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時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

自尊心と高慢  

2017-11-01 20:25:48 | ほめる・自尊・他尊

前世では、人(神の子ら)は霊の存在で

「38:7

かの時には明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった

」(ヨブ記)

とあり、

肉体を得ての試しの生涯を送るべく生を受けた存在でのこの現世では、

「25 アダムが堕落したのは人が存在するためであり、人が存在するのは喜びを得るためである。 
」(第2ニーファイ書)

とあって、人は基本ずーっと喜ぶ・喜びを求める存在であったということに。

で、前世では傲慢になって、人の選択の自由・自由意思を破壊しては、神の玉座に登ろうとして戦った明けの星・ルシフェルは、彼を選びつき従った天群の三分の一の霊たちと共に投げ落とされ悪魔、悪魔の使いたちとなったのでありました。

自由意志の破壊ともなれば、人の自尊心も何もあったものじゃぁありません。

そして、福音の教えでは、来世では人の復活の後、大いなる喜びを受け、栄光の異なる様々な報いがあるとされます。

 

自尊心(self-esteem)ということであれば、聖文から いくつかesteem を見ますと

 「07 しかし、彼は民に言った。「わたしたちに王がいるのは決して望ましいことではない。主は、『あなたがたは、ある人をほかの人よりも優れていると思って【esteem】はならない。すなわち、人は自分自身をほかの人よりも優れていると考えてはならない』と言われた。したがって、あなたがたに王がいるのは望ましいことではないと、わたしはあなたがたに言う。』(モーサヤ書23)

2:3 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。【esteem】」(ピリピ人)

5:13 彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい【esteem】。互に平和に過ごしなさい。」(第一テサロニケ)

「26 そして、祭司たちが神の言葉を民に告げるために仕事を休めば、民もまた神の言葉を聞くために仕事を休んだ。そして、祭司たちが彼らに神の言葉を告げ終えると、彼らは皆、再び自分たちの仕事に戻り、熱心に働いた。教えを説く者は聞く者よりも偉いわけではなく、教える者は学ぶ者よりも偉いわけではないので、祭司は自分自身を自分の話を聞く者よりも優れているとは思わなかった【not esteeming himself above his hearers】。このように、彼らは皆、平等であった。そして、彼らは皆、各々自分の力に応じて働いた。」(アルマ書1章)

「24 各人がそれぞれ自分の兄弟を自分自身のように尊び【esteem】、わたしの前で徳高く聖くあるようにしなさい。
25 また重ねて、あなたがたに言う。各人がそれぞれ自分の兄弟を自分自身のように尊びなさい【esteem】。
26 あなたがたの中に、12人の息子を持っていて、彼らを決して偏り見ることなく、彼らから従順に仕えられているのに、息子の一人に「あなたは礼服を着てここに座りなさい」と言い、またほかの息子に「あなたはぼろを着てそこに座りなさい」と言い、息子たちを見て、「わたしは公平だ」と言う者がいるであろうか。
27 見よ、わたしはあなたがたに、これを一つのたとえとして告げた。これはまさにわたしのようである。わたしはあなたがたに言う。一つとなりなさい。もしもあなたがたが一つでなければ、あなたがたはわたしのものではない。
」(教義と聖約38)

といったのがありますかぁぁ。

自分の自尊心も人の自尊心も共に生かすことが求められてるんでしょう。一つになるということはシオンの町の住人にふさわしいということになろうかと。

まぁ、しかし、物欲、金銭欲、名誉欲、支配欲等々、利己心等と複雑にからんでは、なかなかね・・・ひとそれぞれ様々な問題をかかえることに・・・・そこで、現世でも主イエスを救い主として選び取ることが肝要になろうかと。

「27 もし人がわたしのもとに来るならば、わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜にするために、人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して、わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり、わたしを信じるならば、そのとき、わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。
28 見よ、わたしは異邦人に彼らの弱さを示し、また信仰と希望と慈愛が彼らをわたしのもとに、すなわち、あらゆる義の源に導くことを彼らに示そう。」
」(エテル書12章)

「40 そして主は、主を神とする人々を愛されます。まことに、主はわたしたちの先祖を愛し、彼ら、すなわちアブラハム、イサク、ヤコブと聖約を交わされました。そして主は、御自分が交わした聖約を覚えておられます。それで、わたしたちの先祖をエジプトの地から導き出されたのです。 」(第1ニーファイ17章)

 

「3.主来ます日,言わせたまえ 「仰せの業われなし終えぬ 力尽くし」
  主のみ言葉われにたまえ 「よき僕よ
  わが喜び,わがみ座に 入りて来たり,ここに座せ」と」(賛美歌135番)

あの世や来世では、主に喜ばれる人が報いが大きいということになりましょうか。

 

ジョセフ・スミス最後の夢では、スミス3兄弟がいわば三途の川をわたって・・・・

″Joseph Smith's Last Dream”

https://www.youtube.com/watch?v=1q_vgg4WjMk&list=PLP0lXYcBXP6TJIIRUe01NXb7kCkgS0hl-

 

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なぁぁるほ~~、モルモン書で高慢のサイクルとかって

https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%9B%B8%20%E9%AB%98%E6%85%A2%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB

習ってるわけですが、どうしてそうなるの??

基本、人間の脳が喜びを求めるように出来てるわけですよねぇぇ、自尊心を高める方向で。

そこでどこまで犠牲にできるのかとの、この試しの世では、神の御心との葛藤を生じたりして、ついには自尊心が度が過ぎ、その選択の結果、高慢、唯我独尊の世界へと・・・・


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