教会の神殿では、どこでも、『 聖きを主にささぐ 』、『 Holiness to the Lord 』と刻まれた石碑のようなのが、あるということです。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=Holiness%20to%20the%20Lord%20%20%20temple
んで、欽定訳聖書では、”Holiness to the Lord”と、ぴったり、完全一致する語句のある聖句は、出エジプト39:30とイザヤ23:18の2ヵ所に。
39:30
”また純金をもって、聖なる冠の前板を作り、印の彫刻のように、その上に「主に聖なる者」という文字を書き、”
23:18
”その商品とその価とは主にささげられる。これはたくわえられることなく、積まれることなく、その商品は主の前に住む者のために豊かな食物となり、みごとな衣服となる。”
この二つを比べると出エジプトのが、オリジナルなんでしょうかね・・・・んで、改訳された英語聖書では、いくつか、”Holiness to the Lord”のところは、”Holy to the Lord”となってますね。
ということは、”(be)holy”のように”(be)”が、略されてるとして、主語が、人で、”主のために聖なる者となる・である”というような意味合いのを探しますと、例えば、申命記の7:6や14:2、エレミヤ2:3などが、近いのかな・・・
7:6, 14:2
”主の聖なる民である・・・・”
2:3
”イスラエルは主のために聖別されたもの、その刈入れの初穂である。・・・・”
レビ記20:7も、”to the Lord”は、ないけれど・・・・・・・・
20:7
”ゆえにあなたがたは、みずからを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。”
ということで、『 聖きを主にささぐ 』の元々の意味は、日本語聖書の出エジプト39:30の「主に聖なる者」に近いと推定しますれば、”主にあって、主のような聖なる者となりなさい”という意味になるんでしょうか・・・・
この方が、「あなたがたはどのような人物であるべきか。・・・・わたしのようでなければならない。」(第3ニーファイ27:27)や、「聖なる人とはわたしの名である。」(モーセ7:35)とかに符合してて、意味がはっきりしてるんかも・・・・
神殿を通して、人格が変わっていくのか、何か奇跡的なことがあるんでしょうか、等と想像・・・・・
は東京神殿にもありますけど
捧げに行きはったら拝めるのでは…