はたして、イザヤ28章のエフライムが、モルモン教会のことなのか???
「エフライムの酔いどれの誇る冠と、酒におぼれた者の肥えた谷のかしらにあるしぼみゆく花の美しい飾りは、わざわいだ。
見よ、主はひとりの力ある強い者を持っておられる。これはひょうをまじえた暴風のように、破り、そこなう暴風雨のように、大水のあふれみなぎる暴風のように、それを激しく地に投げうつ。
エフライムの酔いどれの誇る冠は足で踏みにじられる。」(イザヤ28:1~3)
前にも、"一人の力ある強い者”/イザヤ書28章"については、驚きのトップ3として、トップ2かな、解明に向けて挑戦?何かわかれば?みたいなこと書いてましたんね・・・・
「教会奥の院に闇??!!」2011-11-29 13:30:00 | 教会と世の権力
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/0096eba7976baea180526f118c57a94a
さて、悲観的杞憂的アプローチのたまWEB、何らかの進展あったのかと問われますれば、困っちゃいますが、現在のところ、ひとつ、わかったような気になってるのが、モルモン書のイザヤ関連から、糸口が見つかるのかなみたいな。んで、最も、インパクトのあるところを挙げれば、
「・・・イザヤの言葉はまことに偉大だからである。・・・彼の語ったことはすべて、彼の語った言葉のとおりにこれまで起こっており、またこれからも起こるであろう。」(第3ニーファイ23:1~3より)
になりましょうか。
これはですねぇ、必ず、そうなると理解するわけですが、もしもの話ですが、そのエフライムがモルモン教会のことであるとするならばですよ、誰が何をしようと、必ず、そうなっていく、そうなる、イザヤ書28章にあるように、ということに。はてまた、部分的に既にそうなっているのか・・・・さすれば、教会は、これまでと変わらないみたいなことになるのか??・・・・「誇る冠」「谷のかしら」「美しい飾り」、うぅぅんんん、教会にあてはめれば、指導層、幹部、場所的にはソルトレーク・シティ(谷のかしら)を指し示しているのか??・・・・
第3ニーファイのイザヤ予言に関しては、ヤコブ・イスラエルの残りの民/アメリカ・インディアン/先住民が、”森の獣の中のライオンのように”、”彼らの中を通り過ぎて、彼らを踏みにじる”みたいなことしかないというか、あとは、新エルサレムですかぁぁ・・・・そのライオンというのは、ウルフグラムの予言にあった、中国軍と中南米軍からなる混成軍のこと??
じゃぁ、モルモン教会はどうなるのか?末日の最後の時に至るまでの過程みたいのが、そのへんがねぇぇ・・・・なんで、モルモン書に出てないんだろと問わば・・・・結局、当教会も、異邦人の教会と一緒みたいなものということなのか??
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます