より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

三次世界大戦?!

2011-08-02 23:23:14 | 教会の歴史 

いやぁぁぁ、この日曜、教会で疲れるっていうこともなく、お蔭様で、どんも・・・・朝、起き掛けに、面白い夢みたいなの見たりして、ありがとうで御座候・・・・

さてと、うぅぅぅんんんと・・・・・ネタが、あれなので、またしても、今は無き「モルモンの泉」掲示板より、再掲・・・・今日、歩いてる途中、ふっと思いついたんでした・・・・・・これまた、訳文など、多少、改良?試みたんです・・・

 

『  part2...WEB・・・ - 2007/03/16 17:34  

”ジョージ・アルバート・スミス管長(1870-1951、1945.5.21 管長に)は、管長に召されてから、およそ1年後、友人宅で、後に起るであろう、心を悩ます、もう一つの恐るべき世界大戦の示現を見たことを話した。

その大戦はあまりにひどく、第2次大戦が演習訓練のようにみえてしまうと言った。多くの国が関係する、ドイツ、ハンガリー、イスラエル、トルコ、米国そしてソビエト。

戦争が始まれば、すぐに戦線に向かう事が可能であるよう、巨大なトラックで何千という戦車が、そこここに輸送される。

米国はヨーロッパ中に核弾頭ミサイルを配置する。しかしながら広範囲に及ぶ協定を結んでは、ソビエトの要求に答えるべく、ミサイルを撤退させてしまう。戦争が始まると人々は蝿(ぶよ)のように死ぬ。この時にはソビエトの軍事力は米国のをはるかに凌駕している。

米国は国民から兵器を取り上げてしまう。ミサイルは地中の穴に置かれ、それは穀物貯蔵のサイロに似ている。ソビエトはこれらサイロめがけて、また米国の軍事基地や都市にもミサイルを飛ばす。それから地上部隊も送り込む。

スミス管長はこの攻撃が始まる日は、大統領選の後、就任の前の休日で、その大統領はギリシャ系だと言った。戦争後の経済状態は悲惨なもので大恐慌の時がまるで行楽・ピクニックのように見えてしまう。

   http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22George+Albert+Smith%22+%22Sunday+school+picnic%22&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


”大統領選挙(Presidential election)とは・・・・

アメリカの大統領は任期4年で、国民による投票で選挙人を選び、選挙人による大統領選挙が行われる。形式的には間接選挙であるが、実質的には直接選挙と言える。4で割り切れる年の11月第1月曜日の次の火曜日に538名の選挙人が選出され、この段階で次期大統領が判明する。選挙人による投票で当選した候補者は翌年1月20日、大統領に就任する。

ジョン・ハイラム・コイル(1864-1949、ユタ州)

”ヨーロッパ、アジア、アフリカを支配した後、ロシア赤軍/共産軍は同盟軍と共にアメリカとカナダに侵攻してくる。しかし混乱していて組織だった抵抗ができない。東部はミズーリ/ミシシピ川まで攻められ、西部は中国軍によりシェラネバダ山脈まで侵略される。しかしそこまでで天の介入/神権の力により止められ、ロッキーの谷まではやって来ない。

アーノルド・ボス日記

”軍隊は東から来てミシシピ川まで掃討する、同じ頃もう一つの軍隊が西海岸の南から北上してくる、これはアメリカインディアンで、羊の中の獅子のように異邦人の中を通って破壊する。彼等はその地にある悪を粛清する。その時は、この国でストライキや争いで分裂し弱って居る時だ。

 

『  パート13   WEB・ - 2008/09/20 09:23  

このジョージ・アルバート・スミス管長の示現は、1989年、署名入りで記録され、教会歴史事務局へ送られた。記録者(記録時ステーク会長)は、父方祖母がスミス管長のいとこにあたり、当時10代の少年であった。スミス管長は夕方の散歩時、何度か彼の両親の家に立ち寄った。ある時父が家族の皆を集まらせ、スミス管長に何か話を頼んでいたのだという。その時聞いたという。

