陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

いろいろ人生いろ鉛筆

2008-01-20 | 芸術・文化・科学・歴史


もうすでに言い古された言葉をいおう。
私のハイスクールライフは灰いろだった。

教科書でふくれた学生鞄をかかえながら、いつも立ち寄るその画材屋は、にぎやかな商店街の大通りからいっぽん道を奥にはいったところに店を構えていた。そこは私が受験時代に浸り込んでいた美術室とおなじ香りをただよわせていた。
一歩はいれば、キャンバスの裏地を支える木枠の生臭さが鼻をつく。清潔な白さを誇る油彩絵の具のチューブは、きっちり締めた口からその色とりどりの化学的な匂いを放っている。陽当たりのわるい店の奥では、老いた店主が鼻眼鏡にした老眼鏡をときおりもちあげながら新聞に目を落とすのだった。古本屋にせよ、駄菓子屋にせよ、こうした冷めた売り子がとりしきる店というものが私は、じつにお気に入り。ひとが商品を選っているのに、買えとばかりにじゃまだてするサービスは気に入らず。照明をしぼった店内で私を虜にしたもの。影につつまれながらガラスケースに陳列された百色のいろの芯の群れなす帯は、とても鮮やかに映っていたのだった。その百色を手にいれれば、人生はもっと明るくいろとりどりになる。私はふしぎとそう信じていた。

その当時、絵コンテの角をくだき、紙に落としたその粒を布でこすって人物の肌の質感をだすのに熱をいれていた。しかし面としてのぼかしはできても、細かい凹凸感はだせない。わずか二十四色の手持ちの色鉛筆では、影をいれ輪郭を定めるのには、いささか役不足に思われた。商業デザインの実績のある美術部に所属していた「彼女」は、すでに数々のコンクールで受賞をかさねている。学校の豊富な画材とエアブラシとを利用し、スフマート技法のような透明感のある画風で描いた絵は、県の内外で高い評価を得ていた。どうしたら、「彼女」の才を越えることができるだろうか。貧しい才の私がゆきついた答えは至極単純。多くの色絵の具をもてばいいのだと。

こうして色の所有欲にとりつかれた私は、毎日まいにち、その画材屋に通いつめ、陳列ガラスに熱い指の跡をつけ、白い溜め息を残しては肩をすぼめて帰る日々を送りつづけた。しかし、とうとう我慢がおさえきれなくなり、なけなしのお年玉をかきあつめ、母からお小遣いを前借りして、待望の色鉛筆セットを購入した。箱入りは高いので、バラ売りの鉛筆だけを毎日五本ずつ買い足していきながら。そのときほど、明日をむかえるのが楽しみでならなかった時代はなかった。一日ごとに菓子折りの空箱に増えつづける色数は、私のこころを何葉ものいろに塗り替えてくれるように思われた。
学校帰りに店に足を伸ばして一箇月ほどで全色そろった。重くなった箱をゆらすと、百のいろがぶつかって、ざくざくっと厚紙におおわれた空気を切る、明るい音を奏でる。その音がとよもす達成感にとりつかれてほくそ笑んでいた私に、母の静かな怒りが降りた。母は私がそれを持っていても、けっして使いこなせないことを知っていたのである。「参考書を買うのだと思っていたのに、そんなものを買うなんて、自分の本分に集中しなさい」と、こっぴどく叱られた。ふだん、口酸っぱく勉強しなさいとお小言を叩かれたことがないだけに、これにはひどく驚き閉口してしまった。高校生として破格の買い物だったとは思われない。私が親にねだって大きな買い物をしたのは、後にも先にも、これだけだったと覚えている。大学に進学してからは、仕送りももらわず奨学金とアルバイトだけで生活をしてきた。欲しいものはすべて自分で買い、ひとから故なく貰うのは恥だと思っていた。でも、それはなにかと学生だからと安くつく生活がおこした錯覚であったのだろう。じっさい、私は多くのものをいただいてきたはずだった。

