月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

6/28 丸亀市文化芸術推進サポーター 養成講座 2021キックオフ・ミーティング

2021-06-30 13:29:25 | 参加★舞台 映画 WS等

6/28
丸亀市文化芸術推進サポーター
養成講座
2021キックオフ・ミーティング

オンラインと
対面(市役所特設会場)の両方で。
私は市役所へ。

今回は新しく参加された方も多く、
自己紹介で、
新たな繋がりを感じたり
広がりを感じたりでした。

四国学院大、香川大関係の方々、
街づくり、駄菓子屋さん、声楽家
うちわ作り、コンサートクラブ
坂出市役所関係の方…などなど
本当に様々でした。

はじめまして!
よろしくお願いします😊

………………………

昨年度の
「まるがめ文化の寺子屋vol.1」
動画視聴。

スタートの頃から、
色々話し合っていた頃、そして
イベント企画し、
それに向けて動き出し
それがカタチになっていった
様子など。

すごい振り返り!
新しく参加される方にも
分かりやすいし雰囲気も伝わる。
これは動画の良さだと思った。

…………………………

そして今年度のスケジュール。
オンラインワークショップ、
講演会、講座。

そして、
予定している文化イベント

まるがめ文化の寺子屋
vol.3( 11月 )
vol.4( 1月 )

宮崎と一緒に進める
JAPAN LIVE YELL project in MARUGAME
(1月)
JAPAN LIVE YELL project in MIYAZAKI
(11月)

………………………

今後のことについて、
色々な意見が出た。

継続していくために、
予算的なことや役割分担を
考えておくことは重要だと思った。

それと共に
将来的なビジョンも大切にしたい
ということも。

私たちの取り組みは
主体的でありたい。

楽しむこと、
やりたいことを実現していくこと、
色々な現場で柔軟に動くこと、
社会的な繋がりが
できるような活動、
…そんなことを大切に。

違うジャンルの人が集まることで
新たな道が開けるかもしれない。

一人では出来ないことを
チームの力で実現したい。

今後もよろしくお願いします!
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6/26 劇団オムツかぶれ『キョウセイ』観劇

2021-06-29 13:31:06 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等

6/26 劇団オムツかぶれ
『キョウセイ』観劇

タイトルのキョウセイ。
共生なのか、強制なのか、
それとも矯正…。
思わず自分のことを振り返り、
心えぐられる(笑)ような
場面もあった。

何が常識?何が幸せ?
きっと思い込みはある。
生まれ育った環境の中で、無意識に
刷り込まれるものがあるはず。
でもそれを
相手に強制してはいけない。
できれば共生したい。難しいけど。

自分の常識、
自分がこれだと思うものも、
時を経て変わることもあるだろう。

幸せのカタチは人の数だけあって
それも常に変わっていくもの
かもしれない。

その時の自分に合うように
現状を変えていくのは
なかなか大変な作業だ。

現状を諦めて受け入れる方が
楽なのかもしれない。

とはいえ許容できる範囲があって、
それを著しく超えてしまうと
生きていけない。
そうならないように、
うまく折り合いをつけていく。
それが、共生なのかなと思った。