教会歴史事務局からの返信で、スミス管長は総大会で、罪悪に陥り、原子爆弾によって、甚大な破壊を受けることを避けるため悔い改めなければという説教をしていたと記されていた・・

1946年10月の総大会・・・・”人々が悔い改めないなら、この大戦が比べものにならないほど大変悲惨な戦争が私たちを待ち受けています。しかしそれを回避することも可能です。私たち一人々が自分の分を果たすなら、防げるのです。”

1950年4月総大会・・・・”家に帰って、家庭を秩序あるところにしましょう。神を敬い、神の戒めを守り、互いに愛し合い、平和が宿る家にするという決意を新たにしましょう。速やかなる悔い改めがないと、遠からず災難が人類家族を襲います。それほど遠くない将来、地上の何百万もの人々がその時起こるであろうことにより、蝿・ぶよのように死ぬでしょう。”
  
 http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&q=%22Conference+Report%22++++1946++%22george+albert%22++%22great+war%22&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=  


南米を、中国国家主席が、訪問してたというニュースを読み知った時、驚きました・・・・

   ベネズエラ  胡錦濤
   http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%99%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%82%A8%E3%83%A9++%E8%83%A1%E9%8C%A6%E6%BF%A4&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

   中国   ベネズエラ
   http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%B8%AD%E5%9B%BD+++%E3%83%99%E3%83%8D%E3%82%BA%E3%82%A8%E3%83%A9&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

 

『  part4    。WEB・ - 2007/06/29 18:04 

”政治上、いくつかの取り除かれるべき障壁、成し遂げられるべき征服が残っている、例えば日本国の征服、そして未だに個人の考え方や思想、宗教が法によって規定されている国々に対して憲法に基ずく自由の勝利が浸透していくこと…”

パーリー・P・プラット(1807-57)

1954年ハロルドBリー長老は、総大会でこれを引用し、そして極東アジアで宣教師による福音がより効果的に伝えられるようになったと語った。


”第2次大戦における蛮行の最後を飾るかのように、我々アメリカ人は原爆により何十万という日本の市民を殺害した。

ある人達は原子爆弾の使用は選択の誤りだったというが、それ以上のことで世界的な悲劇的大惨事であった。この悲劇の極め付きは米国市民が原爆使用に抗議しないばかりか悪鬼のような残虐行為に賛意を表したことであった。”

J・ルーベン・クラークJr顧問(1871-1961)…1945年総大会等で…

1945年広島原爆の2日後のデゼレトニュース新聞社説では、”いつの日か、私達の子孫が原爆に見舞われ得るかも…その時にはそれに抗し得る道徳的武器はないだろうし、またそれと戦い得る物理的な武器もないだろう…何故ならば私達が人間社会にその使用によって最初に災いをもたらしたから…”

下書きでは 'CAN・得るかも'ではなく'WILL・だろう'だった…

』  


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2 コメント

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Unknown (ハル)
2011-08-03 13:22:09
たまWEB様、

祝福師の祝福と血統、アブラハムの誓約に関して何か、たまWEB様的なメモがありましたら宜しくお願い候・・・
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Unknown (たまWEB)
2011-08-04 22:32:05
毎度、どんも・・・・

”祝福師の祝福と血統、アブラハムの誓約”について、グーグってみますね・・・・

あの掲示板に書いたことでは・・・・昔、教会への祝福師==大祝福師という教会幹部の召しがありました。1979年まで。エルドレッド・G・スミス(1902-)という御仁。んで、このスミス大大祝福師は、総大会で、守護天使とは、亡くなった先祖・親族のことだと語ったようです。・・・・・いわゆる守護霊とうことですかね・・・・で、もう一度、調べたら、そう語ったのは、スミス大祝福師ではなく、ハロルド・B・リー管長でした・・・・


       http://familyoffaith.me/About_Us.html
       http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22eldred+g.+smith%22++&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
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