昨年、桜の花が散る頃に、私はおおきな買い物をした。
MacbookとAdobe Creative Suites 2 、人生を縮小してきたこの数年のうちでも、かなりの大枚はたいたショッピングだ。おりから愛用していたWindows機が不調で、新しいPCを探していた。ブログに文章を書いたりネット閲覧にするだけならWinのほうが使い勝手がよかったけれど。春先にありついた仕事に慣れるためにMac版のDTPソフトにしなければならなかった。
嬉々としてこの報告を実家にすると、電話口からは母のあきれた声が即座に返ってきた。母は私の珍しくおおきな買い物も、そして新しい仕事もいいように思ってくれなかった。母の予感は私の実感となった。その仕事をはじめてから、頭部に鈍い痛みが走りはじめた。そして、口から血を流して倒れていた「彼女」を、夢になんどもみた。けっきょく、私は「彼女」のやり残した仕事を継ぐことをリタイアした。

昨年の買い物は、二度目に高くついた買い物だった。じっさい、私はいまだもって、何万画素もあるグラフィックソフトを自在に操れてはいない。すこし手を伸ばせば誰でもとどく値段で普及するツール。便利な機能もふえたとはいえ、ある程度の絵心がなければ思うがままに描くことはかなわないもの。つまりどれだけ豪華に絵の具を取り揃えようとも、それを配する感覚、カラーチューニングに優れていなければ宝の持ち腐れ。なぜなら、いい道具というのは、それに頼るほど平均的な才能しか生み出さないからだ。青い鉛筆を青いつかい方しかできないのなら、物のはなつ光りはつぶさに描けず、影はいちどきも拾えない。「名工は鑿(のみ)をえらばない」とはよくいったもの。限られた色数をまぜあわせて個色をつくれる努力。それはキャンバスのうえの話だけではない。ならびあった色の玉とじんわり融和してゆくように、隣と折り合いをつけていく。云うなれば、ひとの社会も、そういう親和力のパレットなのだろう。人生を行為でなく鑑賞に、使用ではなく蒐集にする者の人生は、いたって透明なままなのだ。

色は買うものでなく、つくるもの。生き方のスタイルもできあいを真似てもはじまらないということなのだろう。完成された作品の効果よりも、制作のプロセスの珍妙さが問われる現代アートの傾向は、まさに生活の随所において既製品がひしめく現代消費文化を揶揄しているともみてとれる。どこかで見た、聞いた、触れた価値観に唇をすべらせ手をわらわせるのに倦んでしまった私には、とりたてて今年、買いたいものはないのだった。

色というのは塗りこめるのではない、見出すものだ。
ほこりをかぶって煤けた廊下が水拭きで濡れた輝きをとりもどすのを、ただ眺めるのを嬉しく思っていた〇八年の年明けだった。冬のおだやかな斜光は、乾くまでの濃淡の変化を楽しむゆとりを与えてくれる。いつまでも色が退かない発色のいいウェブカラーでなく、時間が経てば古寂びてゆくものが好きだ。ものを磨くとその色は年をとり、そのかたちは柔らかくなる。十年前、私はそのような卓越した観察眼をもってはいなかった。だから、現在、欲しいと思うものは、自然に潜む偶然の美しさ、人生にふくまれるわずかな喜びを拾う眼と精神。それだけでいい。


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3 Comments

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こんばんわ (tokkey_0524zet)
2008-01-20 22:54:51
どうも、こちらではお初にコメントさせて頂きます。

>いつまでも色が退かない発色のいいウェブカラーでなく
・・・全く同感なんですが、自分の場合アナログの色塗りがド下手な為にやむなくペイントソフトを購入しました(Paint Shop Pro8)。
美術系の学校で専門的な教育を受けた訳ではないので。

今年に入って「ガラスペン」-一番安い1890円の奴-をネットで購入してみましたが(明日届く予定)、果たして使いこなせるか??

