たまWEB、あさっての日曜、神権会のクラスで、お話(2,3分くらい)、割り当てされてるんだなもし(毎回、誰か一人、順番で回ってくるんだわさぁ)。2,3週前の日曜に、テーマは、神権の祝福/ホームティーチングの祝福というのでって言われたんです。・・・・いやぁぁ、便利になりましたねぇぇ、インターネット活用で、ホント助かりますわぁ、お話の準備がぁぁ。
まず、頭に浮かんだのは、召しを尊んで大いなるものとするということについて、アブラハム書(1章の初めあたり)と教義と聖約84章にあったかな??と。で、見てみたんです・・・・
したらば、その1章では、“大いなる”はあるけれど、“わたしのためにさらに大いなる幸福と平安と安息があるのを知り”、“義に従うさらに大いなる者となることを望み”で、ちょぃと違ってましたかぁ。
84章には、ありましたかぁぁ・・・・“だれでも忠実であって、わたしが語ったこれら2つの神権を得て、自分の召しを尊んで大いなるものとする者は、御霊により聖められてその体が更新される。 ”(33節)
この“尊んで大いなるものとする”は、英語で一語なんですよねぇぇ、“MAGNIFY”って。で、検索なんですわぁぁ。
まぁ、日本語よりは、英語圏が圧倒的に多いわけですよねぇぇ・・・・
英文聖典 http://classic.scriptures.lds.org/
んで、モルモン書にあったんだぁぁ、なんてわかるわけですぅぅ・・・・
“「さて、わたしの愛する同胞よ、わたしヤコブは、まじめに自分の務めを尊んで大いなるものとするという責任を神から受けており、また、わたしの衣からあなたがたの罪を取り除きたいので、今日こうして神殿に来て、あなたがたに神の御言葉を告げる。
”(ヤコブ書2:2)
“そしてわたしたちは、もし自分たちが力のかぎり神の言葉を民に教えなければ、民の罪を自分たちの頭に受けるという覚悟で責任を受けたので、主に対して自分たちの務めを尊んで大いなるものとした。そしてわたしたちは、民の血がわたしたちの衣にかかることのないように、力のかぎり働いた。そうしなければ、彼らの血がわたしたちの衣にかかって、わたしたちは終わりの日に染みのない者とは認められないであろう。
”(ヤコブ書1:19)
たまWEB、ホーム・ティーチングに関してはぁ、喜びがあるという感じなんですよねぇ、最初くらいに、気づいたのは。あれはもう80年代後半くらいかぁ、BYU学生ワードでね、同僚さん誰だったか覚えて無いけど、英語よく話せない、聞き取れない、そんなんでしたけど、ありがたいことに、話を聞いてくれた女性の学生さんたち、けっこう年いった人たちのワードでしたけど、1回きりだったかぁ、名前とか覚えてないですがぁぁ、あの場景は思い出せるような・・・・その時くらいからか、ホームティーチングで、喜びや“自信”があるんだと思い始めたんですかなもし・・・・ナァァンチャッテナモシ・・・・
「またあなたの心が、すべての人に対して、また信仰の家族に対して、慈愛で満たされるようにしなさい。絶えず徳であなたの思いを飾るようにしなさい。そうするときに、神の前においてあなたの自信は増し、神権の教義は天からの露のようにあなたの心に滴るであろう。
」(教義と聖約121:45)
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