面しても、可哀想だと思った周囲が救ってくれているラッキーガールのように思えなくもない。

オロチ衆が最初に狙ったのは陽の巫女・姫子だったのですが、ソウマの加担があったとはいえ、けっきょく巫女陣営を突き崩すことはできません。そして、参謀ミヤコのとった、第七話、八話の月の巫女籠絡作戦は、かえって千歌音の決意を強くし、オロチ衆の全滅を招くことになります。意中の相手(ツバサ)から振り向いてもらえないミヤコが、女性らしい不幸の伝染を千歌音に施そうとして失敗した事例とも見えますよね。不幸者が他人を不幸の沼に引きずり込もうとすると自滅する、ということをよく物語っています。

姫子と千歌音、ソウマ、それにオロチ衆の面々。
誰の生き方がお得で、楽で、幸せそうだ、と結論を出すことはできません。姫子を救うために千歌音がとった強引な方策にしても、けっして美談で片付けられるものではないです。結果オーライだから良いものの、やはり暴力には違いない。

しかし、この物語が語りかける幸福観は、最終話で月の社に封印される前の、千歌音の台詞に集約されています。──「また姫子に廻り逢えたのですから、私は幸せです」。扉が閉じられる直前で流れる侘しげな横顔と涙を見れば、観る者にぐっと迫ってくるものがあるこの名場面。この作品の番宣ポスターのキャッチコピーである「月と地球と太陽と、貴女がいればそれでいい」という、この言葉こそが、まさに幸福とはなにかを語りかけています。

現代は、SNSなどで他人の暮らしぶりが筒抜けになってしまう時代。
雲の上の存在だと思っていた有名人の本音なども丸わかりですから、自分の幸福の立ち位置を多くのサンプルと比較してしまいがちになります。しかし、幸福に絶対値はありません。お金がない、と言いながら寂しさを埋めるためにものを大量に消費してしまったり、他人にものを与えて自分に欲しい言葉を待っていて返ってこないからと恨んだり、不幸の連鎖に自分を追いこんでしまいやすい環境ができやすい。自分は不幸で社会的弱者だから構ってくれ、とシュプレヒコールを挙げる活動もあります。

不幸の軽重はひとそれぞれ。
これがあれば、いつだって楽しいと思えるものを持っている人こそが幸せなのです。哀しいことがあっても、誰に何を言われようとも、それについて考えて、浸っていれば心安らぐと思えるもの。その価値を多くに分かちあってほしいとか、それを愛する自分の嗜好が尊いとか、尊大ぶったものにならなくてもいい。幸せの大きさは、自分にしか見えません。

一見、無力で無能な少女たちがなぜ、あの巨大な敵に立ち向かえたのか。
それは、この世界とあなたがいればそれでいい、というなんとも慎ましやかな希望と幸福感に満たされていたからなのでしょう。「あなたがいれば、それだけでいい」って、ストレートに好きって言われるよりも、ものすごく、ストライクゾーンの広い惚れ言葉ですよね。


(2016年6月14日)

【アニメ「神無月の巫女」レヴュー一覧】

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 内田樹の書籍『呪いの時代』 | TOP | 映画「シルク」 »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女