ところで「万葉樹」さんとは「よろずはき」さんとお読みするんですね、今まで「まんようじゅ」さんだとばかり思っておりました、失礼。(^^ゞ
返信する
こんばんわ (tokkey_0524zet)
2008-01-21 01:14:53

どうも、こちらではお初にコメントさせて頂きます。

>いつまでも色が退かない発色のいいウェブカラーでなく
・・・全く同感なんですが、自分の場合アナログの色塗りがド下手な為にやむなくペイントソフトを購入しました(Paint Shop Pro8)。
美術系の学校で専門的な教育を受けた訳ではないので。

今年に入って「ガラスペン」-一番安い1890円の奴-をネットで購入してみましたが(明日届く予定)、果たして使いこなせるか??

ところで「万葉樹」さんとは「よろずはき」さんとお読みするんですね、今まで「まんようじゅ」さんだとばかり思っておりました、失礼。(^^ゞ

返信する
はじめまして、ですね。 (万葉樹)
2008-01-21 02:37:26
ごきげんよう、徳島早苗先生。
TBとコメントありがとうございます。

>全く同感なんですが、自分の場合アナログの色塗りがド下手な為にやむなくペイントソフトを購入しました(Paint Shop Pro8)。

陰影のつけ方はソフトがやってくれるわけではないので、やはりセンスが問われるのでしょうけれど。ただCGですと塗り直しや途中保存がきくので便利ではありますね。私がここで紹介している『マリア様がみてる』というラノベの表紙絵を描いているイラストレイターの方も、絵に筆を落として没にしてしまって以来、デジタル彩色に移行なさったそうです。ただ発色はすごく鮮やかですが、なにかいつもおなじ色調といいますか、偶然の色のにじみやぼかしの面白さがなくなって、質感がどれも一元化されているように見受けられるんですね。
最近、漫画家さんでも原稿をデジタル入稿されるケースが増えていると聞きますが。ペン入れやトーン貼りは代用できても、下書きはやはり鉛筆に頼るしかないことから、小説みたいに完全に手書きを離れるわけにはいかないように思えます。マウスもしくはデジタル用のペンツールで美しい曲線を思うがままにひくのには、かなりの熟練を要するみたいですので。私もIllustratorはもっぱらテキストの配置か入力用にしか使用せず、自分から絵を描いてはいません。ドローソフトとして機能していないですね。画像の加工処理はもっぱらPhotoshopでおこなっていますので、あんまり技術が身につきません。

Paint Shop Pro8というのは、比較的安価だけれども、Adobeのソフトに負けない高機能を誇るのですね。業務用でなく、個人のお絵描き用ならじゅうぶんなのでしょうね。

>美術系の学校で専門的な教育を受けた訳ではないので。

ちなみに、私も専門的なスクールなどに通ってはいないのです。Illustrator、Photoshopは大学時代に研究の図版作成や、機関誌の編集作業をしていた際に軽くさわっていた程度。仕事も派手なグラフィックの印刷物ではなく扱ったのはせいぜい二、三色刷りの冊子でしたので、ほんとうに趣味に毛が生えた能力ですね。ふつうの会社なら、EXcelとかPowerpointとかつかえるほうが役立ちますね…。
手書きの絵もソフトの勉強も、どれだけ自分で慣れるかなんでしょうね。

>今年に入って「ガラスペン」-一番安い1890円の奴-をネットで購入してみましたが(明日届く予定)、果たして使いこなせるか??

Gペンとか丸ペンはうっかり力をいれすぎると先が割れて困りますね。ガラスペンって、見た目もよくて耐久性もあるらしいので、ぜひとも使いこなされてください。


>ところで「万葉樹」さんとは「よろずはき」さんとお読みするんですね、今まで「まんようじゅ」さんだとばかり思っておりました、失礼。(^^ゞ

このHNに関する質問、よくいただきますね。ブログアドレスの末尾が、yorozu-hakiなのですが、やはり気づいていただけないようですね。なぜそう読ませるのかは、また別件で語りたいかなと思っています。

あと、申し訳ございませんが、今後コメント欄の絵文字入力をなくそうと思っておりますので、勝手ながら絵文字を省いて再投稿させていただきました。ご理解くださいますようにお願いいたします。

締切に追われ想像力をかなりつかうお仕事は楽しいけれど、苦しいものですね。影ながら応援しております。では。
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