………………

物語に出てくる3組の夫婦。

村の一男ニ女のきょうだいが、
それぞれ結婚。

村の長男夫婦、
近い地方の次女夫婦。
そして東京の長女夫婦。

村の災害をきっかけに
次女の家に
長男夫婦と長女夫婦が
しばらく滞在することに。

次女の家には、夫と中学生の娘。
そして近くに夫の母。


閉じた世界で
それぞれ離れていたものが
あるとき接触して摩擦が起こる。


それぞれの常識は
相手にとっては非常識。

ちょっとしたズレが
どうにも引っかかる。
だんだん苦しくなる。

そんなふうに感じた。


ピアノの生演奏や
時折、
登場人物にまとわりつくように
うごめく影のようなダンス。
祭での風習を暗に示すような踊り。
直接的ではないけれど、
感覚に重く響いた。


…………………

登場人物の中に
それぞれ自分と
重なる部分がありそう。
女性目線だと、特に。


自分の場合、結婚して
自分の育った地域を離れ、
姓を離れ、
夫の育った地域、
姓へと移ってきた。

人種や国が同じでも、
同じ市内だとしても、
家庭が違うとやはり違いはある。
当たり前だけど。

些細なことに見えても
意外と大きく
重く感じることもある。

しかしその違和感を
だよね〜と、分かってくれる人は
一番近い家族にはいない。
子どもは、生まれ育ったその環境が
自分にとっての標準なのだ。

そういうものだと納得していても、
じわじわ堪えてくることがある。

生まれた時から親しんできたものを
変えるか、押し通すか、
別の何かを模索するか。
その選択に迫られる。

ひとつ、またひとつ、
普段の生活の中で
小さなカルチャーショックを
繰り返す。
それを重く感じる自分が
おかしいのか?
一人だとよく分からなくなる。


そこで何十年と過ごすうちに
それに同化できるものだろうか?

自分の場合、
少なくとも二十年そこそこでは
同化できなかった。
いやむしろ、その間、狭いながらも
全く違った分野の人と関わり
学ぶ場もあったことで
より目線が外に向いたような
気もするのだ。


それは、幸せ?不幸せ?
即答はできないけれど、
ひとつ言えるのは
自分が選んでやってきたことに
いいも悪いもないということ。


そもそも、子どもの頃も
生まれ育った環境の中でも
違和感を抱くことは多かった(笑)。
(厳密にいうと…
違和感を持たない自分と
持つ自分の両方が居た、が近いかも)
いつまでも慣れない。
努力不足とかの問題でもない。

そうなると…
結果がどうだろうと、
周りがどう言おうと
それは、
自分とは違う世界の価値観。

無数の価値観それぞれに
自分を同化させようとしても
キリがない。
というか、
自分と他人は同じにはなれない。

それは子も親も、家族であっても。
相容れない存在だと
思うようになった。

何だか冷めた感じもするけれど(笑)
それを大前提として
自分も含めた
個々を尊重することからしか
何も進展はないような気がする。
むしろ、そう思うことで個人的には
楽になる部分があるのだ。

違ったままで、
それをお互い認識して、
それでもそれをお気楽に楽しめたら
それが一番いいのにな…


そんなことを
観劇後、我が身を振り返り思った。

…………………

それにしても…
心をえぐる暴言の数々(笑)!

たぶん、渦中にいたら
潰れてしまうようなアレコレも、
多少俯瞰で見ると
他人事だからこそ
潰れず奮起できる部分があった。


劇中、長男が、
村を捨てるならシネ!
…的な暴言を吐いていたが、

逆に、死んでたまるか!
という気分になった。

冷静に、いやおかしいよね(笑)
いつの時代だよ。
でも、そういう同調圧力に
どっぷり浸かってると
自分ではなかなか
気付かないものだよね、とか。


そして、夫の暴言に
コップの水をぶっかけたアレ、
すっとしたなーー!!!
いや…別に(笑)
リアル夫にあんな
不満があるわけではない。

しかし、誰でも人間関係に
モヤモヤすることはあるだろう。

建設的な、
地道なすり合わせは大切だけど
ああいう、
害の少ない直接的な発散は
必要かもしれない(笑)。

あの村の、年に一度の祭の
アヤシイ風習は
個人的にはいただけないが(笑)

祭の存在意義のひとつとして
発散の場、というのは理解できる。
(日本にも世界にも、人々が荒々しく
ぶつかる祭があるではないか!)



しかし時代と共に、
フィットすることは変わってくる。
昔のやり方が、
微妙に合わないことも多い。
根底にある、大切なことは何か。
それを見極めず、
カタチだけ継承しようとしても
無理がでてくるのは
当然かもしれない。


あの祖父が孫に
「いいぞ〜〜」と言っていた、
喜びも悲しみも分かち合う、
村においての人間関係。
それはそれで間違いではない。
けれどその諸々は
今、その人に、
合っているかどうかは分からない。

その人その人に合ったものを
見つけることが必要だと思う。


相手がいる問題だと
難しい部分はあるし、
面倒だけど、やるしかない。

前途多難か!

でも、たまにはこんな
隠れた暗部を
吐き出す場もあっていい。
むしろデトックス。
日曜劇場みたいな王道ドラマで
涙する自分もいるけど(笑)
それだけじゃないし。

自分の中にも色々あるのだ。

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