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真珠湾攻撃でハワイ・ライエ神殿への急降下爆撃は作り話か  その3

2019-08-01 13:15:04 | 教会の歴史 

およよよよ、待て待て・・・ ネットに全攻撃隊(第一次、第二次共)名簿がありますな!!

「真珠湾攻撃部隊一覧」  http://kitabatake.world.coocan.jp/rikukaigun36.html

モルモン・フォーラム誌記事によれば、スタウト氏の日記には、その爆撃を試みた御仁の名前は苗字しかわかっておらず、Oh-hara( もしくは Ohara?)と記されているとのことだな。引用しますと、

「・・・大原という名前であることがわかった。上記自衛隊員は再び時間をかけてハワイ航空作戦の搭乗員名簿を検索したが、残念ながら大原という名前はなかった。しかし、英語の教官を務めるこの隊員は、スタウト長老が英語で日記を付けていたことに気付き、”大原”ではなく ”小原(おはら)”ではなかったかと思い、もう一度調べたところ、第二次攻撃隊水平爆撃隊(97式艦上攻撃機)で空母『瑞鶴』から出撃した第二中隊47小隊に小原七郎曹長の名を見つけている!

そしてこのように記している。

”小原七郎曹長は偵察員として、操縦員の小山鶏喜1曹、電信員の大内公威1曹とともに日本時間12月8日0437時(現地時間7日9時半頃)真珠湾の米艦艇爆撃に参加後、帰路オアフ島内陸部のウィーラー飛行場を爆撃しています。その北側には映画『地上より永遠に』で有名な’スコーフィールド・バラックス’陸軍基地があり、対空火器の砲撃を避けた機は、コオラウ山脈を越え、島の北東方向から北の海上に退避したようです。となると、途中で唯一のランドマークはライエ岬しかない!”(1998・12・9)

・・・英語を話す人たちの日本語は、母音が長く聞こえることがある。'この世に'が'この様に'、'来ていました'が'聞いていました'とわれわれの耳に聞こえることがある。アメリカ人が小原と聞いてOh-hara  (大原)と書く可能性は充分ある・・・(編集部)

」(モルモン・フォーラム誌1999・春季号、『爆撃を免れたハワイ神殿』)

一方、スタウト氏は、記憶違いだったということでなのか、いつ頃からなんでしょう、その苗字は、オオハラ、オガワ、オオカワの類で、家の表札にはニシモトとあったと言い始めたんですかぁぁ・・・ https://latterdaysaintmag.com/is-this-story-true-pearl-harbor-pilot-couldnt-bomb-hawaii-temple/

名簿一覧見ますと、大原姓はなし、小原性はやはりその一名ですね。で、大川姓は一名(第一次の九九式艦爆)、小川姓は3名(第一次の九七式艦攻、第一次の九七式艦攻かつ雷撃特化、第二次の九九式艦爆)ですかぁぁ。

2010年くらいまでに、伝道会長時も含め来日回数は50を越えるというスタウト氏、こういった情報に触れた後から、その苗字はオオハラ以外でもあったかもと言い始めたんでしょうかねぇぇ・・・

うぅぅんん、もう一人、証人がおるんですかぁぁ、1941年12月7日前夜、妻と喧嘩になったとかで、外で寝るはめになり、翌朝目覚めた時、ココナッツ・ツリーの向こうに、神殿めがけて急降下する機体が見えたというライエ神殿職員のロバート・カハワイッイ氏、1976年になって初めて日記かなんかに記したということだなぁぁ(同上 英語サイト)。このハワイ人の方、スタウト氏の話を聞き知った後だったりしてな、35年前のこと急に思い出しては記した??・・・

急降下(dive)というのは、スタウト氏の日記にもありますし、で、それは九九式艦爆に限られるということなんでしょうねぇぇ・・・

 

まぁぁ、アメリカには、ほら話をして楽しませるみたいな伝統がありますからなぁぁ・・・一杯食わされた感じもしないではないな、こりゃ・・・

アメリカの男たちが好きなもの、野球とホラ話。 「トール・テール(tall tale)とはホラ話のことである。 ... 米文学の一つの源流をなす草の根の民衆の奔放(ほんぽう)な空想である△さて話がホラかどうかをチェックするネットのサイト ... トール・テールの語り部が人気者となる  のも米国の伝統か。

」  ホラ話 米国 伝統 https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%81%BB%E3%82%89%E8%A9%B1%20%E7%B1%B3%E5%9B%BD%20%E4%BC%9D%E7%B5%B1

 あ~ぁ、あほらしやん、やん・・・

 

 

1989年(12月12日)のデゼレト新聞記事だと、そのような爆撃を試みたとされる人物が教会員となったという記録はないとありますな。教会所有の新聞社なので、教会員記録を調査できる特権があるのかもね・・・ そうだとしたら、教会員になったとはスタウト氏も言ってないわけで、その攻撃隊操縦員が1958年くらいでしょうか、教会員となってハワイの教会に訪問しての話はおそらくはふくらまされた虚偽になるんでしょうねぇぇ。

”Mormon records do not include a Pearl Harbor pilot who became a church member, and the people ・・・”

https://www.deseretnews.com/article/76559/HAWAIIAN-TEMPLE-SPARED-FROM-WARS-BOMBING.html

蓋し、スタウト氏が、松本市で一軒々、訪問してて、そのような真珠湾攻撃で搭乗員だった人に実際に会ったというのは本当かもしれない。さらには、その57年9月9日の日記内容のことを本当に話したのかも??

んが、その話には、既に尾ひれをつけた脚色が入りこんでると見れるんでしょうかねぇぇ・・・粉飾者はどちら?両方?

「急降下爆撃

航空母艦の運用初期、艦載機での爆撃方式は水平爆撃だけだった。水平爆撃は総じて命中率は低く、密集編隊飛行で命中率向上が工夫されたが絶対的な限界があった。海軍は命中率の高い急降下爆撃に注目するようになる。艦上攻撃機(艦攻)には、急降下と爆弾投擲後の急上昇に耐える機体強度がなく、急降下爆撃機(艦爆)の開発がなされた。

・・・愛知航空機はドイツのハインケルを参考に・・・1939年、九九式艦上爆撃機(九九艦爆)を完成・・・日本海軍の定義によれば、急降下爆撃は攻撃目標に四五度以上の角度で急降下し、その直上四〇〇メートルから六〇〇メートルで爆弾を投擲、ただちに機体を引き起こし退避する爆撃法である。突入角度が四五度以下の爆撃法は緩降下低空爆撃と定義する。

・・・」 『真珠湾攻撃・全記録』(秋元健治 現代書館 p60~)

真面目に対処 vs ほら吹き伝統 でしたかぁぁ・・・


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